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「女性は感情的、男性は論理的」だと、おおっぴらに公言する人は減っている。しかし、それに類することは、現代でも耳にすることはある。たとえば、「女性の話は長い」だとか。
よく言われるのは、「女性は共感を求める生き物。だから、女性から悩みを相談されたら、解決策を求められているのではない。共感をして、ただ話に耳を傾ければよいのだ」という話。何の悪気もなく、むしろ男女仲良くするための方法としてそういう言説は垂れ流されている。
「女性の悩み相談は、男性には理解できないほど非生産的で非論理的」という物語
「女性が悩み相談をする際に、もっとも求めているのは共感である」というのは事実だろうか。事実ではない、と私は思う。正しくは、「もっとも求めているのは悩みの解決策である。しかし、すぱっと悩みを解決できる策などない。(あるとすれば一番悩んでいる本人が気づいているはず)。確実な解決策など見つからないのだから、それを前提として傾聴し合おう。悩み相談をするなかで、自分の感情に整理がつき、目指すべき道も見えてくるかもしれない」という希望ではないか。
「女性の悩みを聞いていて、解決策を提示したけれど、ムッとされてしまった。どうやら彼女は話を聞いて、共感してほしかっただけなのだ!」と男性が勘違いするのは、以下のようなことが起こるからだろう。
Aさんが、悩みを打ち明ける
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Bさん。その場で思いついた解決策を述べる
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Aさんは、それがベストな解決策だとは思わない。そもそも実行不可能な場合も多い。前提として、散々悩んでいる本人を差し置いて、少し話を聞いただけの他人が解決策を提示できる確率は低い。それなのに、自信満々に「これが解決策」とか言われても……。しかもなぜか上から目線だし……。
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Bさん。あれ、解決策を言ったのに。
そっか! 女性は、男性と違って解決策なんか求めてなかったんだ!
「解決策を求めずに、愚痴るなんて生産性のないことを女性はしているんだね。男性とは違うね。女性は感情の生き物なんだね」
……こうして、「上から目線のアドバイスがなければ、自分の気持ちの整理につながる有意義な時間になっていたかもしれない」という事実は見過ごされる。
「男たるもの、女のように感情的に、非生産的・非論理的なことをしないものだ」という考え方は、冷静に考えればそれこそ論理的ではない。人類皆感情はあるのだから「男たるもの、感情的になってはならない。愚痴ったり、泣いたり、繊細さを見せてはいけない」というのは根性論にすぎない。だが不思議と、男性の繊細な感情の否定することによって、「男とは女よりも論理的な生き物だ」という「論理」がまかり通っている。
感情を論理の下位におき、女性を男性の下位に置くことによって、上位にいられる男性は気持ちよさを感じるかもしれない。上位でいられる限り、そのイデオロギーを支持したいと思うかもしれない。
しかし、ライターの尹雄大氏は著書『さよなら、男社会』(亜紀書房)において、男性と感情を切り離すことは、男性の生きづらさの原因になると述べている。
「感じるな、達成しろ」という抑圧

『さよなら、男社会』(亜紀書房)
尹雄大氏は、男性のいう論理とは、真に論理的という意味ではなく「ノウハウによって現状の問題を克服し、目標達成していこうという行程」のことである場合が多い、と指摘している。感情を否定し、「自分がやりたいかやりたくないかはさておき、とにかく組織のために目標達成することこそ論理的であるべき男性の態度」であり、それこそが男らしさだ、というわけだ。
そうなれば、男性にとって感じることは極めて危険な行為になる。感じること=忌むべき「女々しさ」なのだから。「女々しい」感情に打ち勝つこと、つまり自分自身から目を背けることが、「弱さの克服」であり「強さの証明」と考える男性は、個人としての感情よりも全体としての達成を目指すことになる。
「女性=感情的、男性=論理的であり、個人の感情より達成を重んじる」というイデオロギーで得をするのは誰だろう。まず思いつくのは、ファシズム国家のトップ、またはブラック企業的組織のトップだろう。彼らにとって、自分の感情を抑圧し、滅私奉公的に組織のために働いてくれる人ほど有り難いものはない。個人の感情なんていう劣ったものと距離をとるために、必死に働く男性によって回る経済もある。
「女性は感情的、男性は論理的。論理の方がエライ」というイデオロギーは、「感じるな、達成しろ」という抑圧に簡単にすり替わるのだ。
人として自然な感情を抑圧することには、当然弊害もある。男性の引きこもりの多さ、自殺者の数などは、「個人の感情はさておき、成功しろ、達成しろ」という社会的プレッシャーが一因だろう。
では、男性はどうすればこの社会的プレッシャーから解放されるのだろうか?
<あなたが男性であることで生きづらいとすれば、それはあなたの中の男性性が生きづらい生き方を体現し、抑圧されるべき女性性を日々育て、そうではない現実の女性を見て嫌悪しているかもしれない>(P.199)という尹雄大氏の指摘は、「個々人が内なる女性性と男性性と向き合うことが、男性の生きづらさを軽減するヒントとなり得る」ことを示唆している。
女性は感情的だ、と一度でも感じたことがある男性は、自らのなかにある感情と向き合うことで、より生きやすくなるのかもしれない。
(原宿なつき)