TOKIOは10年前のあの日、DASH村にいた…それぞれの恩返しと旅立ち

文=秘密のアツコちゃん
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TOKIO公式サイトより

 東日本大震災から10年目の3月11日。あの大災害からずっと、TOKIOはDASH村のあった福島を支援し続けてきました。そして今年、いよいよ彼らはジャニーズ事務所から旅立ちます。アツが追ってきた「あの日」とそれからのTOKIOの10年。

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 皆さん、ごきげんよう。アツこと秘密のアツコちゃんです!

 東日本大震災から10年が経ちました。3月11日前後になると毎年、様々な思いにかられます。2011年3月11日、あなたはどこにいましたか?

 あの日、春の改編期前とあってマスコミ業界も慌ただしい毎日を送っていました。アツの編集部のみんなもあっちへこっちへと奔走し、前日夜から深夜まで武井咲ちゃんの撮影をしていたチームや、早朝から錦戸亮くんのドラマのクランクインに同行するチーム、嵐の撮影準備に入るチーム等など、いつも以上にバタバタしながら取材をしていました。

 あれは同僚たちと郊外のロケから東京に帰ってきて、ちょっと遅いランチをと思いお店を探している時でした。突然グラグラッと揺れ始め、何が何だか分からずとりあえず地面にしゃがみこんで。みんなで手分けして会社や家族に安否確認の電話をするもののなかなか繋がらずで、急いで社に戻ると受付の自動ドアやエレベーターは動かず。

 上層階にいた人たちの中には「エレベーターに乗っている最中だったんだけど、揺れ始めたとたん、エレベーターの扉が開き始めて本当に怖かった」と言う人もいて、大変なことが起きたのだと改めて知らされました。どのビルも非常時はエレベーターやエスカレーターが使えず階段使用になっていました。

 こんな時のためにテレビ局は各局、高層ビルであっても基本的に報道フロアは階段で昇り降りができる下層階にあるのだけど、それでもかなりの高さのため、高いヒールで慣れない階段を昇って息切れする女性スタッフが続出。テレビ局で寝泊まりした同僚たちは、「ソファや椅子を並べてみんなで雑魚寝した。局内にあるコンビニはすぐに食料が無くなったけど、なぜかどこからか食料が運ばれてきて助かった。局内のATMにも珍しく行列ができていた」とのことでてんやわんやだった様子。

 編集部でも次々と入る情報をまとめながら原稿を描き続け、不眠不休の事態に。その間にタレントさんたちの安否確認も行われていて、アツの関係する人たちは何とか事なきを得たのですが、やはり一番心配されたのはTOKIOの出演番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)に関わっていた多くの方々の安否でした。

 この番組の目玉企画と言えばご存知のように「DASH村」で、あの震災の前までは詳しい場所は公表されていませんでしたが、それは福島県浪江町にあったのです。震災直後、現地から届く映像が流れるたびに胸が潰れそうで、直視することが難しかったのを覚えています。

 あの当時は週に1〜2度、DASH村に通っていたTOKIOメンバー。最初は都内から車移動だったのですが、かなりの時間がかかることから、いつしか新幹線移動に変更。朝イチの新幹線にメンバーを乗せるとマネージャーたちは引き上げ、メンバーだけで郡山まで乗車し、そこからはDASHスタッフが送り迎えをするというパターンが多かったのです。

 その日もいつものように、メンバーたちは朝から元気にDASH村へと向かって行きました。後で聞いたところ「作業中に突然、地面がうねるような感じがして驚いた。でも何が起きたのか、最初は全く分からなかった」そうで、戸惑いながらすぐに帰り支度をしたものの、安全を考慮して当日は現地に留まり、DASH村を手助けしてくださっている皆さんと共に不安な一夜を過ごしたそうです。

 でもその不安を取り除いてくださったのは、現地で熱心に農業指導をしてくださり、番組にもずっと出演されていた愛すべき三瓶明雄さん。被災したにも関わらずメンバーの身を案じ、今も「逆に僕らの方が明雄さんに励まされちゃってね。明雄さんはいつまでも6人目のTOKIO。大好きだよ」とメンバーは口を揃えていて。明雄さんが亡くなられた時はメンバーもスタッフも本当に悲しんでいて声もかけられないぐらいだったのだけど、城島茂リーダーが言った「いつまでも泣いてなんかいられないなって。だって明雄さんに笑われちゃうよ。僕たちには明雄さんから受け継いだ技術があるんだからきちんと伝承していかないと。農業が何かも知らなかった僕らに手取り足取り教えてくれたんだから」の言葉が印象的で忘れられないのです。

 現在も番組内には、日本全国の農家さんをお手伝いする「出張DASH村」他があるけれど、DASH村でTOKIOは一回りも二回りも大きくなったなぁとつくづく思うのです。あの日まで取材で何度もDASH村に足を運んだけれど、彼らは農作業がみるみるうちに上手くなっていって、お米や野菜やお茶など「毎回、格段に美味しくなっていってる」と大評判で。顔も手も真っ黒にしながらも楽しそうに、満面の笑みで農作業に汗を垂らしていたメンバーの姿が目に焼きついて離れません。

 DASH村では北登というワンちゃんをはじめ様々な動物も飼育していて、その土地と慣れ親しんだ人たちや動物たちと離れ離れになってしまったことで胸を痛めていて。リーダーはもとより国分太一くんも松岡昌宏くんも長瀬智也くんも、そして誰よりもDASH村を愛していた山口達也くんも、「僕たちなりに福島の復興に全力を注いでいきます」との決心通り有言実行でここまできて10年。その間、本当にいろいろなことがありました。

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