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ドラマ化もされた人気マンガ『逃げるは恥だが役に立つ』(海野つなみ著 講談社)には、家事という労働を無償で行わせる行為について「好きの搾取」という言葉で表現するシーンがある。
家事・育児・介護といった労働は、外注すればお金がかかるものだが、家庭内でする分には無償となる。この無償労働は長らく女性に偏っており、女性が無償労働を喜んで行うのは、愛だとか、母性だとか、女性の本能だなどと言われ、当然視されていた。
しかし、経済学者マリリン・ウォーリングが無償労働の現状を調べ、書籍として発表したことから、無償労働の実情が広く知られ、問題視されるようになった。女性に無償労働が偏った結果、十分な教育が受けられず経済力も持つことができない女性が世界中にいることを、マリリン・ウォーリングは指摘したのだ。
1985年、国連は「1995年までに、女性の無償労働を労働とみなす取り組みを始めるよう求める決議」を採択した。日本でも、家事・育児・介護などを無償労働と名指すことは珍しくなくなっている。『逃げ恥』のドラマが共感を得てヒットしたのも、無償労働のあり方に対し、違和感を抱いていた人が多いことの証左だろう。
しかし無償労働の女性への偏りは、『逃げ恥』がいくらヒットしても、依然として残されたままだ。
無償労働で活躍しすぎる日本女性

メリンダ・ゲイツ著『いま、飛び立つとき』(久保陽子訳 光文社)
メリンダ・ゲイツ著『いま、飛び立つとき』(久保陽子訳 光文社)によると、世界全体でも女性の担う無償労働は男性の2倍以上だという。
インドでは女性が1日6時間に対し、男性は1時間未満。アメリカでは女性が4時間以上に対し、男性は2.5時間。男女平等が進んでいる国、ノルウェーでも女性3.5時間、男性3時間だ。
日本はというと、配偶者がいて18歳未満の子どもがいる男女が家事にかける週間平均時間は、女性が53.7時間に対し、男性は12時間。男性の家事分担率は18.3%(約5分の1)であり、「世界で最も低く、国際的に見て特異な状況だ」と社会学者の舞田敏彦は指摘している。(※1)。また、無償労働時間と有償労働時間を合計すると、女性の方が労働時間が長いことも指摘されている。
(※1 Newsweek 日本は世界一「夫が家事をしない」国)
女性活躍だなんだと言われるが、無償の労働をきちんと「労働」として認めるならば、日本の女性は世界でも類い稀なる活躍をしているのだ。
無償労働を労働と認めるところから、対等なパートナーシップは生まれる
『いま、飛び立つとき』においてメリンダ・ゲイツは、「無償労働に関するあらゆる議論の裏にあるものは、突き詰めれば対等なパートナーシップというテーマだ」と指摘している。
無償労働をどちらか一方がして当然であり、それは有償労働よりも価値が低いのだ、という意識では、対等なパートナーシップは築けない。メリンダには子どもがおり、パートナーである夫は、マイクロソフトのビル・ゲイツ。超多忙かつ経済力のある夫と結婚した場合、多忙を理由に無償労働が妻に偏ってしまうことはありがちだ。しかし、メリンダたちの場合はそうではなかった。
たとえば育児について、ビルはこのように述べている。「誰かがスケジュールを管理してリードする状態にはならないよう、気をつけているよ。予定について話はするけど、スケジュールを管理する役と従うだけの役に分かれてしまうのは、よくないと思う。みんなが同じよう責任を持った方がいいからね」(P.183)。妻が主軸となり、妻が夫にしてほしいことを支持するのではなく、ふたりで行うという当たり前でありながら、現状日本においてはレアな姿勢が、ここには見て取れる。
メリンダはかつて、マイクロソフトで多くの部下を束ね、メディアプロダクツの開発に関わっていた。しかし、子育てを機に一度、仕事を離れている。パートナー間で経済格差があると対等なパートナーシップを築けない、というわけではないのだ。ようは、お互いの労働をきちんと労働として認識しており、必要なときにサポートしあえる信頼関係ができているかどうかが、対等なパートナーシップのキモなのだろう。
経済学者のダイアン・エルソンは無償労働時間の男女差を縮めるために、3つのRを行動軸として提唱している。3つのRとは、認識する(recognize)、減らす(reduce)、分配しなおす(redistribute)だ。無償の労働がそこにあると認識し、労働時間とカウントし、食洗機やルンバなどで労働時間を減じ、減らせない労働を男女がより平等に担えるように分配しなおすことが必要なのだ。
対等な関係のためにも、無償労働時間の男女差を縮めるためにも、まずは、無償労働が労働であると認めることから始める必要があるのだろう。
対等なパートナーシップと無償労働男女格差の関係
現状、日本の女性は世界的に見ても、無償労働を男性よりもかなり多い割合で担っている。この事実をもって、対等なパートナーシップが結びにくい国であると言えるだろうか?
金を持ってる方がエライとか、経済力=家庭内の権力だと考えるならばそうだろう。そもそも女性の社会的地位が低い国だから男女の経済格差が大きいのであり、その帰結として無償労働が女性に偏っているのだから、男女が対等なパートナーシップを結ぶ準備が社会的にできていない、という見方もできる。
無償労働を労働として認識し、お互いの労働をできる範囲でサポートするという意思がある相手となら、専業主婦(夫)家庭でも(家庭内経済力格差があっても)対等なパートナーシップを結ぶことは不可能ではない。
ただ、「お前のパート代なんて安い」「同じくらい稼いでから言え」などと経済力格差を理由に上下関係のある関係を求める人も珍しくないため、女性の無償労働が長い(=女性が稼ぎにくい)ことが、対等なパートナーシップの足かせとなるケースも多々ある。
結論。対等なパートナーシップと無償労働時間の男女差に単純な相関関係があるとは言えないが、「女性が無償労働をするのは当然であり、無償労働は有償労働より価値が低い」と思い込んでいる人とは対等なパートナーシップを望めないということだけははっきりしている。
(原宿なつき)