「子どもにとっての一番」に。
――育児界隈では「子どもはお母さんが大好き!」「母子の絆をはぐくもう」と謳うものが無数にありますが、それと同じフリして「子どもは親を選んで生まれてくる」「親を幸せにするために、生まれてくる」と刷り込んでくる呪いが存在しています。親孝行はある意味儒教的な考えでもありますが、今の日本でそれを振りかざす人の多くからは、伝統的な思想よりも単に自己中心的なものを感じます。
ハミ山:母と縁を切った後に結婚して、私には今2歳の子どもがいるんですが、子どもってかわいいですよね。しかも小さいうちは、どうしてもお母さんお母さんってなるじゃないですか。そこで心が満たされて「自分を選んで生まれてきてくれた」という考えに転ぶ気持もすごくわかるんです。
相手が子どもじゃなくても、すごく好きな恋人がいたりすると満たされますよね。誰かにとっての一番になり、ニコイチみたいになると。でも、自己肯定感の部分って、本当は自分ひとりで満たすべきではないかと。母の場合はきっと、若いころチヤホヤされすぎたゆえ、父とうまくいかなかったことで、自己肯定感が崩れてしまった。エリートは挫折に弱いじゃないですけど、母もいわゆるそれだったんだと思います。誰かの一番になれないことで、誰ともつながっていない感覚に囚われ、子どもにとっての一番になろうとしたんじゃないかと。
――そして現実逃避なのか心が病んだのか自暴自棄になり、その結果、壮絶な汚部屋が生まれたわけですね。ハミ山さんは東京藝術大学を中退して東京大学に入り、現在会社員をしながら漫画を描いているわけですが、このように育ってきたようにはとても見えません。人のバックグラウンドは、傍からは何もわからないのだなと痛感します。
ハミ山:自分自身も、自分の家が異常だと気づいたのは大学に入ってからでした。幼少期って、自分の家以外のことを知る機会が少ないから、自分の家がおかしい自覚ってなかなか持てませんよね。どちらがマシという話ではありませんが、見るからに貧困家庭だったり、激しい虐待がある場合は、周りが気づいて行政の支援に結びつけてもらえる可能性もありそうですが、うちのように母は外では普通に社会人をしていて、教育熱心。おかしいのはプライベートな部分のみ……という状態だと、傍からはほぼ気づかれません。すると自分で目覚めたときはすでに年齢的に「子どもの虐待」という枠に入らず、助ける手立てがどんどんなくなっていくように思えます。本作では大学卒業と同時に家を出たようなストーリーにしていますが、実際は社会人2年目になり、ある程度お金をためてから家を出ています。
――お父さんは在学中に病気で亡くなったことが描かれていましたが、そのほかの親戚はハミ山家の状況をどう思っていたんでしょう。
ハミ山:祖母を含む親族は母に対し、ちょっと片付けが苦手、ヒステリーだという程度の認識でした。祖母は高齢なのであまり心配をかけたくない気持ちもありますし、さらに私から見れば母親ですが、祖母にとっては娘であり、とらえかたも違うでしょう。そういうのもあり、親族とかにも助けを求められず状況を伝えられない。漫画でもリアルでも、最終的には母の不在時を狙って家を出るわけですが、そのあと探されないように、住所を検索することを防止する制度があります。
その手続きのため警察の生活安全課に行くんですが、そこでもさらに理解されずに困りましたね。やさしそうなおじいちゃん担当者が、親子なんだから話し合ってね、最後は抱きしめ合って仲直り……みたいなことを勧めてくる(笑)。田舎だったらさらに、親は大事にしたほうがいいよとか、後悔したとき親はもういないんだよみたいになっちゃうのが多そうです。そういった無理解、世の中のことに対して勉強不足であることも、ひとつの罪なんじゃないかと思ってしまいます。