【シリーズ黒人史1】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~奴隷制

文=堂本かおる
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鞭打ち

 奴隷は主に南部諸州のプランテーション(農場)で強制的に働かされた。タバコ、コメ、藍など様々な農作物の中から、やがてコットン(綿)がもっとも利益を生む、つまり量産される作物となっていく。

 酷暑の中、一日中腰を曲げ、トゲのある綿花を手で摘む作業は非常に辛いものだった。奴隷主によっては一日の収穫量にノルマを設け、達せられないと罰として鞭打たれることもあった。他にも些細なミスを犯した際や奴隷主側の言いがかりによって、時には奴隷としての生涯に耐え切れずに逃亡を企てて捕まり、鞭打たれることがあった。

黒人史月間:Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人奴隷の歴史の画像3

ミシシッピ州の奴隷、ゴードン。背中のムチ打ちの跡。1863年撮影(wikipediaより)

映画『それでも夜は明ける』予告編

ニューヨークに暮らす自由黒人でありながら誘拐され、南部で奴隷となったソロモン・ノーサップ(1807 or 1808 – 1875)の実話に基づく。

女性奴隷の強姦〜大統領はペドフィリア・レイプ犯

 ここ数年、アメリカでは市販のDNAキットを使って祖先を知ることが流行している。奴隷の子孫であるアフリカ系アメリカ人に白人の血が混じっていることは当人たちの間では前提となっており、「ヨーロッパのどの国か」「何%入っているか」が強い関心事となっていた。なかには黒人の両親から生まれながら、ヨーロッパのDNA比率がアフリカのそれを上回るケースもある。

 上記のトーマス・ジェファーソンの愛人であったサリー・ヘミングスはライトスキン(肌の色が薄い)の黒人であり、白人のジェファーソンとの間に生まれた子供たちは白人として通用する外観だったと伝えられている。サリーの母親は奴隷、父親はその奴隷主だった。母親の母親(サリーの祖母)も奴隷であり、父親は白人だった。

 ジェファーソンとサリーの年齢差は30歳。性的関係は大統領になる前のジェファーソンのパリ駐在の際、自分の幼い娘たちの遊び相手かつメイドとして、当時10代前半のサリーをパリに同行させた時期に始まっている。アメリカ建国の父は奴隷主であったことに加え、ペドフィリアにしてレイプ犯でもあったのだ。ただし、こうした背景から奴隷といえどもサリーの生活環境は若干恵まれていたとされている。

 だが農場で奴隷主にレイプされた奴隷女性たちは、そうではなかった。奴隷主を父に生まれたムラート(混血)の子供も奴隷として育てられ、奴隷主の意向によって母子生き別れの上、別の農場に売り飛ばされることもあった。奴隷は高価な買い物であり、奴隷が生んだ子を奴隷として使うのは、タダで資産が増えることを意味した。したがって奴隷の男女の間に生まれた子も同様の扱いであった。

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反奴隷論者によるイラスト「夫、妻、家族が関係なく異なる購入者に売られ、暴力的に引き離されるーー再会はおそらく無い」 壁のポスター「ニグロ、ウマ、ウシ、その他の資産がとてもお買い得」1853年(wikipediaより)

 女性の奴隷は奴隷主の屋敷でメイド、料理人、乳母となることもあった。過酷な農作業に比べると身体的には楽であったかもしれないが、他の黒人から切り離され、白人の中で働くことには別の辛さがあった。奴隷主の妻の中には自分の子の授乳を奴隷にさせる者もおり、奴隷主の子に母乳を出し尽くし、自身の赤ん坊に授乳できない母親もいた。それでも自分が育てた以上、奴隷主の子に愛情を抱く奴隷の女性、母親よりも密接に自分を育ててくれた乳母に懐く子供もいた。その関係性も子供の成長と共に「奴隷主と奴隷」に戻り、終わることとなる。

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白人の赤ん坊に授乳する奴隷。1861年。(wikipediaより)

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