『弘中綾香の純度100%』には、弘中アナが「Hanako.Tokyo」に連載したエッセイや対談を収録。それによると、弘中アナはもともと東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年をテレビ朝日アナウンサーとしてのキャリアの一区切りにしようと考えていたという。
東京五輪の開催が決定したのは、弘中アナが入社した2013年の9月。いよいよ本番の2020年となったわけだが、開催は延期に。コロナ禍で激動かつ停滞の一年となった2020年を終えようとしていた12月、その心境を彼女はこのように綴っている。
<これまでは必死に「一人前になりたい」「認められたい」という気持ちで走ってきたけれど、このままでいいのだろうか。自分がかつてなりたかった自分にはなれているんだろうか、モヤモヤする日々。でも時間の経過とともにだんだんと日常に戻り、また忙しさにかまけている。
率直に言って、答えは出ていない。むず痒い気持ちは今もまだ続いている。どんな仕事も二つ返事で全部こなすのが良さだった私が、これは本当にやるべきこと?と立ち止まることも多くなった>
なるほど、これは前述『太田伯山ウイカの「はなつまみ」』で弘中アナが明かしていたことにも通じる。
もともとこの番組は、『太田伯山 悩みに答えない毒舌相談室』という爆笑問題と太田伯山の番組で、進行役は弘中アナが務めていた。しかし、昨年秋にファーストサマーウイカをレギュラーに加えて番組がリニューアルされたタイミングで弘中アナは番組から抜けた。この経緯を責める太田光と神田伯山に対して弘中アナは、その背景に自らのこうした発言があったと示唆している。
<私が一極集中でやっていくと、2〜3年後誰がやるんですか? 後輩をちゃんと育てていかないと、会社として良くないですよね>
弘中アナは局アナとして入社しながら、情報番組も報道番組もほとんど担当してこなかった。エッセイでは<もう傍流も傍流すぎて、どこをどう行けば本流に戻れるのかわからない(戻ろうとも思ってないけれど)>とも綴っている。
さらに林真理子との対談では、30歳という年齢は結婚して会社を辞めるアナウンサーも多いとし、<新卒からがむしゃらにずっとやってきて、30歳になって報道へ行きたいのか、それこそバラエティでやっていくのか、会社を辞めてフリーになるという道もありますし……>と言及。まだ模索中ではあるものの、フリーに転身するのも時間の問題かもしれない。
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