「もしもし? 金村さんの携帯ですか?」
知らないひとはいない新聞社からだった。
「すみません。いま、電車なんで。折り返しかけ直します」
早口で告げる。2,3分だけ待ってくれ。つぎの駅までもうちょいだから。
殺風景なホーム。毎年行ってる新潟の奥地みたい。さっきの番号をタップする。
「さきほどはすみません」
彼が謝る。気を遣わせて申し訳ない。
「いえいえ。どんなご用件ですか?」
「実は記事を拝見しまして」
2月中ごろ、福島の沖合で地震があった。3・11のときみたいな長い揺れ。収まったあと、「朝鮮人が井戸に毒を投げた」との書き込みが流れた。関東大震災後の虐殺事件を「ネタ」としか思っていないのか。不気味さをやりすごしたくて万年筆を取っていた。大手Webメディアでわたしの文章が公開されたのは5日後。さまざまなひとが読んだらしい。いま、携帯の向こうから話す彼も読者のひとりであるようだ。
「有難うございます!」
見えない相手に頭を下げる。
「とても心にきました。先日、テーマにされたデマについて取材したいんですけどいかがですか?」
ふたつ返事で了承した。日時と場所を決めて切る。つぎの普通列車はもうきていた。
東京にはあまり行かないらしい。だから、上野駅中央改札を指定したのだが。到着のメッセージをしたのは5分前。返事がない。もしかしたら迷ってる? だいじょうぶか? iPhoneを見た。約束の時間までまだなのか。なんか恥ずかしい。KIOSKの横で待ちつづける。
すこし時間が経った。背の高い男がこちらにくる。スーツだ。
「金村さんですか?」
待ちびときたる。しかし、マスクをしていたのにどうして分かった? まぁ、いい。会えたんだから。長居できる店へいっしょに向かう。大きな横断歩道に出た。
「東京はいかがですか?」
遠くからきたお客さんにはいつもたずねる。
「対策してないみたいでびっくりしました。大阪のほうがもっとちゃんとしているというか」
くる途中、ひさしぶりにあった幼なじみも似た話をしていたなぁ。
カフェに入る。いや、純喫茶と呼んだほうがいい。名刺を交換する。頼んだ紅茶とコーラフロートがきた。彼はノートとペンを出す。
「先日のデマについてなんですが」
取材がはじまった。マスクはしたままで。素直に答える。でも、回りくどかったり、詰まったり。おしゃべりなくせに下手である。でこぼこなことばに耳を傾けてくれた。ときおり、メモしている。とても真摯だ。勉強になる。
終わりそうなときだった。
「金村さんは韓国…というか朝鮮半島につながりを感じていますか?」
どう答えよう。小学生のとき、帰化した。銀行口座を開くのに必要だった通名が本名になっている。生まれてから日本の学校だ。
『日本国籍じゃあね』
『民族名にすべきだ』
『朝鮮学校(ウリハッキョ)に行かないと』
同胞たちからいまでもいわれる。もちろん、一部だけだ。「朝鮮人や韓国人は出ていけ」と叫ぶひとたちとおなじように。わたしは望まれた在日じゃないのだろう。
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