ーーもし皆さんが本書を批判するとしたらどのようにされますか?
阿部 『コンヴァージェンス・カルチャー』が書かれた時代とはメディア環境が大きく異なっている点は指摘できると思います。というのも実際にこの本が執筆されたのは2004年ですから、すでに17年経っているわけです。その間にインターネット環境が激変して、ファンが参加するスペースがアルゴリズムによって制御されるようになっている。例えばFacebookやTwitterにはすべての情報が流れてくるわけではないですよね。利用者が関心があるものなどが優先的に流れてくるようになっている。こうした変化に対して、『コンヴァージェンス・カルチャー』の議論がどこまで通用するのかなとは思います。
ただ、おそらく出版から20年後の2026年にはアップデートされたものが出版されるでしょうから、そこでジェンキンズが何を書くのかを楽しみにしたいですね。
北村 ウィキペディアンとして批判するなら、Wikipediaってジェンキンズがいう集合知の動員ができてないんですよね。オンラインのファンコミュニティって自然発生的に出てくるんですけど、リクルートしたいと思ってるファンが来るとは限らないんです。Wikipediaの場合、自ら書かなくてはいけないという特殊なコミュニティということもあって、集合知を形成してくれるはずのファンが参入してくれないケースが結構あるんです。その点については楽観的じゃないかと批判できる気はしています。
社会を変えるのはテクノロジーではない
――オードリー・タンさんに帯文を書いていただきましたが、最初に渡部さんがオードリーさんのお話をされたと記憶しています。なぜオードリーさんに書いていただきたかったのでしょうか?
渡部 確か私がしたのは、「オードリー・タンみたいな人が日本にいたらいいのに」って話でしたよね。
彼女はテクノロジーの人ですが、テクノロジーが社会を変えるとは考えていないですよね。彼女が台湾で公開したマスクの在庫データをローカルのハッカーたちが利用して、そのデータを地図上に表示できるようにした結果、台湾に住む人々が無駄に並ばなくてもマスクが手に入るようになったわけです。
これは、テクノロジーが社会を変えたとも言えますが、むしろテクノロジーを使って人々が社会を変えたんですよね。テクノロジーを信じているんじゃなくて、あくまでそれを使う人間を信じている。彼女は「Demos over Demics」という標語を掲げていますが、これは「パンデミックやインフォデミックを乗り越えるのは人々(デモス)」だという宣言であり、それが民主主義(デモクラシー)の理念なんですよね。そういう意味で、おそらくジェンキンズが考えるファンカルチャーの最良の部分を体現しているのがオードリー・タンなんだと思います。そんな人が日本にいたらいいのにと思ったんですが、思い浮かばなくて。彼女に帯文を書いてもらえたのは本当によかったです。
ーー最後に、どんな人にこの本を読んで欲しいでしょうか。
渡部 すべての日本語話者に読んで欲しいです。
一同 (笑)。
渡部 冗談ではなくて、ここまで話してきたように「コンヴァージェンス」という概念は、いわゆるファンに限った話ではなくて、政治に興味がある人もマーケティングに興味がある人にも引っかかるところがあると思うんです。そこから自分の主要な関心でない部分にも関心を広げてもらえたらうれしいと思って訳しました。
北村 私もファン研究に興味がある人だけではなくて、マーケティングやビジネス、政治をやっている人も手に取ってもらいたいです。あと井上信治クールジャパン戦略担当相と、山田太郎参議院議員にはぜひ読んで欲しいですね。
阿部 私もいろんな人に読んで欲しい。皆さんのお話を伺っていて、意外と歴史に関心のある人たちにとってもいろんなことが学べる本だということが分かって新鮮でした。誰もが何かのファンですから、誰にとってもなにか学べるところがあるはずだというのが私の考えです。
(進行・葛生知栄(晶文社)、構成・カネコアキラ)