日本にオードリー・タン氏のような存在が登場しないわけ——私たちは声を上げ続けなければならない

文=みたらし加奈
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画像提供:Change.org

——LGBTQ+、フェミニズム、家族・友人・同僚との人間関係etc.…悩める若者たちの心にSNSを通して寄り添う臨床心理士が伝えたい、こころの話。

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 ことの顛末は今年の年2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会での森喜朗氏の発言がきっかけだった。

「(中略)女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」

「女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね」

「私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます」

 何度も報道されているものなので、あえて詳細については省かせてもらうが、この報道を目にしたときに、私は“怒り”というよりも“呆れ”の感情を強く抱いた。この令和の時代に、アップデートされていない「主語デカ発言」をしてしまうような人が、日本オリンピック委員会(JOC)の会長職だなんて……。森氏に対してというよりも、彼をトップにおいている組織の在り方に疑問を感じたのだ。

 しかし、そこからの世の中の動きの速さには目を見張るものがあった。

 2月4日、 Twitterのトレンドで「 #わきまえない女」が1位となり、各地やオンライン上でデモが行われた。2月5日には20〜30代の有志が集まり、森氏の処遇の検討と再発防止を求める署名運動が始まり、2月6日にはオンラインで「Don’t be silent #わきまえない女たち」(Choose Life Project)が配信された。2月12日には森氏は会長辞任表明をし、組織委員会に辞職の書面を提出。そして2月16日、15万7425人の署名が組織委員会に提出された。

日本にオードリー・タン氏のような存在が登場しないわけ

 日本ではコロナ対策の引き合いとして、台湾のデジタル担当相である唐鳳(オードリー・タン)氏の名が挙げられることも多いが、はっきり言って、今の日本では彼女のような存在は生まれないだろうと私は感じている。それはタン氏のような存在が「いない」ということではない。きっと日本には(性別もセクシュアリティもルーツも問わず)、そういった才能を持っている人たちがたくさんいるはずだ。しかし残念なことに、日本社会はそういった“可能性を持っている人”の口を塞いでいる。

 なぜ社会は多様性を重視したほうが良いのか? それは「すべての人に“平等な機会”を得る権利があるから」ということだけではない。私たちには、多様性を軽んじることで失ってきた選択肢が多々あるはずだ。国会とは社会の縮図であるはずなのに、今の政治の現場では、“障害”を持っていない“異性愛者”の“男性”がマジョリティで、彼らの声ばかりが反映されすぎている。そこで出された「結論」は、確かに一部の人たちにとっては本質的な答えに見えるかもしれない。信じ難いことに、男性がマジョリティの場所で緊急避妊薬の議論がなされるように、時には当事者ではない人たちの間で議論が進むことだってある。社会は、“障害”を持っていない“異性愛者”の“男性”だけで構成されているわけではないのに。

 こう伝えると、「女性だって能力があれば評価されているはずだ! 意思決定の場に女性がいないのは、女性が努力していないからだ」と反論する声が出てくる。しかし考えてみてほしい。「話が長いから」「〇歳だから」「子供を産むから」……そういった根拠のない偏見や差別によって、どれほどの人たちの口が塞がれ、翼を折られてきたのだろうか。

 あの署名に賛同してくれた15万7425名の中には、何度も口を塞がれ、選択肢を狭められてしまった人たちがいる。森氏の1度の発言だけに怒っているわけではない、社会が「その言葉」を容認し続けていたことへの怒りや悲しみが、形になったのだ。私たち1人ひとりがこの問題に真剣に向き合っていかなければ、社会が出さなければならない「ベストな答え」は永遠に出てこない。

一過性のムーブメントで終わらせない

 2月16日、私は発起人の3名と共に組織委員会に署名を提出しに行った。マスコミは敷地内には入れず、撮影や録音も禁じられていた。署名と提言書を提出する時のみ、「必要でしょうから」と写真の撮影が許された。建物内に向かっている途中、1人が呟いた。

「これが少し前だったら、こんなにメディアは集まってくれたのかな……」

 その言葉に、私はハッとさせられた。「ムーブメントになったからこそ注目されたけど、確かにそうだね……」と、返した記憶がある。問題意識を持って集まってくれているメディアがほとんどだということは理解してはいるものの、どこかで「ジェンダー平等」とか「ダイバーシティ」というものが流行りのように消費されてしまう側面を否定しきれないことに、私はやるせなさを感じていた。

 とはいっても、社会活動がある種の「ムーブメント」となることは、無関心層にも広めていく上で必要なことで、これだけ話題になったからこそ、今まで問題意識を持っていなかった当事者にも声を届けられたはず。しかしコンテンツとして、なんとなく雑に「消費」されてしまっては元も子もない。政治というのは多数決で決まってしまうものだからこそ、いかに幅広い層に当事者意識を持ってもらえるかを考えながら、時にはクールに、「コンテンツ」として消費されないよう、問題と向き合っていく必要がある。

 新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめてから1年、私たちは声を上げ、確実に「政治の成功体験」を積み始めている。「わきまえない」ことによって見えてきた、一縷の希望だってある。しかしこれも、コロナ禍によって政治を身近に感じるようになった人が増えてきたからだと思う。テレビで報じられていた「アベノマスク」が自宅に届いて、あまりに簡素な作りに驚いた人は少なくないだろう。あのマスクにどれだけの税金が投入されたのか……と思うと、頭を抱えてしまう。また国からの給付金や緊急事態宣言によって、「政治で決められていることは、私たちの生活に直接的に関わっている」という実感が湧いた人だって多いはずだ。

 今回の森氏の一件を「元首相のおじいちゃんが女性を怒らせた」という粗い解像度で見ている人いるかもしれないが、これはまさしく政治の話なのだ。例えば日常のなかで、「この席は男だらけだから、女の子きてくれるかな?」とか、「お茶を汲んでくれる女性はいるか?」なんて聞かれて、その言動に少しでも感情が動かされたら、あなたはもうすでに「政治」に関わっている。家族との関わり、地元の交友関係、教室や会社の中の人間関係……これらはすべて政治だ。自分以外の他者と関わり、その集団の中で過ごしたことがあるならば、あなたはすでに「政治」を行っている。

 政治とは、「政府」のことを指すのではなく、「複数の人間が安心して暮らしていくために、どうすればいいかを考え、実行すること」だ。そう理解した上で今の政府のやり方を見れば、「一部の属性の人たちが、自分たちのための政治を行っている」というスタンスに疑問を抱く人も出てくるのではないだろうか。

 今回私が声を上げた理由は、自分自身が「わきまえてきた」女性の当事者だったからということもあるが、それよりも“社会が潰してきたさまざまな可能性”を、改めて強く見せつけられたからでもある。なんとなく見ないふりをしてしまっていた問題の核心が、そこにはあった。今回の問題が単なる「ムーブメント」で終わらずに、未来への対話のきっかけとなり続けることを望んでいる。

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