
ENDRECHERI『NARALIEN』(ジェイ・ストーム)
堂本剛(KinKi Kids)にまたもや「ジャニーズ事務所退所」疑惑がもちがあっている。
東京スポーツ(2021年2月15日付)によると、堂本剛は今年の6月をメドにジャニーズ事務所を退所する報道で調整しているという。
KinKi Kidsは昨年6月に堂本剛が作詞作曲を担当した「KANZAI BOYA」というシングルをリリースしている。これはジャニー喜多川氏(2019年7月逝去)との思い出を笑い混じりに振り返った、お笑い好きの剛らしい弔いの楽曲だった。ちなみに、「KANZAI BOYA」とは、KinKi Kidsに名前が決まる前のユニット名で、これも独特なネーミングセンスが特徴のジャニー氏が名付けたものだ。
東スポによれば、剛はこの曲のリリースから1年の節目でジャニーズ事務所を去り、「アイドル」という枠にはおさまらない、もっと自由な音楽活動を目指すという。2018年には関ジャニ∞の渋谷すばるも同じような経緯でジャニーズ事務所を退所している。
「アイドル」のイメージと戦い続けた堂本剛
堂本剛の退所報道はジャニー氏が亡くなった直後からたびたびもちあがってきた。剛が以前から、「ジャニーズ事務所所属のアイドル」という肩書きが、自分の本当にやりたい仕事やその評価の邪魔になっているといった考えを漏らしてきたことは確かだ。
それは1997年にKinKi Kidsとしてデビューした直後から一貫して変わらない。1999年から2005年まで「Myojo」(集英社)に連載したエッセイを集めた『ぼくの靴音』(集英社)には、<本当は、作られた“堂本剛”なんて要らない。ありのままの自分で、たくさんの事を感じたり、作ったり、愛したり出来れば良い>といった言葉が綴られている。
「作られた堂本剛」から抜け出るために始めたことのひとつが、自分で楽曲をつくることであった。しかし、その道はつらく、険しいものであったという。当時は自分で作詞作曲をするジャニーズのアイドルはほぼおらず、「ただ歌って踊るだけのアイドル」といった色眼鏡で見られていたからだ。2018年放送『SONGS』(NHK)では、作詞作曲を始めた当時をこのように振り返っている。
<曲をつくって最初にプレゼンさせてもらったときはみんなに言われたんでね。『本当にアイツがつくってんの?』とか、『ジャニーズでこんなのつくれるヤツいんのか?』とか、いっぱい言われたんでね。で、その度に悲しかったけど、それが現実やったから>
偏見に満ちた周囲からの評価には、言葉にできないほど悔しい思いもしてきたことだろう。
2019年にはKinKi Kidsのファンクラブ会員に向けた会報「[Ki]×3」で<自分のやりたいことができる人生を歩んではこなかった><客観的に自分を見たとき、かわいそうだなって><ジャニーズだからっていうような概念は第三者が勝手に提供してくれるもの><第三者が作った概念におつき合いすることに対して意味を感じなくなってしまった>といった意味深な言葉を残している。
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