李光洙と夏目漱石、両国を代表する文豪の対比から見える日韓が歩んだ「近代」/斎藤真理子の韓国現代文学入門【6】

文=斎藤真理子
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 さて、私がこの二つの小説について考えるときに、いつも思い出す二つの場面があります。

 まず、『三四郎』の、主要人物みんなで本郷団子坂の菊人形を見に行く場面です。菊人形の見物客が多かったため美禰子が体調を崩し、そのために三四郎と二人きりで小川のそばで休むことになり、そこで「ストレイ・シープ」というせりふが出る、大事な伏線です。

 目的地に行く途中に、彼らは道で物乞いをしている男に出会います。そこを引用してみましょう。

 大観音の前に乞食がいる。額を地に擦り付けて、大きな声をのべつに出して、哀願を逞しゅうしている。時々顔を上げると、額の所だけが砂で白くなっている。誰も顧みるものがない。五人も平気で行過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
「君あの乞食に銭を遣りましたか」

 熊本から出てきて間もない三四郎は、自分より困窮している者には施しをするべきだという社会通念を疑うことなく生きてきました。ところが、東京で出会った広田先生や学生たち、女性たちは、そんなことは気にしておらず、好き勝手に批評家のようなことを言います。あんなにせっついていちゃお金をやる気にもならないとか、山の上の寂しい場所で会ったらやる気になるかもしれないとか。

 三四郎は密かに、「自分が今日(こんにち)まで養成した徳義上の観念を幾分か傷(きずつ)けられるような気がして」ショックを受けますが、やがて、彼らは自分に正直なのだと思い当たります。なぜなら、自分の中にも、うるさい大声を張り上げている乞食に金をやりたくない気持ちがあったからです。

 自分はそんな気持ちを表に出すことなど思いつきもしないが、東京の彼らは屈託なくそれをやってのける。つまり、彼らが批評家でいられるのは、誰かの顔色をうかがわなくてもいいからであり、「己れに誠であり得るほどな広い天地の下に呼吸する都会人種である」からなのだと気づきます。

 片や、『無情』にはこんな一節があります。

「いま乞食を虐めて馬鹿にすることは、将来あなたの子孫が私の子孫に同じことをしても構いませんということではないか」

 言い添えておくと、『無情』の中に実際に乞食は出てきません。これは、李亨植が、恵まれた女性(善馨)と恵まれていない女性(英采)の間で目移りしてあれこれ考えた末、恵まれた人間がそうでない人を蔑むのは実に愚かなことだと考えて口にする台詞なのです。李光洙はこのことがよほど言いたかったのでしょう、「富んだ先祖を持たぬ乞食がどこにおり、乞食の先祖を持たない金持がどこにいよう」とくり返し書いています。

 李光洙は10歳のときに両親をコレラで失い、非常に苦労した人でした。ずばぬけた才知を持っていたために見いだされて日本留学への道が開けたのですが、子ども時代には足蹴にされるような思いを何度も味わったはずです。生まれつきですべてが決まってしまう世の中や、自分より下の者を蔑みいたぶる人々を文章の力で変えようとして、彼は奮闘努力したのです。

 この、乞食をめぐる二つの言説からだけでも、興味深い対比が見られるように思います。つまり、漱石はここでさりげなく偽善を戒めていますが、一方で李光洙は真っ向から悪を非難し、善を勧めているのです。

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 李光洙は、一国が存亡の危機を迎え、日本に飲み込まれるところを目の当たりにし、厳しい生存競争の中で民族が力を持つにはどうしたらいいかという問題に直面した作家です。先にも書いた通り、『無情』執筆当時の彼は、生存競争に勝つには欲望が必要なのだから、親はすべからく子どもに対して、欲望を持つべく教育すべきであるという考え方を持っていました(それは「子女中心論」という論説に現れています)。

 『無情』の中でその激しさが最も強く現れているのは、亨植との三角関係に外から影響を与える女子学生、炳郁(ビョンウク)ではないかと思います。この人は日本留学中であり、夏休みで朝鮮に帰省したという設定になっていますが、ともあれ、炳郁の決め台詞がこれです。

「世の中が幸福をくれないなんてことが、あるもんですか。くれなきゃ、よこせって言うのよ。それでもよこさなきゃ、無理やりに奪い取るのよ。奪ってもよこさないようなら、せめて仕返しするのよ」

 この言葉は、悲しい運命を嘆いて自殺を考える英采を励ますために、炳郁がかける言葉です。

 私はここを読んだとき、百年以上前の小説とは思えない同時代性を感じて驚いたのです。そもそも『無情』という小説は女性たちに魅力があるのですが、中でも炳郁は、李光洙と東京で恋愛関係にあった朝鮮初の女性西洋画家にして作家、羅恵錫(ナ・へソク)がモデルともいわれ、そのせいかいっそう生き生きとした手応えがあります。

 初期の李光洙が決してマッチョな作家ではないのには、こうした「新女性」たちの影響も少なからずあると思うのですが、今は述べている紙幅がありません。

 そして、炳郁の決め台詞は続きます。

「それに、考えてもご覧なさい。あなたみたいに悲しい目に遭っている人が、この世であなただけだと思うの。とくにこの国は、そんな可哀相な人が山ほどいるはずよ。だったら私たちは、このいけない社会制度を変えて、せめて子孫だけでも幸せに暮らせるようにしてやらなくちゃ。私たちがやらなくて誰がやるっていうの。それなのに、あなたが自分の苦労に負けて死んでしまったら、それは子孫に対する責任の放棄よ。だからね、できるだけ長生きして、できるだけいっぱい働きましょうよ。さあ。泣いていないで、苺でも食べましょう」

 これなど、苺を勧めるくだりまで含めて、2020年代の小説にそのまま出てきてもおかしくないのではないでしょうか。翻訳の力のおかげでもありますが、原文を見てもさほど時代の隔たりを感じません。

 炳郁の言葉は正論です。このような、まっすぐな、まばゆいほどの正論が、100年の時を隔てて小説の中からこちらを見据えており、その光が失われていないということ、その正論の目力の強さに、私は少々たじろぎを覚えます。

 なぜなら、現代の韓国の小説を読んでいても、それに近いことをときどき感じるからです。

 そもそも、朝鮮時代からの伝統として、文を書くほどの者は世の人々を教え導くべきである、という構えが韓国にはあります。これを文学にあてはめるなら、小説は、倫理・道徳、あるいは一種の正論を盛る食器のようなものと見てよいかもしれません。小説のテーマがどんどん多様化し、技法が洗練されてきた今日でもなお、韓国の文芸評論にはたびたび「倫理」「道徳」といった言葉が見られます。これは、そのことと無関係ではないと思っています。

 もちろん、個々の作家の中で、一つではない「正しさ」への模索は不断に行われているわけですが、そうであってもやはり小説は、不完全な世の中にあって、喰らうべき正論を盛る食器としてさまざまに機能していると思うわけです。そして、『無情』という啓蒙小説の中で炳郁が展開する正論は、今も十分に説得力を持っています。

 私は漱石も『三四郎』という小説も大変好きですが、こと女性の登場人物に関しては、「われは我が咎を知る」という意味深長な言葉を残して結婚してしまう美禰子より、炳郁の決め台詞の方に親しさを感じます。そして、炳郁のモデルとなったといわれる羅恵錫が、まさに家父長制に体当たりするような芸術家人生を、大変な苦難とともに生き抜いたことが忘れられません。

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