【シリーズ黒人史3】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~南部再建期

文=堂本かおる
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自由のために命を賭けた黒人兵〜南北戦争

南部再建期タイムライン
1865年4月9日:南軍リー将軍が降伏(実質的な南北戦争の終了)
1865年4月14日:リンカーン大統領の暗殺
1865年5月9日:南北戦争終了
1865年:ミシシッピ州、サウス・カロライナ州がブラック・コード制定
1865年12月6日:憲法修正第13条(奴隷制終了)
1865年12月24日:テネシー州にてKKK結成
1866年5月:メンフィス暴動
1866年7月:ニューオリンズの虐殺
1868年7月:憲法修正第14条(黒人に市民権)
1870年2月:憲法修正第15条(黒人に参政権)
1871年4月20日:クー・クラックス法
1877年3月:南部再建期終了

 1862年、リンカーン大統領によって奴隷解放予備宣言が行われた後、多くの黒人が北軍兵士として南北戦争に参入した。最終的に全北軍兵士の1割にあたる18万人が黒人兵となり、うち3万人が戦死。自由を勝ち取るために自らの命を賭したのである。

映画『グローリー』(1989)予告編
南北戦争の黒人部隊を描いた作品。出演:デンゼル・ワシントン(本作にてアカデミー賞助演男優賞受賞)、モーガン・フリーマン、マシュー・ブロデリック他

憲法で保障された黒人の市民権・参政権

 リンカーン大統領は南北戦争終了と共に暗殺された。暗殺犯は著名な舞台俳優であり、南部支持者のジョン・ウィルクス・ブース。暗殺の4日前にリンカーンは演説で「黒人のうち少なくとも北軍で戦った者に選挙権を」と訴えており、これを聞いたブースは「(Nワード)に市民権ということだ」「これがリンカーンの最後の演説になる」と漏らしている。リンカーン亡き後、副大統領のアンドリュー・ジョンソンが大統領となったが、ジョンソンは南部人であり、黒人に参政権を与えることに懐疑的であった。

 実のところ、リンカーン自身も奴隷解放後の黒人の処遇に頭を悩ませ、一時は黒人をアフリカまたは中米に送る案を語っていたとされている。

 南部の一般人の間にも黒人の自由化への反発が大きく、翌1866年、白人暴徒による黒人虐殺が連続して起きた。まず5月にテネシー州メンフィスにて、白人警官と黒人の元北軍兵士が揉めたことから黒人居住区が襲われた。黒人の死者46人、負傷者75人に加え、強盗、レイプが起こり、住宅91棟、学校、教会が焼き払われた。続いて7月にはルイジアナ州ニューオリンズにて、黒人の選挙権やブラック・コード(後述)をめぐる会議を発端に白人による暴動が起こり、黒人の死者34〜50人、負傷者150人と記録されている。その多くは元北軍兵士であった。

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メンフィス暴動。自由人となった黒人の子供たちが通う学校が燃やされている。(
wikipediaより)

 同年12月、奴隷制を禁じるアメリカ合衆国憲法修正第13条が制定された。これによりアメリカの奴隷制は終焉を迎えた。

アメリカ合衆国憲法修正第13条 第1項
「奴隷制および本人の意に反する苦役は、適正な手続を経て有罪とされた当事者に対する刑罰の場合を除き、合衆国内またはその管轄に服するいかなる地においても、存在してはならない。」(https://americancenterjapan.com/aboutusa/laws/2569/

 この第13条によって黒人はもはや奴隷ではないと定められたが、「米国市民」とは定められていない。それを利用し、黒人を奴隷とほぼ同じ状態に縛り付ける黒人法(Black Code)が南部諸州で作られた。

 最も早くに作られたミシシッピ州のブラック・コードでは黒人を freedman(奴隷から解放された自由民)、 free negro (自由黒人)、mulatto(混血)と記し、奴隷時代に許されていなかった黒人同士の結婚は許すものの、白人との婚姻は禁じられた。

 続いて作られたサウス・カロライナ州のブラック・コードでは黒人は person of color (有色人種)と記され、白人農場主と労働契約を結び、農場主をmaster(ご主人様)と呼ぶべしとした。労働条件については「日曜以外、夜明けから日没まで」「病気などによる欠勤は、その損害分を支払いから差し引く」などとなっている。当時、ミシシッピ州とサウス・カロライナ州の黒人人口比は約6割と南部諸州の中でも飛び抜けて高く、黒人に経済力を持たせることを恐れたがゆえのブラック・コードだった。

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南北戦争後、自由人となった黒人に衣食住や医療を提供した政府のプログラム Freedman’s Bureauを揶揄するポスター。働かずにぶらぶらする黒人(意図的に醜く描かれている)を、白人の労働が支えているとしている。(wikipediaより)

 元奴隷だった黒人に自立を促すために政府から配給されるはずだった「40エーカー&ミュール」(16ヘクタールの農地とラバ1頭)は実現せず、他の南部諸州もそれぞれにブラック・コードを施行した。小作農は農場主から土地、作物の種、農具、家畜などを借りなければならず、作物の収穫では賃料を払い切れずに借金が増えていく仕掛けとなっていた。また、「浮浪罪」で逮捕された者は農場主に貸し出される、親のいない黒人の子供は「奉公人」になるといった項目もあった。つまり、黒人たちは奴隷とほぼ変わらない環境に押し留められたのだった。

 その対応策として、1868年に元奴隷の黒人も米国市民だとする憲法修正第14条が作られた。

アメリカ合衆国憲法修正第14条 第1項
「合衆国内で生まれまたは合衆国に帰化し、かつ、合衆国の管轄に服する者は、合衆国の市民で あり、かつ、その居住する州の市民である。」(https://americancenterjapan.com/aboutusa/laws/2569/

 この条項により、現在も移民(出身国、合法滞在/違法滞在を問わず)が米国で産んだ子供には米国市民権が与えられている。

 続いて1870年に黒人(*)の参政権を保障する憲法修正第15条が批准された。

アメリカ合衆国憲法修正第15条 第1項
「合衆国またはいかなる州も、人種、肌の色、または前に隷属状態にあったことを理由として、 合衆国市民の投票権を奪い、または制限してはならない。」(https://americancenterjapan.com/aboutusa/laws/2569/

*当時は白人も男性のみに参政権があり、女性の参政権取得は1920年となる

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