サラ金は社会起業から生まれた?―『サラ金の歴史』著者・小島庸平さんインタビュー(前編)

文=柳瀬徹
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素人高利貸から「現金の出前」へ

 銀行や信用金庫が企業や商店への大口融資を行うのに対し、個人の遊興費や生活資金を融資するのがサラリーマン金融や消費者金融だ。その業態はいつ、どのようにして成立したのか。この本ではその源流を、個人間の信頼関係に基づく貸借にあるとしている。

 たとえば1937年に京都市社会課が2755人のサラリーマンを対象に行った調査では、663件の借金の半数以上は親戚や知友人からの借入で、銀行からの借入はわずか17件に過ぎなかった。個人間の借金の多くは利子が付けられ、プロの高利貸をしのぐ利率も少なくなかったという。

 このような「素人高利貸」は、副業としてはごくありふれたものだった。二度の大戦の間から戦後にかけて、一定の収入を保障されたサラリーマンが増加するにつれ、素人高利貸は金融業として発展し、副業から本業へと鞍替えする者も現れる。その一人が「団地金融」の創始者、日本クレジットセンターの田辺信夫であり、森田商事の創業者である関西の森田国七だった。

 当時の団地住人は、電気冷蔵庫・電気洗濯機・白黒テレビの「三種の神器」に代表される耐久消費財を、競い合うように月賦で購入していた。しかし消費財を求める主婦層の多くは、内職程度の収入しかしない。そこで彼女たちをターゲットに、「現金の月賦」などと称して無担保貸付を行ったのが田辺や森田の団地金融だった。当時、団地に入居するためには収入などの厳しい審査基準をクリアする必要があり、居住者であることを条件とすれば融資審査のコストを節約できるという算段だった。

〈団地を走り回るなかで田辺が案出したのが、「現金の出前」というキャッチコピーだった。蕎麦やラーメンの出前のように、「お電話一本で御希望の現金を届けます」。出前や月賦といった、すでに人びとが慣れ親しんでいたサービスに消費者金融をなぞらえ、親しみやすいイメージを喚起した。日本クレジットセンターは貸付を大きく伸ばし、一九七○年代前半の最盛期には、都内だけでなく大阪、名古屋、札幌、福岡へも進出し、全国に一六の支店を構えるまでに成長している〉(第2章「質屋・月賦から団地金融へ――一九五〇~六〇年代」より)

 団地金融には続々と後発業者が現れ、各社は郊外に散在する団地群に数十台もの営業車と営業部隊を投入し、激しく「出前」のスピードを競った。

 とはいえ、内職程度の収入しかない主婦たちの返済能力には限界がある。融資担当者は家賃の支払い状況を確認するのは当然のこと、月賦の残債を意味する新品の家具にも目を光らせ、玄関の靴やベランダの洗濯物も審査の対象となった。それらが乱雑に並んでいれば、毎月決まった額を返す几帳面さもなさそうだ――競争が激化すればするほど、経験に基づくカンが勝負を分けることとなり、融資先の経済力に見合わない高コストの与信のあり方は、徐々に経営を圧迫していった。

出世競争とサラ金

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『サラ金の歴史』(中公新書)著者・小島庸平さん

 団地金融が勢いを失い撤退する業者が現れ始めると、取って代わるように新業態が生まれる。それが1960年代後半以降に急速に成長した、神内や木下、浜田たちが立ち上げたサラリーマン金融だった。

 高度成長期は、出世を目指すサラリーマンたちの私的な接待費や遊興費の資金として、やがて成長が鈍化すると生活資金として、サラ金は企業社会に入り込み、ときにはセーフティネットとしても機能した。男性論理の企業風土にマッチした営業戦略は、このような記述にもその一端を見ることができる。

〈客の勤めている会社にストライキが起こると、しばしば一升ビンを持って駆けつけた(…)組合員といっしょに労働歌を歌い、「給料が出ないときは、ウチで立て替えます。最後まで戦い抜きましょう」と激励演説をぶって、万雷の拍手を浴びたという。「この宣伝は実に効果的ですよ。ゴソッと借りにきますから…」〉(第3章「サラリーマン金融と『前向き』の資金需要――高度経済成長期」より)

 「サラ金」という新業態が現れ、創意工夫とハードワークで成長していくさまは、手放しで肯定できるものではないとわかっていても、読んでいて胸が躍るものがある。

小島:現代風にいえば、ベンチャービジネスの創業者たちの成功譚なんですよね。世相を注意深く観察し、どこに資金需要があるかを的確に見極め、審査の方法も自分たちで作り上げたんです。創業しても本当にお客さんがいるかどうか不安でしかたがないので、電話が鳴ると拝むようにして受話器を取ったというエピソードもありました。国会図書館にこもってこのあたりの資料を読んでいると、とても魅力的な人たちに思えてワクワクしましたし、帰り道の足取りも軽くなるような、そんな楽しい時間でした。

 しかし、経済成長が鈍化するにしたがって、サラ金が社会にもたらす負の側面はどんどん大きくなっていく。閲覧室の片隅で、当時の記事や証言を読みこむ作業もまた、どんどん陰鬱なものになっていったそうだ。(後編につづく

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