――原著が出版されたのは2006年で、日本では長らく翻訳されてきませんでした。出版が決まったとき「ようやく読めるのか」とツイートしている人がいましたし先ほどお話いただいたように、北村さんもブログで「なんで翻訳が出ないんだろう」と書かれています。今まで日本の研究者は原書で参照されてきたんでしょうか?
渡部 私と北村さんがいた表象文化論の分野ではたぶん知られていなかったと思います。むしろ阿部さんのコミュニケーション学の分野だと知られていたんじゃないですかね。
阿部 そうですね。私はコミュニケーション学の中でもメディア・コミュニケーションについて勉強しているんですが、ジェンキンズに関して言えば、1990年代後半くらいからジェンキンズの師匠の一人であるジョン・フィスクって人が日本でも一時期ちょっとしたブームになったんです。1999年には『コンヴァージェンス・カルチャー』の一つ前に出たTextual Poachers(『テクスチュアル・ポーチャーズ』)を参照したテレビアニメのファンダムに関する面白い論考が日本語で出版されています(小林義寛「テレビ・アニメのメディアファンダム-魔女っ子アニメの世界」伊藤守・藤田真文編『テレビジョン・ポリフォニー-番組・視聴者分析の試み』世界思想社)。だからこれまで日本でジェンキンズが注目されていなかったというわけではないと思います。
渡部 実は私も「なんでみんなこの本のことを知っているんだろう」って不思議に思ったんですよね。英語で読めるコミュニケーション学の人たちが待っていたんですかね。
阿部 そうした先達たちが土壌を作られていたんだと思います。渡部さんがあとがきで書かれているようにもっと早く翻訳されるべきだったとも思うのですが、YouTubeができたのは2005年ですし、今よりも簡単に海外のテレビ番組にアクセスできなかった時代にこの本を翻訳するのは度胸が必要ですよね。ここ数年でようやくジェンキンズの本を翻訳できる環境が整ったのかなあと。とはいえ、実は韓国では2008年に翻訳されてるんですよね。「翻訳したんだよ」って話したら「いまさら?」って言われちゃいました(笑)。ジェンキンズはいま韓国のファン文化にも関心を寄せているようです。日本も奥深いファン文化があると思うんですけど。
渡部 そうですよねえ。
マーケティング、ネトウヨ研究にも使える概念
――本書の概要では、この分野における「基本書」「古典的名著」であると紹介していますが、なぜそのように言えるか、あらためて皆さんにお話しいただきたいです。
阿部 メディア・コミュニケーション論の立場からお話しますね。ファンダム研究についてはこれまでも定番の理論があるのですが、おそらくそこに加わる一冊なんだと思います。これからファンダム研究をする人は、参照すべき文献になるのかなと。
北村 おそらくアメリカではマーケティングをする人も読んでおくべき本としてすでに認められていると思います。あとジェンキンズの文章って難しくないので、研究者の教養に組み込まれるだけでなくもっと広く読まれているという意味でも、古典的になってきているのかなと思います。
――『コンヴァージェンス・カルチャー』については、北村さんの『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』や、倉橋耕平さんの『歴史修正主義とサブカルチャー: 90年代保守言説のメディア文化』(青弓社)、マーク・スタインバーグ『なぜ日本は<メディアミックスする国>なのか』(大塚英志=監修、中川譲=訳、KADOKAWA)などで言及されていますが、日本語で読める類書にあたるものってなにがあるのでしょうか?
渡部 最近だと『アニメの社会学―アニメファンとアニメ制作者たちの文化産業論』(ナカニシヤ出版)でしょうか。
阿部 『オタク的想像力のリミット: <歴史・空間・交流>から問う』(筑摩書房)もそうですね。もともとイェール大学出版から出ている本の翻訳ですが、ジェンキンズも授業で紹介していました。
渡部 日本にはファンを研究した本ってたくさんあるんですよね。例えば宝塚歌劇団のファン活動は有名ですが、川崎賢子さんの著作や、最近では宮本直美さんの『宝塚ファンの社会学』(青弓社)や東園子さんの『宝塚・やおい、愛の読み替え』(新曜社)などが挙げられます。アイドル関係で言うと辻泉さんの研究や、陳怡禎さんの『台湾ジャニーズファン研究』(青弓社)などが出ています。ジャニーズファンの研究や、大塚英志さんや東浩紀さんから派生したオタクについて本当に数多くの研究もそうです。ただ本書のように、ひとつメタのレベルでファンやファンダムの特性を議論しようとしているものは実はあまりないんじゃないかな、と。
あとネット右翼についての本も関連書になるでしょうね。ジェンキンズが原著を書いた時点ではそういう認識はなかったと思いますが、トランピズム、ポストトゥルースの時代になってくると、ある種のファンダムとしてネット右翼を研究するという意味で通じてくるものだと思います。
阿部 実際ティーパーティー運動(アメリカで2009年ごろに始まった保守派による大衆運動)が盛り上がっていたときもジェンキンズは積極的に発言していました。