総務省幹部らの不正疑惑、逃げ台詞の「記憶にありません」を封じる追及法とは

文=山崎雅弘
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Getty Imagesより

●山崎雅弘の「詭弁ハンター」(第4回)

 国会で不正疑惑への関与を追及されている当事者が、重要な質問に対して口にする「記憶にありません」という言葉。「貴方は不正への関与を意味する何々をしましたか?」と問われて「はい」と答えれば不正への荷担を認めたとして罪に問われ、「いいえ」と答えれば、あとで実際には関与していた事実が明らかになった時、偽証や虚偽答弁になる。そんな窮地の状況で、逃げ道としての「記憶にありません」は便利な言葉です。

 本当は関与していても、この言葉で当座の追及をはぐらかし、事実関係がその後も明らかにならなければ、関与していないように見せかけて逃げ切れるからです。

 『広辞苑』で「詭弁」の意味を引くと、「命題や推理に関する論理的操作によって生ずる、一見もっともらしい推論(ないしはその結論)で、何らかの誤謬を含むと疑われるもの。相手をあざむいたり、困らせる議論の中で使われる」とあります(第七版、p.731)。これを踏まえて考えると、不正への関与を追及されている政治家や官僚が口にする「記憶にありません」は、明らかな「詭弁の一形態」であると言えます。

 今回は、この「記憶にありません」の詭弁としての構造を読み解きます。

本当のことがバレて失敗した「記憶にありません」の失敗例

 2021年2月17日、国会の衆院予算委で、東北新社による総務省幹部への不正接待に関する追及が行われていました。そこで、総務省の秋本芳徳情報流通行政局長は、2カ月前の12月10日に自分が東北新社の複数の幹部(その一人は菅義偉首相の長男である菅正剛氏)と会食した際に「BSやCSについての話が話題に上ったという記憶はございません」「放送業界全般の話題が出たという記憶もございません」と答弁しました。

 東北新社は、BSやCSの放送事業を行う子会社や関連会社を擁する情報・通信企業の一つで、総務省はその許認可を行う省庁です。従って、もし東北新社が支払を負担する会食で、BSやCSについての話題や放送業界全般の話題が出たのであれば、それは業者と行政の癒着に繋がる「不正接待」になります。

 しかし同じ2月17日、「週刊文春」の電子版が、会食の現場で密かに録音した音声データを公開すると、事態が一変します。そのデータには、秋本局長と菅正剛氏らの、BSやCSに関わる話題での会話内容が含まれていたからです。

 これを受けて、秋本局長は2月18日に「BS、CS、スターチャンネル(東北新社の子会社が手がける放送事業)等に関する発言は記憶にない」と述べましたが、2月19日には前言を翻して、衆院予算委で「今となっては、子会社社長や首相長男からBS、CS、スターチャンネルに言及する発言はあったのだろうと受け止めている」と説明しました。

 結局、秋本局長の「記憶にありません」という言葉で逃げ切る試みは失敗に終わりました。このように、「記憶にありません」という言葉は、本当のこと(事実関係)を示す証拠が出てきた瞬間に一発で崩れ落ちる、砂上の楼閣のような詭弁です。

 では、こうした証拠が出なければ、「記憶にありません」が詭弁であることを立証できないのでしょうか?

 現在の政治報道メディアや野党議員は、追及される当事者がこの言葉を口にすれば、そこでお手上げとなってしまう様子です。けれども、論理的に考えれば、この「記憶にありません」という台詞は、逆に「記憶があるからこそ言える言葉」だと理解できます。

 それはどういうことか? 自分が、不正疑惑の追及を受ける官僚になったつもりで会食当時の状況を想像してみれば、秋本局長のような発言はあり得ないことがわかります。

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