「バ先」「バおわ」変質する言葉〜人類史上、もっとも若者が文字に接している時代で

文=サンキュータツオ
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国語辞典イヤーに見た「ガチ」

 「ガチ」って、けっこう聞くけど、みなさんだったらガチをどう説明するだろうか。この一年は、コロナ騒動初期のダイヤモンド・プリンセス号のニュースからはじまって、発生源はどこだとか、なにが効くとか効かないとか、トイレットペーパーが無くなったり、感染者だと嘘をつかれた人が村を出ていかなくてはならなくなったり。フェイクやデマに踊らされた。

 ただ、本当という意味で「ガチ」とはなかなか使わないと思う。どちらかというと「本気」とか「本格的」とか、「尋常ではない」くらいのニュアンスだろうか。

 個人的にメジャーな国語辞典と位置付けている四冊の辞典(ビッグ4と呼んでいる)で、試しに「ガチ」を調べてみた。

・三省堂国語辞典 第七版
(名・形動ダ)〔←ガチンコ〕〔俗〕〈本気/本格的〉であるようす。「―で勉強した・―泣き」〔副詞的にも使う。「―つかれた」〕
・岩波国語辞典 第八版
(掲載なし)
・新明解国語辞典 第八版
〔←がちんこ。主に若者が使う俗語的表現〕🈩㊀真剣に行うこと(様子)。「期末試験には―で臨む」㊁本格的でごまかしがきかないこと(様子)。「この映画の怖さは―だ」🈔(副)とても。ものすごく。〔単なる強調を表わす〕「―うまい/―疲れた」
・明鏡国語辞典 第三版
[名・形動][新]本気。本当。まじ。「この話は―だ」「―でやばい」▼相撲用語「がちんこ(=真剣勝負)」の略という。書き方 多く「ガチ」と書く。

 いずれも最新版の四冊からだ。ガチはたしかに俗語だけれども、岩波国語辞典は存在を知りながら項目さえ入れないというツッパリ方でむしろ好感が持てる。三省堂や新明解は「本気、本格的、真剣」を軸に、新明解は「とても」「ものすごく」を拾い上げているのがすごい。たしかに「ガチ疲れた」は、「本格的に疲れた」というよりは、「とても疲れた」という強調表現だろう。

 ただ、明鏡国語辞典にはビックリした。最初の意味に「本気。本当。まじ。」と短いけれども書いてある。実は、読者のみなさんには似ているように思えるかもしれないが、「本当。まじ。」は他の二冊とも入れていない意味で、けっこう踏み込んだ記述になっている。その証拠としてこの辞典が挙げている用例「この話はガチだ」に注目してほしい。明鏡以外の辞典で「この話はガチだ」を理解しようとすると、「本気の話」という感情の問題、あるいは「本格的な話」という難易度や質の問題、という解釈になる。しかし明鏡版だと「本当の話」という真実かフェイクか、という問題にも解釈できるようになる。昨年は新明解国語辞典と明鏡国語辞典の最新版が発売された辞典イヤーでもあったのだが、十二月発売の明鏡がこの語釈(語の説明)を入れてきたことにはいささか感動した。

 私には「ガチ」をここで紹介したいと思ったキッカケがある。それは電車の車内広告で見た「奥村組」という建設会社のCMだ。よく知らなかったのだが、この会社のCMはショートドラマ風になっており、「奥村くみ」という主人公(森川葵が演じている)が奥村組に入社して、いろいろなプロジェクトに関わるうちに、社内の先輩や後輩と交流を深めていくというものになっている。車内広告では音が出せない代わりに、キャストなどを文字情報で紹介してくれるのだが、そこで「奥村くみ 森川葵」などと並んで「社員(ガチ)」と紹介されていたのだ。

 明鏡の備考にも触れている通り、「がちんこ」という相撲用語から来ていて、最近ではカタカナでも表記される「ガチ」だが、真剣勝負という意味での「がちんこ」の対義語は、「無気力」相撲であり「八百長」相撲だろう。ま、そもそも表向きには無気力相撲はやってはいけないことなので、すべてが真剣勝負のはずという建前があり、真剣勝負という言葉が存在していること自体、「ではほかはどうなの?」という対象になってしまうのだが。ただ、メールで勝敗と金額をやりとりしていた時代は終焉をむかえ、いまはクリーンにやっていることになっている。しかもコロナ禍の両国国技館では、無観客でやっていることもあり、力士がぶつかったときに出る音は間違いなく「無気力」のものではなかった。

 ただ、対義語が「本気を出さない」「無気力」であったから、「ガチ」が本気または本格的と説明されていたわけだが、「社員(ガチ)」は、社員役として出ている人たちは、本物の奥村組の社員です、という意味だろう。そうなると「本気か無気力か」ではなく「本当か嘘か」ということが問題となっている。

 フェイクニュースか本当か、というのも、「ガチのニュースか、フェイクか」と言われ始めている。つまり「ガチ」は静かに「本気」から「本当」「真実」へと意味の領土を広げているのだ。

スタンプ化する言葉たち ~自分との距離感〜

 昨年の「新語・流行語大賞」は「3密」だったが、私が注目しているのは三省堂が主催している「今年の新語」大賞である。このふたつを混同している人もいるかもしれないが、「新語・流行語大賞」というのは、どちらかというとヒット作やヒット商品などの振り返り的な要素が強い。しかし「今年の新語」は辞典が主力商品である三省堂主催で、ヒットとは別に、知らない間に定着していた日本語、あるいはこれから定着してスタンダードになりそうな日本語を取り上げる。

 たとえば2019年は「―ペイ」が大賞で、これもいつの間にか浸透した電子マネーの名称に使われがちな言葉だ。そのほか「にわか」「あおり運転」「反社」などなど、たしかに一度に大勢の人が使いだしたし、その言葉を見るだけでその年あったことがなんとなく思い出せる。というか、ラグビーに熱狂していた頃が懐かしい。「にわか」は少し前まではネガティブな意味で、新参者を揶揄するようなニュアンスで使われてもいたが、ラグビーの一件から、「最近ファンになった人も大歓迎」という意味で「にわかファン」と言われるようになり、ポジティブな意味に変わってきているのも興味深い。

 さて、そんな三省堂の「今年の新語2020」で大賞に選ばれたのは「ぴえん」であった。出自としてはネットスラング的で、書き言葉に多くみられるが、最近では実際に口に出している人もいる。「今年の新語」では、三省堂国語辞典と新明解国語辞典という、三省堂が誇る二つの辞典が実際にその言葉を説明してみるならこんな感じ、という例も示されるのだが、紹介すると、

・三省堂国語辞典
(感・副)〔俗〕小声で泣きまねをするときのことば。また、小さく泣く声。「電車に間に合わない、―」〔二〇一〇年代末に広まったことば〕
・新明解国語辞典
(感)悲しいことがあったときなどに上げる軽い泣き声。また、その泣くときの様子やその声の形容。〔うれしいときにも用いられることがある〕「ぴえーん」とも。「わたしの分のケーキ残ってないの、―」

 といった具合である。実際に涙を流したり、声に出して泣くほどではないが、悲しい。その心を伝えようとしたとき「ぴえん」とかわいく言ってみる。三省堂は「小さく」泣く、新明解は「軽い」泣きと表しているが、要するにここで大事なのは自分の感情を客観的に捉えて、あえて「ぴえん」と言ってみるかわいさなのだろう。そういう意味では三省堂が最初に「泣きまねをする」と、真似だ、と断言しているところは注目に値する。

 そうなのだ、少し前に耳にした、少し怒っているときの感情表出「おこ」「激おこ」「激おこぷんぷん丸」なども、本当に怒っているときは「怒っています」などという余裕はないし、客観的に自分の感情を捉えて表出することもそれまではなかったと思う。しかし、怒っているという感情を伝えつつも、かわいさを失わない表現「激おこ」は、かわいい自分というキャラクターをブレさせずに怒りを演出する発明でもあった。早い話が、LINEで怒っているときにやりとりする場合、理由などの説明をするのではなく、まずは「怒った顔」をスタンプするのとおなじである。「自分はいまこの状態です」と表出することで、感情的になりすぎない。というか、感情的になりすぎるのはダサいのである。号泣した兵庫県議(懐かしい!)にも、ぴえんと言える自分との距離感があればああいうことにはならなかったろう。「このハゲ〜!」も、「私いま激おこぷんぷん丸なの!」といえる余裕があれば良かった。そう、「ぴえん」は自分の感情との距離感を保つのが上手な人が使うスタンプ言葉なのだろう。「良き」などもおなじ仲間のようにも思う。「良し」というといかにも主観的だが、「良き」と表現に変化をつけて文末に持ってくることで、やや主観を外側から捉えている。自分の感情との距離感を保っている。

 同様に、昨今増殖が止まない「○○み」も、「ねむみ……」とだけ言って文を成立させていた。これも「眠い」ではなく「ねむみ」と名詞化することによって自分を外側から表現したスタンプ言葉だと思っていたが、「広末涼子みがすごい」「慶応みがある」など、もはやスタンプとも言えない進化を遂げている。もはや「性」「的」「っぽさ」との置き換えでは出せないニュアンスが生じている。

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