オフィスの温度、車の安全性、医療…日常になじんだ性差別をデータで暴く

文=原宿なつき
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GettyImagesより

 『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(キャロライン・クリアド=ペレス著 神崎郎子訳 河出書房新書)は、2019年にアメリカとイギリスで発売と同時にベストセラー入りした話題の一冊だ。

 日常に溶け込んで意識されていない、しかし生死に関わりかねない性差別を、圧倒的なデータとともに突きつけてくる本作は、『王立協会科学図書賞』や、ファイナンシャルタイムズ紙とマッキンゼー・アンドカンパニーによる『2019年ベストビジネスブック』に選出され、各方面から高い評価を得ている。

 オフィスで働いている女性が、ひざ掛けをして震え上がっている光景は珍しくない。これは、体温の高い男性に合わせて低めの温度設定になっているからだ。男性が薄着になるのではなく、女性が厚着をすることでやりすごさなければならない。オフィスは女性より男性にとって快適かつ適切である場合が多い。この明らかな不公平について、気づいている人(とくに女性)は少なくないだろう。

 気づいているということは、是正できる可能性があるということだ。しかし、日常になじみきった多くの性差別は、無意識になされ、気づかれもしていない。

映画、医療、車…あらゆるものが男性基準で作られている

 たとえば映画。映画は万人のものだと思われている。しかし同書では、1990年から2005年までに公開された一般向け映画を分析したところ、セリフのある役柄のうち、女性の登場人物は28%だったという。男性の方が、配役が多いだけでなく、スクリーンに映る機会も平均で2倍多い。ハリウッドでも、男女の俳優のギャラに大きな格差があることはよく知られているが、一作のギャラだけではなく、そもそも仕事を得る機会も女性の方が少ないのだ。

 また、設計や医療分野においては、「男性向け=万人向け」が命取りになりかねないレベルで浸透している。

 グーグルのもっとも優秀な音声認識ソフトは、女性が話す言葉より男性が話す言葉のほうを正確に認識する確率が70パーセントも高い。自動車の音声認識ソフトの場合、これがまともに作動しなければ命に関わる。

 車の設計自体も男性基準だ。スウェーデンの研究では、車が追突した場合、女性の体は男性よりも早いスピードで前方に投げ出されてしまうことが明らかになった。なぜこんなことが起こるかというと、自動車の衝突安全テストに用いられているダミー人形は、「平均的な」男性の体格に基づいているからだ。一般的なダミー人形は身長177センチ、体重76キロで、筋肉量比率も男性基準である。

 アメリカの衝突安全テストで女性ダミー人形が使用されたのは2011年のことだが、このとき女性ダミー人形とされたものは、単なる一般的ダミー人形の縮小版に過ぎず、胸の大きさや筋肉量などは男性基準のままだった。さらにこの女性ダミー人形は助手席でしか試験されないことが多く、女性ドライバーが衝突時にどのような影響を受けるかについては全くデータがない。

 医療分野でもこうした傾向は顕著で、薬理学の論文の90%は男性のみを対象にした研究しか取り上げていないことが2007年の論文で明らかになった。また、女性に多い疾病の動物実験においてさえオスが使われることが多いという。うつ病の発症率は女性の方が男性よりも70パーセントも高いが、脳障害の動物実験ではオスがメスの5倍も使用されている。

 2013年には画期的な効果が期待できる人工心臓が開発されたが、そのサイズは女性には大き過ぎたという事案もあった。現在、設計者たちは小さめのものの開発を進めているが、そのほかの人工心臓と同じく、女性版ができるのは、基準とされる男性版が登場してから何年も後になることは避けられない。

 本書では、こういった男性基準かつ男性優位の構造が日常に埋め込まれていることを、膨大なデータとともに解き明かしてくれる。

建前以上は男女平等。女性政治家に投げつけられるミソジニー発言

 建前上、男女差はないとされている分野にも、性差別はひそんでいる。たとえば、政治への参加のハードルもそうだ。現状女性が政治を行うためには男性は直面することのない誹謗中傷に耐えなければならない。

 列国議会同盟(IPU)によるグローバル調査の報告書(2016)では、「女性政治家に対する性差別、ハラスメント、暴力は際限なき現象であり、程度の差こそあれ、どの国にも存在する」とし、女性国会議員のうち66パーセントはつねに男性の同僚議員らによるミソジニー的な発言にさらされているという。2016年のヒラリー・クリントンへの誹謗中傷のツイート数はバーニー・サンダースへの誹謗中傷の2倍だった。元オーストラリア首相のジュリア・ギラードに対して最もよく使われた誹謗中傷の言葉は、「ビッチ」であり、ギラードもまた、政敵のケヴィン・ラッドの約2倍の誹謗中傷を受けている。あるヨーロッパの女性国会議員がIPUに語った話では、ツイッターでのレイプの脅迫は、4日間で500回以上にものぼったという。

 オーストラリアでは、18歳〜21歳の女性の60パーセント、32歳以上の女性の80パーセントが、「女性政治家に対するメディアの扱いを見ていると、公職選挙に立候補したいとは思わなくなる」と述べた。

 政治分野で女性が攻撃され、メディアでも差別的に扱われるのを見ることで政治を志す女性が少なくなることは理解できる。誰も、レイプ予告なんてされたくないのだ。

 日本は現状、政治分野のジェンダー・ギャップ指数が149カ国中144位と世界最低レベル(2020年)を記録している。「女性も立候補できるんだから、すればいい。選挙は男女平等なのだから」と、性差別・ハラスメント・暴力を無視し続けるなら、実際には民主主義とは言い難い「女性抜きの民主主義」が続いていくことになるだろう。

世界の見方が違って見える「変化への希望の書」

 意識すべきは、(女性政治家に対するハラスメントは悪意を含んだものだが)日常になじんだ「男性がデフォルト、女性は二流市民扱いで後回しにされる」といった構造は、その多くが悪意によるものではなく、意図的ですらない、という点だろう。

 男性を基準に車を設計し、男性を基準に薬や医療を研究するといった片手落ちは、単に女性という存在が世界の半分を占めていることを忘れていただけなのだ。

 あらゆる分野で男性が基準となっており、女性は存在しないか、「ニッチな存在」とみなされていることを暴露した本書を読んだ後は、世界の見方が違って見える。「こんな世界に住んでいたのか」と絶望的に思えるかもしれない。

 しかし、女性という存在を認識すること、つまり、女性の声を聞き、性別の偏らないデータを収集していくことで、不平等は解消できるのだ、という希望も垣間見える。不平等を変える第一歩は、現状認識だ。男女不平等の現在地をするどく突きつけ、変えていく行動を促す本書は、そこにどれだけきつい現実が書かれていたとしても、やはり希望の書と言えるだろう。

(原宿なつき)

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