シングルで妊娠・出産・乳がん。多くのひとと繋がって成立していた日常が、コロナで一変して

文=玉居子泰子
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GettyImagesより

 新型コロナウィルスの感染拡大のもと、必死に暮らしている人たちがいる。周囲との繋がりが希薄になり、今まで通りの暮らしができにくくなるとき、ひとり親で子どもを育てているシングルマザーの多くが孤立した立場に追いやられる。

 前回は、そんなシングルマザー同士を繋げ、心身のセルフケアプログラムをオンラインで立ち上げ、同じ立場の人同士繋がりあう重要性を伝える「シングルマザーズシスターフッド」の吉岡マコさんに話を聞いた。

弱者が追い込まれる社会で必要なのは、自己犠牲ではなくセルフケア「シングルマザーズシスターフッド」吉岡マコさんインタビュー

 新型コロナウィルス流行長期化の影響下で誰もが生活に不便を強いられ、多くが経済的な苦境に立たされている。社会全体が苦境にある時、最も影響を受けやすいのは…

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シングルで妊娠・出産・乳がん。多くのひとと繋がって成立していた日常が、コロナで一変しての画像3 ウェジー 2021.03.20

 このプログラムに参加しているひとり、佐藤純子さん(43)には4歳になる娘がいる。東京で大手企業の正社員としてフルタイム勤務しながら、娘を育ててきた。ふたりの暮らしに幸せを感じているが、2年前に乳がんが発覚。闘病生活、そしてコロナ禍の緊急事態宣言と、日常の足元がぐらついた時、これまでにない不安を感じたという。

産む前に出した結論「社会でこの子を育てていこう」

 佐藤さんは、一度の離婚を経て、未婚で娘を生んだ。子どもはずっと望んでいたが、妊娠が分かった時、相手と結婚する選択肢はなかった。

「実は、娘の父親は外国の人で、妊娠が分かってからも一緒に日本で家庭を持つということが難しい状況にある人でした。産むなら一人で育てていくしかない。悩みましたね。仲のいい友人たちはみんな反対しました。『父親のいない子を産むということがどういうことか、考えて』と。でも、姉が親身になって話を聞いてくれて、『子どもは社会の宝だよ』という話もしてくれました。私もよくよく考えて、親としての責任はもちろん果たさなくちゃいけないけれど、一人で抱え込まず、いろんな人の力を借りながらなんとか育てていけたら、と思うようになりました」

 佐藤さん自身は北海道の自営業の両親の元で育ったこともあり、いつも家に家族や近所の人が出入りをしていて、寂しいと思ったことはなく、楽しい幼少期を過ごした思い出がある。東京での生活は核家族化されているけれど、社会制度や周囲の手を借りて、育てていきたい。漠然とながらイメージが湧いてきたという。

「出産時に父が闘病していたので、子どものいない姉夫婦の家に里帰りさせてもらって、産後3〜4カ月お世話になりました。東京に戻ると、都内に住む叔母がサポートしてくれて。最初は手探りだったけれど、実際に本当にたくさんの人に助けられて、娘を育ててきましたね」

 もともと社交的で友達を作るのが苦にならないタイプ。育休中には、積極的に育児イベントなどの集まりに参加してママ友を作っていった。

「シングルマザーズシスターフッドの前身であるマドレボニータの産後クラスにも参加して、友達もたくさんできました。もちろん他の多くの人はパートナーがいるから、自分とは違うところもありましたが、それでも自分は納得してシングルになったんだからと割り切って楽しんでいました。ひとり親の会にも顔を出したり、積極的に繋がりを見つけるようにしていましたね」

思いがけないがんとの戦い。コロナ禍で人に頼れなくなった

 産後8カ月で仕事に復帰。無事入園できた保育園に、娘はグズらず通ってくれた。生活はすべて自分の肩にかかっている。仕事で結果を残してしっかり稼がなくてはと、毎日懸命に働いた。

「病児保育サービス、ファミリーサポート、ベビーシッター、近所のママ友や親戚の協力……まさに借りられる手は全部借りましたね(笑)。ある意味、ひとり親であることを武器にして、協力してもらったところもあったかもしれません」

 忙しくも充実した日々を3年間過ごした。しかし、復帰後3年経ったとき、乳がんが発覚。

「病気がわかったのは、2019年の11月。告知後はやっぱり精神的にもすごくつらかったです。でも、北海道に住む姉が東京に来てくれて、治療する病院の選定から治療方針の決定までサポートしてくれました。抗がん剤治療が始まってからは一緒に暮らしながら私や娘を支えてくれて。北海道に住む母は、新型コロナが流行しはじめてマスクが不足しているからと、たくさんのマスクや食料を送ってくれました。本当に、家族に支えられました。

 仕事はなんとか続けていました。仕事をしている時間はつらい思いから抜けらたし、しんどかったけど仕事があったおかげで切り替えもでき、頑張れたのかもしれません。緊急事態宣言が発令された時も、ひとり親であることで娘は保育園に預かってもらえたので、なんとか乗り切ることができました」

 夏に手術を受ける際には、娘が生まれて初めて10日間もの間離れることになった。「娘が一番がんばった時期」と佐藤さんは言う。術後、体調は落ち着いたが、残されたのは母娘ふたり。秋からは第二波と呼ばれる感染拡大もあり、テレワークも始まって家の中に閉じこもる時間が増えた。これまでのように周囲の人に気軽に子育てを手伝ってもらうこともできない。人との繋がりがふと途切れたような気がしたという。

「なんとも言えない孤立感でした。それは今も続いています。治療と仕事と子育てをひとりでやっている感覚があって。コロナの感染拡大も収まらず、不安も高まっていくけれど、大人と話をしてストレスを解消することもできない。すごくしんどかったですね」

シングルだからこそ、自分に軸を置く感覚を取り戻す

 これまでは母娘ふたり、周囲に助けられながらも懸命に、そして楽しく暮らしてきた。だが自身の病気発覚と、コロナの流行が重なった時、佐藤さんは自分が「弱者」であることを感じずにはいられなかったという。

「正直、これまではシングルでも自分が弱者だと思ったことはありませんでした。でもコロナ禍に病気になって初めて、自分も含め、誰でもやはり弱くなる時があると気づいた。そして何かあった時には弱者が追い込まれていく社会なのだと実感しました。このコロナ禍の一番の問題は、繋がりが分断されてしまうこと。誰かに助けを求めたり支援に手を伸ばすことが難しくなると、一気に孤立してしまうんです」

 このままではダメだと思った佐藤さんは、手術後、落ちてしまった体力を取り戻したいという思いもあり、シングルマザーズシスターフッドの講座に申し込んだ。

「マドレボニータの時も産後のエクササイズや対話で元気をもらえたので、参加してみようと。術後の体には軽めのストレッチがちょうどいい負荷になりました。悩みを忘れて、体に意識を向ける時間を持つことで、自然と気持ちが前向きになるんです。治療中であることはオープンにしていますが、対話の時間に辛いことは話しません。でもみんなと情報交換をしたり、他の人の話を聞いたり、世間話をして笑うだけでも本当に元気になるんです」

 仕事や育児に追われ、精神的にも辛くなりがちなシングルマザー。佐藤さんが、最も必要だと感じるのは、「自分に軸を置くこと」だという。

「自分の体に向き合う時間や、人と明るく話すための時間を持つことで、自分自身に軸を置く感覚を取り戻すことができる。シングルだとつい忘れそうになるんですよね。子どもか仕事か、どちらかに時間も力も全て使ってしまう。自分自身に向き合う大切さを、こうしたクラスに参加することで少しずつ体で覚えていくことができるし、大変なのはひとりじゃないと気づくことができるんです」

 佐藤さんのようにひとり親で重い病気になると、入院や治療中に育児を助けてくれる人の存在が必須だ。だが、そうした社会的支援はまだ整っていない。佐藤さんは今、自分と同じように孤立感を覚えているひとり親たちとの繋がりを増やしたいと、シングルマザーズシスターフッドの運営スタッフとして、月に一度のミーティングにも参加している。

「病気になって、娘とこうしていられる時間も永遠じゃないっていう当たり前のことに気づかされました。だから、これまでみたいに仕事ばかりというのではなく、娘との時間もこれまで以上に大切にしたいですね。娘には自分軸で、自分で選択できる人になって欲しいと思っています。今はたくさん話をしながら、小さなことでも娘の感じることや意見を大切にして、楽しく過ごしていきたいと思っています」

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