
Johnny’s netより
今月21日放送の『シューイチ』(日本テレビ系)でKAT-TUN中丸雄一氏が、橋本聖子氏の東京五輪・パラリンピック組織委員会会長就任を受けて「女性だからという理由で起用されたところはちょっと疑問がある」と疑問を呈した。
前会長である森喜朗氏は、女性蔑視発言に国内外から多くの批判が上がり、会長職を辞任。後任として橋本聖子氏が選出され、受諾した。『シューイチ』でこの話題を取り上げると、中丸氏は以下のように述べた。
<今回の件は致し方がないと思うんですけど、女性だからという理由で起用されたところはちょっと疑問があって、今回は『女性が引っ張るんだ』というメッセージを発信しなければいけないからっていうのは理解できるんですけど、本当に平等を目指すんであれば>
<本来そういう能力がある方が起用されるような未来になるといいなと思います>
このコメントにTwitter上では「男社会で男性が選ばれてきたのは“男性だから”では」「橋本さんに適切な能力がないと聞こえて失礼」「ジェンダーバイアスに関して勉強不足では」と批判的な意見が見られる。一方で「確かに“女性だから”で選ばれるのはおかしい」と中丸氏に賛同する声も。
そもそも森氏の後任について、ネット上では「女性にしなければ世界に示しがつかないのではないか」など多様性をアピールできる人事の方がよいという意見もあれば、「“女性”を理由にするのは選ばれた人に失礼ではないか」「男性でもジェンダーやダイバーシティをきちんと理解しているならばいい」「ジェンダー平等をアピールするために女性を起用するのは安直だ」など賛否両論が出ていた。
しかしこれは、「一体何度めなのか」と言いたくなるような論点だ。後述するが、日本において政治や経済の重要な意思決定層に女性が少なすぎることは、これまでもずっと国際社会で指摘されてきた。政府が「女性の活躍」を掲げながら、クォータ制の導入には消極的であり、このことが議題になるたびに「女性に下駄を履かせるな」「能力のある人間を登用すべき」とかき消されてきたのだ。
橋本聖子会長は“ガラスの崖”に立たされている
橋本聖子新会長の置かれた状況を「ガラスの崖」ではないかと心配する声も見られる。
「ガラスの崖」とは、失敗する可能性が高い危機的状況のときに、女性が男性よりもリーダー的ポジションにつきやすい現象のことを示す。
新型コロナの蔓延が収まらない中で、開催の可否を含めた判断が求められるうえ、開催予定まで約5カ月という状況での会長交代。
そもそも厳しい状況下での会長就任にもかかわらず、状況が悪化した場合に「女にやらせなければよかった」「女性に決断力を求めるのは難しかった」などと橋本氏が批判されるのではないかとの懸念もある。
男女平等には遠い日本の意思決定の場
すでにジェンダー平等が達成されているならば、性別のみで女性が起用されることを不平等と捉えることもあるだろう。だが、日本の現状を見れば男女平等とはほど遠い。
世界経済フォーラムが公表している「ジェンダーギャップ指数2020」で、日本は世界153カ国中121位で、政治・経済のスコアの低さが目立つ。
政治分野では国会議員の男女比の偏りが大きい。2020年1月時点で女性議員の割合が衆議院で9.9%、参議院で22.9%であり、世界でも低い水準だ。
また昨年7月には、政府は指導的地位の女性を2020年までに30%にする「202030」の目標達成を断念し、「2020年代の可能な限り早期」という曖昧な形での先送りがされた。
最近では、意思決定層に女性が少ないことの弊害が明確になる場面もあった。昨年3月に新型コロナの感染拡大防止のため、学校の一斉休校が決まった際には、あまりにも突然だったため「高齢男性が多い政府は“父親が外で働き、母親が専業主婦”タイプの家庭しか見えていないのではないか」との指摘が。また、特別定額給付金支給が世帯主への給付であったことに対しては「DV被害者のことが考えられていない」と批判が噴出。結果的にはDVにより避難している人などには配慮がされたものの、夫の手だけに給付金が渡り、妻や子どもが受け取れなかった家庭もあると予想される。
意思決定層や政治家に女性が少なければ、女性の置かれた実態は見えにくく、その訴えも政策に反映されにくい。女性であるというだけで他の女性のことがなんでもわかるわけではないが、女性の中でも多様性があり、女性の数自体が増えなければその多様性も反映されないのだ。
女性の比率を上げるため、政治家や委員に人数を割り当てる「クォータ制」を導入する国も少なくないが、日本では実現していない。今の日本で、男性の役職者が「能力のある者」を選べば、男性ばかりになる。このままの状況でいいはずがないだろう。橋下氏の会長就任はその意味でも、非常に大きな意味を持つことのはずだ。