
Getty Imagesより
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言が波紋を呼んでいる。
森喜朗会長は2021年2月3日に行われた日本オリンピック委員会(JOC)評議員会で「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度規制しないとなかなか終わらないので困る」「組織委員会に女性は7人くらいおりますが、みなさんわきまえておられて」などと発言した。
この発言は日本のみならず、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、AFP通信、朝鮮日報など、海外メディアでも大きく報道されている。
果たして、森会長はオリンピックのあり方をまとめた「オリンピック憲章」理解しているのだろうか。オリンピック憲章は、オリンピックの目的が<人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること>であるとして、以下のような文言を掲げている。
<オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない>
<スポーツをすることは人権の1つである。すべての個人はいかなる種類の差別を受けることもなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えなければならない>
<オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない>
<男女平等の原則を実践するためあらゆるレベルと組織において、スポーツにおける女性の地位向上を促進し支援する>
毎日新聞の取材に森会長は「そういう声が強くなれば、辞めざるを得ないかもしれないですね。迷惑をかけるわけにいかないですから」と応じているが、たとえ辞任になったとしても、遅きに失した感は否めない。森会長がオリンピック憲章に反した発言をするのは、いまに始まった話ではなく、問題化するのが遅すぎたくらいだ。
ソチオリンピックで森会長が連発した問題発言
森会長はオリンピックを平和・国際協調・差別根絶といったものに寄与するイベントではなく「ナショナリズムの高揚」のための祭典として位置付けるような発言をたびたび行ってきた。2014年、ソチオリンピックの視察に赴いた際は特に多かった。
一つ目は、会見でのこと。森会長は英語ではなく日本語で話したのだが、記者から英語の語学力について質問を受けると森会長は「私の世代はよほど特別に勉強しないと、英語が理解できない」「(英語は)かつては敵国語で、外国との付き合いはなかった」などと発言した。
かつては敵国だったから英語は理解できないなどと断言するのは、「平和の祭典」であるオリンピックを主催する団体のトップにいる人間としてふさわしくないことは明白だ。
ちなみに、この会見の時点ですでに、組織委員会の役員が高齢の男性ばかりで女性が少ない点を指摘されている。
二つ目は、アイスダンスの日本代表として出場したキャシー・リード、クリス・リード組に対する発言である。
森会長は講演会のなかでリード姉弟に対して「アイスダンスっていうんですかね、あれ日本にできる人はいないんですね」「五輪出場の実力はなかったが、帰化させて日本の選手団として出して、点数が全然とれなかった」などと話した。
ふたりは母が日本人で、国籍選択の際に日本国籍を選んだ。帰化したわけではない。また、ふたりは2009年に日本代表としてバンクーバーオリンピックにも出場している。人種・出自・国籍に基づく差別を振りかざすばかりでなく、競技に関する知識も不足していることが浮き彫りとなった。
この日の講演では、浅田真央選手に対して「大事な時に必ず転ぶ」「負けるとわかっていた」「出して恥をかかせる必要はなかった」などとも発言している。森会長のこの言葉からは、オリンピックにおける日本選手の成績をナショナリズムの高揚につなげようとしていることがうかがえる。
先に引用した通り、オリンピック憲章では<オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない>と定めている。森会長のスタンスはオリンピック憲章に明らかに反している。
また、オリンピックの精神は「勝つことではなく、参加することに意義がある」である。国を代表する選手が残した結果ではなく、「どれだけ努力し・懸命に競技に取り組んだか」に意義があるのだ。
浅田真央選手に対する発言は「選手への敬意を欠いている」というだけでなく、オリンピックが開かれるそもそもの目的を完全に誤解していることがうかがいしれる。
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