アジア系移民に光を当てた映画『ミナリ』が、アメリカ映画界に突きつけたもの

文=菅原史稀

エンタメ 2021.03.20 06:00

©2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved.

 1980年代のアメリカ・アーカンソー州に移住する韓国人一家を描いた映画『ミナリ』。本作は、サンダンス映画祭のダブル受賞を皮切りに世界の映画祭を席巻し、アカデミー賞作品賞含む6部門にノミネートされ、 アカデミー作品賞の獲得も有望視される“いま最も注目すべき映画”のひとつとなっている。

 監督は、1978年生まれの韓国系アメリカ人監督リー・アイザック・チョン氏。『ミナリ』はリー監督の半自伝的作品である。余談だが、リー氏は『君の名は。』の実写版でも監督を務めることが決まっている。

 アメリカの農村地域に暮らす韓国系移民一家の小さな物語であるこの『ミナリ』が、いま重要視されるゆえんとは何か。その一つに、本作にはアメリカ映画としてある種の新鮮さが表れていることが挙げられる。

 農業で成功することを夢見る父ジェイコブは妻と幼い子供たちを連れ、アーカンソーに越してくる。劇中には、出来るだけ地元住民の手を借りずに開墾し、畑へ水を引くため、見知らぬ地で奮闘する彼の姿が描かれている。

 ジェイコブはどうして、すべてを自力でやり切ろうとするのか。また、何故、生業の場所をアメリカに選んだのか──そこには、同じくアメリカで暮らす韓国系移民コミュニティ向けに韓国の野菜を栽培することで一山当てたいという経済的な成功を目指す思惑とともに、誰かの場所でなく自分自身が拓いた自分だけの場所で生きたいという、彼にとってのアメリカン・ドリームが込められている。

 しかし一方で異国の地で育つ子供たちの身を案じる母モニカは、多くの犠牲を払い孤軍奮闘しながら農業に打ち込む夫の理想と、立ちゆかない生活の狭間に立たされ苦悩する。

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 『ミナリ』には、それぞれ守り抜きたいものを抱え衝突しながらも歩み寄る親二人の姿が、韓国系移民二世であるリー監督の個人的視点を通じて愛情深く捉えられている。そうした本作で描かれる“親たちのアメリカン・ドリーム”は、“これまでのアメリカン・ドリーム”とは異なるものとして感じられる。また、作中に見られる様々な文化的要素も、新鮮なものとして私たち観客の目に映る。

 たとえば、物語中盤に韓国から渡ってくる祖母スンジャが、持病のある孫デイビットに生薬の煮汁を飲ませる場面。韓国では現在でも日常的に服用される漢方生薬だが、アメリカで育ち韓国の地へ渡ったことのないデイビットにとってそれは生まれて初めて目にするもの。身知らぬ苦い汁を飲ませる祖母にデイビットは、英語混じりの韓国語でこう言い放つ。「もうこんなものは“never,ever”持ってこないで下さい!」

 一方で母モニカの膝に頭を載せ、耳掻きをされながら会話するデイビットは、非常にリラックスした様子だ。親が子に耳掃除を施す光景は日本でもよく見られるものだが、実は耳掻きによる耳掃除の習慣は、耳垢の性質が人種によって異なることが理由によりアジア系以外の家庭ではあまり見られないものだという。

 確かに本作でみられる親子の耳掃除シーンは、アメリカ映画の光景として新鮮な印象を与える。しかし私たちが覚えるこの新鮮な感覚こそ、いかにこれまでのアメリカ映画でアジア系家庭の日常表象が欠かれていたかを表すものと言えるだろう。

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菅原史稀

2021.3.20 06:00

編集者、ライター。1990年生まれ。webメディア等で執筆。映画、ポップカルチャーを文化人類学的観点から考察する。

@podima_hattaya3

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