『FEEL YOUNG』と女の欲望ー安野モヨコ『ハッピー・マニア』『後ハッピーマニア』をめぐって

文=トミヤマユキコ
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(※本稿の初出は『yomyom vol.67』(新潮社)です)

 いきなりの私事で恐縮だが、わたしは両親にマンガを禁止されて育った。大人になるまでマンガは読んじゃいけませんという言いつけを素直に守ったため、書店のマンガコーナーに足を踏み入れたのは、20代も終わりになってからだった。あのときの混惑はいまも忘れられない。自分の欲しいマンガがどこにあるのか、全くわからなかったのだ。

 マンガ読みにとってはごく当たり前のことだが、書店のマンガ棚は小説一般と違い、作者名の五十音順にはなっていない。大まかに男性向け/女性向けに分けられた上で掲載誌ごとに並べられて、そこからやっと五十音順になる。マンガ育ちでないわたしは、作品を掲載誌とセットで記憶する習慣を持たず、作家名だけ覚えて行けばあとはなんとかなるっしょ、と思っていた(ならない)。掲載誌を知らないと棚の当たりをつけることができないと知ったわたしは、このとき初めて、マンガと掲載誌の関係について強く意識させられたのだった。

 もちろん、掲載誌に関係なく、作家・作品それ自体を単独で愛する読者もいるし、連載を経ない書き下ろし作品も存在しているわけだが、たいていのマンガには、掲載誌というバックグラウンドがある。思い起こせば、かつてのクラスメイトたちも、「『りぼん』派? それとも『なかよし』派?」みたいな話をしていた。「いや、わたしは『ちゃお』っ娘で」と答えるひとがいると、みんなが「ああ、なるほど」と納得したりして。当時のわたしには、何が「なるほど」なのかさっぱりわからなかったが、いまならわかる。掲載誌とは一種の「宗派」であり、各宗派ごとに教義=編集方針が微妙に異なる。そして、その感覚は、マンガ読みたちの間でごく当たり前のものとして共有されているのだった。

 こうした前提を踏まえた上で、本稿ではここから安野モヨコの『ハッピー・マニア』および『後ハッピーマニア』について論じていく。『ハッピー・マニア』は、1995年から2001年にかけて、『FEEL YOUNG』誌上で連載された安野の出世作である。『後ハッピーマニア』はその続編にあたり、こちらも『FEEL YOUNG』誌上で2017年に読み切りが1本出た後、19年から本格的に連載がはじまっている。15年以上のブランクを経て再び動きはじめた同作を読むと、時の流れとそれにともなうキャラクターの変化を見て取ることができて興味深い。そして、20代女性を主なターゲットとするヤング・レディース誌(最近では「女子マンガ」と呼ぶことも)としての『FEEL YOUNG』がどのような機能を果たしているかについても多くのヒントを得られるように思う。

NOを突きつける「強い意志」

 まずは『ハッピー・マニア』の話からはじめよう。第1話が掲載されたのは、『FEEL YOUNG』1995年8月号だ。同号の表紙で最も大きく扱われているのは、岡崎京子『ヘルター・スケルター』と桜沢エリカ『シーツの隙間』である。『ヘルター・スケルター』は7月号から連載がスタートしたばかり。まさにここからが勝負である。桜沢も『FEEL YOUNG』には欠かせない看板作家的存在だ。ふたりの扱いが大きいのは至極当然と言えるだろう。

 それらに続いて、内田春菊『目を閉じて抱いて』や、二ノ宮知子『平成よっぱらい研究所』などが、ひと回り小さな文字で紹介されている。いずれもマンガ読みの間ではよく知られ、いまなお読み継がれている人気作だ。

 いま振り返ってみて改めて驚かされるが、当時の『FEEL YOUNG』は本当に良作揃いである。恋愛をセックスも込みで衒(てら)いなく描く作品から、思いきりコメディに振り切った作品まであって、しかも、そのいずれもが古き良き女性像にNOを突きつけるものになっている。女に性欲があっていいし、正体をなくすほど飲んだくれてもよい。世間が認めるいい男じゃなくても惚れていいし、同じような失敗を繰り返してもいい。ここにあるのは、言うなれば「フィーヤン的フェミニズム」とでも呼ぶべきものであり、男への目配せ抜きで女という存在を描き切ろうとする強い意志が感じられる。

 当時のキャッチコピーは、その意志を裏打ちするかのようだ。試みにいくつか紹介しよう。「他誌では読めないリアルな恋愛がぎっしり!!」(1997年2月号)、「あなたの恋愛魂、いまのままでいいの?」(1997年12月号)、「めざせ、恋のW杯!平凡な恋なんていらない!」(1998年1月号)……これらが意味するのは、女の欲望の全肯定に他ならない。

 そんな『FEEL YOUNG』に初登場作家としてやってきたのが、安野モヨコそのひとであった。表紙に印字されているのは、「フレッシュ!初登場/安野モヨコ」の文字のみでタイトルはなし。文字サイズもごく小さい。しかし、次号以降『ハッピー・マニア』の扱いは徐々に大きくなっていく。あけすけな性愛を描くことも、笑えるギャグを描くこともできた安野が人気を博すのは、不思議でもなんでもない。むしろ、安野こそがフィーヤン的フェミニズムをわかりやすく作品に反映させながら加速させていった張本人だと言っても過言ではない。

結婚は欲望の対象外

 ではここで、『ハッピー・マニア』のあらすじを簡単に説明しておこう。主人公は「シゲカヨ」こと「重田加代子」。明治大学を卒業した後、フリーターとして社会に出た「職歴なし」の24歳である。第7巻に登場する履歴書によれば、大学に入学したのが平成7(1995)年、フキダシに隠れて卒業年は見えないが、留年しなかったものと考えて計算すれば、平成11(1999)年3月に卒業式を迎えているはずだ。1999年卒の採用状況がどのようなものだったかについては、リクルートワークス研究所の「大卒求人倍率調査」が次のようにまとめている。

 来春卒業予定の大学・大学院生に対する全国の民間企業の求人総数は、昨年(67.5万人)に比べ17.3万人(▲25.6%)減少し、50.2万人となった。

 この結果、来春卒業予定の民間企業就職予定者(推定40.35万人)に対する求人倍率は昨年より0.43ポイント下降し、1・25倍となった。1996年卒の1.08倍を底に、1997年卒・1998年卒と上昇基調にあったが、急激に下降した形となった。今回の数値は、「就職氷河期」と言われた1995年卒の1.20倍に次いで3番目に低い水準である。
https://www.works-i.com/research/works-report/item/s_000102.pdf

 ここでは1995年だけが就職氷河期であるかのように書かれているが、これは1998年6月29日時点の文章だからであって、その後就職氷河期は、1990年代半ばから2000年代前半に大学を卒業したり社会に出たりした世代を指すようになる。だとすればシゲカヨは、就職氷河期の真っ只中に世に出た(出ざるを得なかった)人物ということになる。作中では「恋の暴走機関車」として数々の恋愛を繰り広げ、恋愛に夢中になるあまり仕事が続かない人物として描かれているが、時代背景を考えると、恋愛体質であろうとなかろうと、まともな就職にありつくのは難しかったのでは、という気がしてくる。

 そんな彼女が不安定なフリーター生活をものともせず恋愛に打ち込めるのは、なんといってもルームシェアをしている「フクちゃん」こと「福永ヒロミ」のお陰だ。フクちゃんもそれなりに恋愛体質ではあるのだが、一方でデパートの美容部員として着実にキャリアを積み上げており、シゲカヨにくらべると経済状況はかなり安定している(だからちょくちょく家賃を滞納するシゲカヨに対して寛容でいられる)。仕事と恋愛のバランスを考えながら一歩一歩進んで行くのがフクちゃんで、恋愛のことだけを考えてどこまでも突っ走るのがシゲカヨ。現実的なフクちゃんと、非現実的なシゲカヨ、と言い換えてもいい。ともかく、対照的なふたりを動かすことで物語は進んでいく。

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