【シリーズ黒人史2】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~リンチ

文=堂本かおる

連載 2021.02.25 11:30

1980年代:ニューヨークで連発したリンチ

 上記の事件を最後にリンチ数は0となり、タスキーギ・インスティテュートの統計も公民権運動の終了年とされる1968年で終わっている。だが1980年代になると南部でなく、北部のニューヨークで黒人リンチが連発した。

 1982年、1986年、1989年に3件の非常に似通った事件が起こっている。場所はニューヨーク市内の異なる白人地区。いずれも帰宅途中に夜食を買う、乗っていた車が故障した、買うつもりの車を下見に行くなどの理由によって3~4人の黒人男性/少年が白人地区に足を踏み入れたところ、白人の若者10~30人程度の集団に囲まれ、暴行を受けている。その結果、ウィリー・タークス(34)は棍棒で頭部を殴られ死亡。マイケル・グリフィス(23)は犯人たちの車に追いかけられて高速道路に出たところ、通りかかった車に轢かれて死亡している。ユセフ・ホーキンス(16)は射殺された。死亡者と同行していた友人たちの中にもバットで殴られるなどして負傷者があった。

 3件とも主犯として実刑判決を受けたのは10代の青少年だった。そのうちの1人、当時はまだ高校生だった17歳の白人少年は友人たちに「大通りに(Nワード)がいたぞ」「そいつらを殺しに行こうぜ」と誘っている。16歳の黒人少年が射殺された事件では、地元の少女が黒人やラティーノの男性と交流していることに嫉妬した少年グループが無関係の犠牲者をその相手と勘違いしたとされている。

 当時、ニューヨーク市では治安の悪化と共に人種間の緊張が高まっていた。特に1989年にはマンハッタンのセントラルパークで白人女性が強姦の上、瀕死の重傷を負わされた事件で5人の黒人とラティーノの少年(14~16歳)が誤認逮捕されており、白人から黒人への不信感と憎悪が頂点に達していたと言える。

 その空気を後押ししたのが、当時は政治家ではなく一介の不動産業者であったドナルド・トランプだった。トランプは少年たちの逮捕直後、裁判すら始まる前の段階で、同州では廃止されていた死刑を復活させるよう大々的に推奨した。上記の16歳の黒人少年射殺事件への抗議運動の際、カウンターの白人グループが「セントラルパーク!セントラルパーク!」と叫んだと報じられている。

司法による黒人リンチと呼べるセントラルパーク・ジョガー事件のドラマ化作品
Netflix『ボクらを見る目』(2019)予告編

1998年:白人至上主義者によるリンチ

 上記の最後の事件から9年後の1998年。テキサス州で白人至上主義者による常軌を逸したリンチ殺害事件が起きた。

 黒人男性ジェームズ・バード(49)が道を歩いていたところ、3人の白人男性が乗ったピックアップ・トラックが停まり、家まで送ると申し出た。バードがトラックに乗り込むと、3人はバードの家ではなく林の中の空き地に向かった。

 そこでバードは3人から殴られ、顔に黒いスプレー・ペイントを吹きかけられ、鎖で足首をトラック後部に繋がれた。トラックはバードを引きずったまま約5キロ走行する。バードの身体は途中でコンクリートの排水溝に激突し、片腕と頭がもげ落ちた。3人はバードの遺体の残りの部分を黒人教会の前に放置し、バーベキューに出掛けた。

 事件が起きたのは今からわずか23年前のことだ。3人は逮捕され、2人は死刑となった。終身刑となった1人は今年46歳で現在も獄中にある。犠牲者のジェームズ・バードは生きていれば今年72歳になる。1967年に現地の公立高校を卒業した際、学校が白人と黒人で人種隔離されていた最後の年度生であった。

南部とニューヨーク 昔と今

 本稿に挙げたリンチの実例はいずれも想像を絶する残酷さであり、人間が人間にこうしたことを為せる理由は理解し難い。だが、いくつかの共通項もみえる。

 まず、奴隷であった黒人を、少なくとも昔は人間と捉えていなかった。そこから黒人が殺人、窃盗、強姦などの罪を犯した(と疑った)際には情け容赦なくリンチ、殺害を行った。そこには犯罪への罰だけでなく、白人に逆らった、楯突いたことへの罰と、他の黒人がそれを模倣しないための見せしめの意味があった。他者から見えるように吊るし、写真撮影し、絵葉書としたのはそれが理由だ。

 白人男性は白人女性を自身の所有物と捉えており、所有物に手を出された(と疑った)際には特に容赦がなかった。これには他の白人から「自分の女も守れず、黒人ごときに盗られたのか」と嘲笑されることへの恐れが含まれていた。また、黒人男性はセックスに強いという神話がいつしか生まれ、白人男性にはコンプレックスが芽生えていた。

 1980年代には、かつて奴隷制を敷いており、そこからの黒人差別が風土として残った南部ではなく、最もリベラルな都市として知られるニューヨーク市でリンチが多発した。いずれも市内の白人労働者階級の街で、10代の少年たちによって起こされている。

 ニューヨーク市では1990年代より現在に至るまで黒人への警察暴力事件が相次ぎ、Black Lives Matterへと繋がっている。世代的には1980年代に少年だった層が成人し、警官にもなっているであろうタイミングだ。

 警官による黒人男性殺害が多発した1994~2001年にニューヨーク市長を務めていたのは、先日までトランプの個人弁護士であったルディ・ジュリアーニである。市長時代、ジュリアーニは犯罪発生数を抑えるために黒人への職質徹底策を指揮し、そこから警官による黒人男性の射殺が相次ぎ、警察署に連れ込んでのリンチ事件も発生した。ニューヨークにおいて黒人市民と警官との間に埋めがたい深い軋轢が生まれた理由である。(次回に続く)
(堂本かおる)

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