サラ金は社会起業から生まれた?―『サラ金の歴史』著者・小島庸平さんインタビュー(前編)

文=柳瀬徹
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写真:ロイター/アフロ

 めっぽう面白い。が、読み進めるうちにいたたまれない感情が募り、いつの間にか重い問いを突きつけられている。今年2月に刊行された小島庸平『サラ金の歴史』(中公新書)は、そんな一冊だ。

 多くの人にとって、サラ金は「知ってはいるけど詳しくは知らない」存在ではないだろうか。近年のテレビCMを見て「いつから銀行の傘下になったんだっけ?」と思った人も少なくないだろう。

 著者の小島さんへの取材で浮かび上がった大きな論点は2つある。1つは男女間の不平等であり、もう1つは社会の隅々まで染み渡った「自己責任」という価値観だ。日本社会の課題そのものともいえる2つの論点を考えるには、この本に描かれたサラ金の歴史を大掴みにおさえる必要がある。本の紹介と小島さんへのインタビューをまじえつつ、日本人とお金との関係を考えてみたい。

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小島庸平(こじま·ようへい)
1982年東京都生まれ、東京大学大学院経済学研究科准教授。2011年、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。東京農業大学国際食料情報学部助教などを経て現職。著書に『大恐慌期における日本農村社会の再編成』(ナカニシャ出版、2020年。日経・経済図書文化賞受賞)、共著に『昭和史講義2』(ちくま新書、2016年)、『戦後日本の地域金融』(日本経済評論社、2019年)など。

創業者との遭遇

小島:この本を書くにあたって、決めていたことが2つあります。ひとつはサラ金業者を極悪非道の人非人として一方的に断罪しないこと、もうひとつは「消費者金融は日本の経済発展に貢献した」などと書かないことです。とくに後者は、経済史や産業史の論文では定型ともいえる紋切り型なのですが、膨大といっていい被害者を出してしまった業界を評するにはあまりにも無責任で、端的にダサい態度だと思ったからです。

 サラ金による苛烈な取り立てが社会問題となっていた1982年に生まれた小島さんは、街頭に無人の「自動契約機」が置かれていった時期に十代を過ごしている。サラ金に興味をもつには、少し若すぎるように思える。

小島:農学部で農業経済学を学んでいた大学4年のとき、蕎麦屋でバイトをしている同期の友人から、北海道樺戸郡にある「神内ファーム21」の見学に誘われたんです。蕎麦屋の仕入先としてファームの営業の方が出入りしていて、その方から交通費、食費に日当までついた招待を受け、「農経の友達も連れてきてもいいよ」と言われたのだそうです。神内ファームのことはほとんど何も知らないまま、タダで北海道に行けるならとついていったところ、すごく歓迎された上に、晩年の神内良一氏も会いにきてくれたんです。

 車椅子に乗って現れた神内その人こそ、プロミスの創業者だ。この体験が、農業経済学専攻の学生が「サラ金研究」に打ち込むきっかけとなった。

「人間の顔をした金融」を目指して

 1926年に香川県の小作農の三男として生まれた神内は、進学した農学校から太平洋戦争末期に召集されている。終戦後は北海道開拓を志し、周囲の反対を押し切って北海道に渡ったものの、開拓訓練所への入所は妻帯者でなければ認められない規則のため、夢を捨て帰郷せざるを得なかった。

 その後の神内は、農業試験場や農林省の統計事務所で働き、後にプロミス独自の与信システム開発に大きく寄与することとなる統計学の素養を身につけている。さらに労組の活動にものめりこみ、共産主義に心酔するが、レッド・パージの標的となり退職を余儀なくされる。「アカ」の烙印を押され、妻子を抱えての再就職には苦労したものの、大阪のキリスト教系社会福祉施設で農園担当の職を得ることができた。

 熱心に働く神内は孤児たちからも慕われ、施設内でキリスト教に入信し「パウロ」の洗礼名を受けている。しかし熱心さが行き過ぎたのか、体罰事件を起こしてしまい辞職。不動産と金融仲介を営んでいた次兄の会社に転がり込む。自らの洗礼名を冠する福祉施設「聖パウロ学園」の設立を目指し、その資金作りのために次兄や友人と立ち上げたのが、いわゆる街金である「不二商会」だった。

 不二商会の事業は順調に進まず、その分、取り立てや差し押さえは苛烈なものになった。これができるやつは人間じゃない、人間の顔をした金融業を作らねばならない――そう考えた神内は、不二商会からの独立を図る。こうして1962年に設立されたのが「関西金融」、のちのプロミスだった。

 小島さんが訪問した神内ファーム21は、神内がプロミス会長を退いた97年に私財を投じて設立した農業生産法人であり、2017年に神内が逝去してからはファームと取引のあった食品会社に譲渡されている。

小島:プロミスについては黄色い看板のイメージくらいしかなかったのですが、社員たちと夜遅くまで酒を酌み交わして、血も涙もない高利貸というイメージは吹き飛びました。サラ金という業界にも興味が湧いて、関連ニュースも追いかけるようになったのですが、多重債務で破算した人や自殺者を多く生み出しているという報道と、神内ファームの人たちがどうしても結びつかず、違和感が自分のなかで宿題として残り続けていたんです。

 マルクス主義とキリスト教を信奉する神内が、「人間の顔をした金融システム」を目指したのは、特異な例外ではなかった。アコムの創業者である木下政雄が掲げたのは「信頼の輪」に基づく無担保の信用貸しであり、貸金業者に責め立てられる両親の姿を見て育ったレイクの浜田武雄が志したのは「人を活かす金貸し」だった。1960年代前半、高度経済成長のなかで勃興したサラ金の創業者たちは、それぞれに社会変革の志を抱いていた。

小島:執筆にあたって参考にしたサラ金についての本は、すでに社会問題化してから書かれたものが多いので、創業者の乱れた愛人関係や崩壊した家庭など、非人間的な部分がクローズアップされがちなのですが、彼らの初心の部分は正当に書く必要があると思っていました。

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