【シリーズ黒人史4】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~ジム・クロウ法

文=堂本かおる
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ジム・クロウ法:名称の由来

 「ジム・クロウ」とは19世紀に流行したミンストレル・ショーのキャラクターの名前だ。ミンストレル・ショーとは白人俳優が顔に黒塗り(ブラックフェイス)を施して「陽気で間抜け」な黒人を演じ、歌とダンスを披露する舞台演劇。

 ニューヨーク出身の俳優トーマス・ライスは南部を旅行した際、黒人奴隷の民話のキャラクターにヒントを得てミンストレル・ショーのキャラクター「ジム・クロウ」を作り上げ、「ジャンプ・ジム・クロウ」と題した曲で歌い踊って大人気を博した。ライスの「ジム・クロウ」が流行したのは1830~40年代だが、1870年代以降に作られた人種隔離法が「ジム・クロウ法」と呼ばれることとなった。現在のアメリカでブラックフェイスが絶対的なタブーとなっている理由が、このミンストレル・ショーである。

【シリーズ黒人史】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~ジム・クロウ法の画像3

白人俳優が黒塗りで演じるミンストレル・ショーのキャラクター、ジム・クロウのイラスト。1832年頃。(wikipediaより)

ジム・クロウ法:レストラン

 白人と黒人はレストラン、ホテル、バスや電車の座席や車両などを別にしなければならなかった。映画館や劇場などは入口を分け、座席も白人は一階席、黒人は二階席などと分けられた。いずれも黒人専用のものは白人専用に比べ、非常に粗末な造りであった。

 奴隷制時代から南部の裕福な家庭では黒人が料理人であり、南部白人は黒人が作る料理を「おいしい」と食べて育ったが、レストランという公共の場で黒人と共に食事をすることは徹底的に拒んだ。

 2018年にアカデミー賞作品賞を受賞した映画『グリーンブック』は、ジム・クロウ法時代の南部を舞台としている。ニューヨークの著名な黒人ジャズ・ミュージシャンが南部を演奏旅行する際、身の安全のために白人の同行者が必要だった。黒人は演奏するホテル内のレストランでの食事は許されず、宿泊も黒人専用のホテルのみであったため、ミュージシャンと白人ボディガードは異なる宿に泊まらなければならなかった。同作は実話に基づいており、当時、実際に出版されていた、黒人が利用できる施設を記載した黒人専用のガイドブックが「グリーンブック」と呼ばれていたのだった。

映画『グリーンブック』予告編(日本語)

ジム・クロウ法:結婚

 白人種の純血を守り、かつ白人の資産を黒人に分け与えないために白人と黒人の結婚は禁じられた。

 2008年、大統領選第1期目のキャンペーン中だったバラク・オバマは以下の発言を行っている。

「私は異人種婚の産物です。私が生まれた当時、12州では違法のはずでしたが」

 オバマは1961年にハワイ州で生まれている。母親はアメリカ白人、父親はケニアからの留学生だったが、同州では異人種婚は禁じられていなかった。ただし、オバマは南部諸州を指して「12州」と述べているが、実は当時、南部以外の州も異人種婚を禁じており、実際には22州であった。それ以前にはさらに多くの州が異人種婚を禁じており、ハワイ州は異人種婚を禁じた歴史のない、わずか9州のうちの一つだった。

 州によっては婚姻だけでなく、異人種間の性交をも禁じていた。1958年、ヴァージニア州在住のラヴィング夫妻(妻のミルドレッドはアフリカン・アメリカンとネイティヴ・アメリカンの祖先を持ち、夫のリチャードは白人)は深夜、警察に寝室を急襲されている。性交現場を抑えるためであったが2人は就寝しており、警察の目的は果たせなかった。

 いずれにせよ同州では異人種婚が禁じられていたことから2人は逮捕、拘留されている。後に夫妻は訴訟を起こし、結果的に全米で異人種婚を合法化させることとなった。

映画『ラビング 愛という名前のふたり』予告編(日本語)

【シリーズ黒人史】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~ジム・クロウ法の画像4

ジム・クロウ法があった州(赤)。ジム・クロウ法は全米のほとんどの州で施行されていたが、地域によっては黒人以外も対象であった。多くの州が「インディアン(先住民族)」を含めており、アジアからの移民が増加していた地区ではアジア系も対象であった。カリフォルニア州のジム・クロウ法には「中国人」「日本人」「モンゴル人」といった表記が含まれていた。(wikipediaより)

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