Clubhouseに招待される気配すらない私はさみしい奴なのか

文=中村木春
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GettyImagesより

 ある日突然、私のSNSに「だれかClubhouse(クラブハウス)に招待してください!」という投稿が流れてきた。

 それも1人ではなく、複数である。

 「はて、なんだろな?」 と思っていたらあれよあれよという間に私のタイムラインは「Clubhouse始めました!やってる人話しましょう」などといった投稿で溢れ返った。

 みんなが話しているClubhouse。みんなが何かイベントをやっているClubhouse。

 なんとなく、みんなが東京で何か楽しそうなオシャレなパーティーをしてるのに自分はド田舎に住んでるから片道10時間くらいかけないと行けないしそもそも友達いないし駐車場あるのかなみたいな気分を思い出した。

 巷にはその使い方や楽しみ方などを書いた記事が溢れているが、そもそも招待される気配すらない私には、どこか遠い外国の不思議な食べ物の味を想像するのと同じくらい現実感がない。

 きっとそんな気持ちを抱えているのは私だけではないはずだと信じて、Clubhouseってそもそも何なのか、そしてClubhouseという文字を見るたびどうにも胸がざわつくのはなぜなのかを考察してみたいと思う。

Clubhouseって一体何?

 Clubhouseは、2020年春にアメリカでスタートした音声のSNSだ。開始から1年ほどでユーザー数は200万人を突破している。 現在はiOSのみ対応。

 アプリ内では、ユーザーが自由にテーマを設けたRoom(部屋)を開くことができ、そこでユーザー同士が会話をしたり、その会話を聞いたりすることができる。

 録音や書き起こしはルール上禁止となっており、Roomの中での会話は原則リアルタイムでしか聞くことができない。通称“参加できるラジオ”などと呼ばれている。

 前澤友作、茂木健一郎、藤田ニコル、バカリズム、蓮舫など続々と著名人が参加しはじめ、それに伴って1月下旬あたりから日本で突然のブームが巻き起こった。

 Clubhouseが他のSNSと大きく違うのは、完全招待制であるという点だ。誰かの招待を受けなければ、始めることができない。しかも、ユーザー1人につき、最初は2人しか招待することができない(その後、招待枠が増えたらしい)。

 これにより、誰かが「Clubhouse始めました!」と投稿すればそこにすかさず「招待してくれませんか?」とどこからかハイエナたちが群がってくるという(私の目にはとても)恐ろしい光景が日々SNS上で繰り広げられ、フリマアプリなどではその招待枠が売買されている。

 完全に置いてけぼりを食らっている私のもとにも、先日、最近疎遠な知人から「Clubhouseやってる?」と明らかに招待枠狙いの連絡があった。「やってないよ。元気?」と返答すると、もう応答がなかった。

 久しぶりに連絡があった同級生とガストに行ったら分厚いファイルを出されて宗教の勧誘を受けたときのやり切れなさと同じ気持ちを噛みしめている。

で、Clubhouseって海外でも流行ってるの?

 今月に入って英ガーディアン紙や米ワシントン・ポスト紙など欧米メディアが続々と「Clubhouseって何?」といった記事を出し始めたのを見ていると、あちらも日本と同じような「え、何? 流行ってるの?」的な状況なのではないかと思い、ロンドンに住んでいる私の友人たち(主に20代〜40代・10数名ほど)に状況を聞いてみた。

「アメリカでも流行ってるらしいけどよくわからない」
「私の好きなドイツの作家が使ってるらしいよ」
「入りたいけどAndroidだから無理」
「誰か招待してくれ」
「入ってる人が自慢してくるからうざい」

などと、日本で聞いても同じ反応が返ってきそうな声がちらほら。大半は「知らない」とのことで実際に利用しているという人はゼロだった。

 IT・Tech系や起業家の人らを中心に拡がっているとのことだったので、もし私にそういった知り合いがいれば全く違う結果がでただろうと予想される(ほとんどフリーランスという名のフーテンみたいな人しか知り合いがいない)。属するコミュニティによってその認知度に大きな開きがあるようだ。

アメリカでは問題視する声も、中国では当局から規制か

 アメリカでは、新型コロナウイルスの陰謀論を語る人が現れたり、マイノリティへの差別や偏見を煽るような会話がチェックされることなく行われていることなどが問題視されている。

 規制が厳しくGoogleやTwitterなどを使うことができない中国では、新疆ウイグル自治区や台湾独立、新型コロナウイルスに対する政府の対応などについて自由に議論できる貴重なプラットフォームだとして若い世代を中心に急激な拡がりをみせていたが、日本時間8日夜に急に接続ができなくなり、当局から規制が入ったのではないかと予想されている。

Clubhouseの急激なブームを見ていると、なぜか心がざわつく

 と、海外の情報を調べてClubhouseについてよく知った気になっているが、結局のところ私はClubhouseを一度も使ったことがない。

 次々にタイムラインに流れてくる「19時からClubhouseで〇〇について語ります!」「明日はClubhouseで集合しましょう!」などという告知を見ても、そもそもそこに入る資格を持っていない私には「ふーん」と言う以外、どうすることもできない。

 Clubhouseそのものについて「流行っているから嫌だ」的な嫌悪を抱いているわけでは決してなく、これは使い方によってはとても良いツールになり得ると思うし、何よりとても楽しそうだなとは思う。

 でも、このざわざわとした気持ちはなんだろう。

 私はこれを、「Android民かつ招待される気配がないことからくるただの嫉妬と羨望なのだろう、こんな卑しい気持ちをもつ私はなんて器が小さいんだ、嫌なら見なきゃいいじゃないか」と結論づけて自分を説得したが、どうも理由はそれだけではなさそうなのだ。

招待制によって生まれるヒエラルキー

 前述した通りClubhouseというアプリや純粋に楽しんで利用されている方々に異論は全くないのだが、私はただ、たまーにこのClubhouse周辺から漂ってくる“特別な”空気に参っているのだ。

 この気持ちは、 iPhoneを買ってメルカリで招待枠を競り落としたとしても、拭い去ることができないだろう。

 そんな大げさな、と思うだろうし実際そうかもしれないのだけど、毎日SNSを見るたびにきしむこの気持ちは、この「超有名人ですでにClubhouseをやった上で文句を言ってる人>バリバリ使ってる人>やっと入れた人>どうしても入りたい人>そもそも入る資格のない人」などと目にも止まらぬ速さでヒエラルキーが出来上がっていくこの構造への気持ち悪さから来るのだろうと思う。

 ぼっちでも平和だった私のSNSにいやでも流れてくる“私が入ることのできないコミュニティ”による無差別なキラキラ感の撒き散らし(にみえる)に、学生時代に感じていた集団の中での圧倒的な劣等感や疎外感を思い出している。

 それは、例えばこんなことだった。

 中学生の頃、毎日クラスの隅っこで石と化していた私は、目立つイケイケグループが「放課後クラスのみんなでカラオケいこ〜!」「うちらのクラスってみんな仲良しだよね」などと大声で話すたびに、心を痛めていた。

 彼らは“みんな”という言葉を使っているが、その“みんな”にはもちろん私は含まれていない。

 彼らのグループと仲の良い人々や、校内で何かしらのステータスを持つ者だけが歓迎され、私のような者のことなどはそもそも人間としてカウントされていない。

 そして無邪気な彼らは、そのことにすらおそらく気がついていない。

 なぜなら、彼らに私はそもそも見えていないからである。

 そのグループと仲良くしたいとかそういうことではなく、自分という人間がその教室の中では、透明人間になってしまっているような気分がして、やりきれなかった。

 何もできずに、劣等感を感じてしまう自分も嫌だったし、それによって優越感を感じているという意識すらないくらい“特別”な彼らと一緒の空間にいることが、辛かった。

 もうとっくに忘れたと思っていたあの頃の気持ちが、ここ数週間のClubhouseにまつわる一連の盛り上がりをみていたらむくむくと甦ってきた。

“特別感”が人気に火をつけている

 相当飛躍したが、私が勝手に自分の中にある劣等感や疎外感に対する恐怖を刺激されて傷ついているだけなので、彼らにもClubhouseにもなんの罪もない。

 「そんなにイヤならSNS見なきゃいいじゃん」と言われそうだが、それは「そんなにイヤなら学校来なきゃいいじゃん」と言うのと同じで、私はSNSをたまにみるのが好きだからそこにいたいのだが、無邪気なClubhouse関連のキラキラ投稿を見かけるたびにあのヒエラルキー最下層時代を強制的に思い出させられているような気がして、どうにも胸が切なくなる。楽しんでいらっしゃる方々に利用を自粛して欲しいと言っているわけでは決してない。

 ただ、こんな気持ちを抱いている者もいるんですよいうことを、ほんの少しだけでもお伝えしておきたいと思っただけである。

 Clubhouseしてないけど、私はちゃんと存在しているよ。

 しかしこの、誰よりも先に流行のものを使用しているという“優越感”、そしてそれに追いついていくことができない“劣等感”を生み出す構造こそが、Clubhouseの急激な人気に火をつけているのではないかと思う。

Clubhouseは主要SNSのひとつになり得るか

 「Clubhouseに招待されないからいじけてるんだね」

と思われても仕方ないことばかり書いてきた。違うと言いたいが実際そうかもしれないのでもうよくわからない。

 なにはともあれ、このような様々な議論や気持ちを引き起こすSNSの登場は久しぶりなので、ワクワクしている。

 Clubhouseは、ゆくゆくは招待制を廃止して、Androidにも対応していく予定だとされている。

 そうなれば、この妙なヒエラルキーを産む構造が消え去り、毎日せっせと「昨日もClubhouseで深夜まで話してしまったw」「Clubhousもう飽きてきたわー」などと投稿する勢が絶滅し、また私のタイムラインにも平和が戻ってくるだろう。

 一時的な熱狂を通り越したあと、Clubhouseがどんな成長を遂げるのか。

 FacebookやTwitterのようなSNSの一大勢力になり得るのか。これからも向こう岸からその輝きを見守っていきたい。

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