生死の意味をめぐる問題ーー哲学者が考え、引き継いできたもの

文=平原卓
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(※本稿の初出は『yomyom vol.67』(新潮社)です)

苦しみの理由

 学問の重要な効用の一つは、私たちの生から苦痛と悲哀の条件を取り除くことにある。

 天文学の成立は、文明初期の人々に暦の知識を与え、季節の変化に応じた農業の営みを可能にした。医学の進歩は、身体的な苦痛を緩和する可能性を導き、文学は、善悪や美醜の意味に関する洞察の可能性を示した。

 デカルトが『精神指導の規則』で明確に説いているように、理性に基づく学問は、生をよく導くための普遍的な知恵である。もし学問が無かったら、私たちの存在は常に未知の物事によって取り囲まれており、それに対して適切に対処することは出来ず、絶えず移ろい行く外界に怯えて生活するしかなかっただろう。学問は、生活に秩序を与え不安の理由を解除することで、私たち人間が、生の喜びを持続的に享受することを可能にした。

 それでもなお、学問には一つの決定的な限界がある。

 学問は本質的に、私たち人間の生きる世界において、人間の意識と理性の水準で成立する。従って、学問が自らの拠って立つ人間性の限界を超えることは原理的に不可能である。

 例えば、どれほど学問が進歩しようと、過去を変えることは出来ない。

 学問は、自然世界の事象を過去から未来にかけて一貫的に説明する合理的な法則を導くことは出来る──ニュートン力学は、その古典的な業績である──。だが、起きてしまった出来事を、起こらなかったものにすることは出来ない。説明可能性と変更可能性は、二つの異なる事柄である。

 もし過去を任意に変えられたならば、何かに悩むこと自体がそもそも起こらなかっただろう。ブサイクなら、整った顔の両親から生まれなおせばよく、貧乏なら、富豪の家を選んで生まれなおせばよい。

 何故私たちは苦しむのか。

 取り除けない苦しみの理由があるからである。

 歴史的に、私たち人間にとって苦しみの最大の理由は、生死の意味をめぐって経験されてきた。

 私たちは、自分が生まれなかったことには出来ないし、また、不死に達することも出来ない。自分の意志では選択し得ない生死の限られた時間の内で、私たちは、生みの苦しみと死別の悲しみに耐えなければならない。無論、後者に関しては、もし人間が不老不死を超えて死に得ない存在になったとすれば、事情は異なるものとなるだろう。だがその場合は、永続する時間をどのように過ごせばよいか、という点に関して新たな苦しみが起こってくるに違いない。人間が存在する限り、生死の意味をめぐる問題が無くなることはない。

 現代の私たちが、この問題を身近に感じるとすれば、その本質的な理由は、各人に代わってその問いに答えてきた文明の意味体系から絶対的な効力が失われたことにある。

 生き方、死に方に関する問いは、決して真新しいものではない。文明以前の時代の人間もまた、その問いを経験し、これに対して解答を与えてきた。その過程で、来世への再生という観念が生み出された。何故再生の観念に価値が与えられたか。それは、再生の観念が、来世の観点から過去としての現世に意味を与えるものとして働いたからである。

 来世からすれば、現世の一切には理由がある……。この観念は、生死の意味を保証する方法としては、歴史上最大の発明の一つだった。再生の観念は、生を一から生きなおす可能性を示すものとして、強力に人々を惹きつけてきたのだ。

 かつて、現世は来世のための準備期間とされ、来世が現世の究極の目的と見做されていた。一方、今日では、来世という観点を定めること自体が不合理な試みとして映るようになった。

 来世の方から生死の意味を引き出してくることは不合理であると考えられ、生死の意味は、ただこの現実の内で生じるものとして経験されるものとなった。この過程で、死の観念は遥か遠くに移され、「いま、この瞬間を生きること」に価値が与えられるようになった。これを、所詮は現実を刹那的に生きることに過ぎない、と評するのは安易である。この現在がより優れた未来を保証しないことが明らかになった以上、現実に対して禁欲的に生きることに、もはや実質的なメリットは存在しないからである。

 これと並行して、私たち人間は、共同体により用いられてきた意味の枠組みに依拠せず死の意味を把握するという課題に直面することになる。

 この点はとりわけ、親しい人間を喪失した際、一つの重要な問題として現れてくる。自分の死は、実際には経験されず、常に可能性に留まるような観念であるが、他人の死は、残された人間にとっては、以後永続的に経験される観念であるからだ。

 近代以後、この問題は、家族や親友の死をどのように受け入れられるかという形を取って現れてきた。ここには「来世は存在しない」という一般的な観念では解消されない、苦しみの理由が存在する。

自殺は善悪の彼岸にある

 近代以前、生殺与奪の権限は共同体に帰属した。生のあり方も、死すべき時も、共同体において決められた。生死に関する自由は存在せず、生死の意味を自由に解釈すること自体がタブーとされた。人間の生は、共同体の掟と、その掟を体現する〈聖人〉の理想によって、その全体にわたり、自己の死に至るまで規定された。生死に関する自由は原理的に存在せず、その掟に対する不服従は、共同体への反逆と見做されざるを得なかった。

 とりわけ、生を自ら否定すること、すなわち自殺の意味と理由に関する思考は、その根本から抑圧された。これは、成員に相互配慮の義務を課すことで初めて存続が可能となる近代以前の共同体では必須の要求だった。

 近代以前、自殺は、それが生活における苦しみなど自己固有の都合を理由とする場合は、共同体の義務一般に背く悪となる。だが、自殺が共同体の価値基準に従い、その基準を積極的に肯定するものである場合は、善であり正しい行為、潔い行為となり、自殺を選択せずにいることは、生き恥を曝す醜いものとなる。その場合、「他の人間が共同体のために命を捨てたのに、何故お前は生きているのだ」と人は咎め、「仲間は共同体のために自らの命を犠牲にした。だが、自分は死ぬべき機会を掴めなかった。自分は自己中心主義の臆病者である」と自らを責める。これは、生死の意味を共同体の方から把握しなければならなかった近代以前の人間にとって、一つの重大な困難として経験されるものだった。

 19世紀の社会学者、エミール・デュルケム(1858~1917)は、『自殺論』の中で、自殺は非とされるべきであるという原則は何としても遵守されねばならない、と説いている。デュルケムは、宗教的な権威に代えて、道徳の権威を復活させることにより、個々の人間を社会に服従させ、社会を尊重する心情を育み、社会の秩序のために自らの欲望をコントロールすることが可能になると言う。デュルケムは、社会から秩序が失われると、社会は個人を規制出来なくなり、自殺が増えると考える。結局は、過剰で「異常」な個人主義が自殺への傾向を増加させるというのである。

 デュルケムは、自殺は道徳に反するため厳しく非難されなければいけないとし、自殺に寛容なのは「道徳的に異常」と考える。そして、個人を社会集団へと結びつけることにより、自殺に対する人びとの意識を「正常化」し、健康なものに「回復」させて、道徳的安定を取り戻させなければならないと説く。

 だが、言うまでもなく、自殺を道徳の観点から叱責し、人間を道徳の権威の下へと強制したところで、根本の問題が解決される訳ではない。

 近代以降では、デュルケムの説いた観念は、素朴であるだけでなく反人間的なものでもある。それは、道徳であろうと宗教であろうと、何らかの権威を持ち出すことで混乱を収拾しようとする試みそれ自体が、近代以後の人間性においては、抑圧として経験されるからである。

 自殺がどれほど痛ましい出来事であろうと、自殺を善悪の規準で測ることは、本質的に前近代的である。ニーチェの卓抜な表現を模倣すると、自殺は善悪の彼岸にある。自殺の意味を普遍的に洞察するためには、自殺を善悪、ましてや道徳に結びつける観念は、徹底的に解体されなければならない。それが多少でも前提されている限り、私たちはこの点に関して何ら洞察を推し進めることは出来ないのである。

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