生死の意味をめぐる問題ーー哲学者が考え、引き継いできたもの

文=平原卓
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自由とニヒリズム──ニーチェと彼の思想

 近代社会において、死の観念の絶対性が相対化された実質的な理由は、生活の現実が、自らの意志と責任において自己固有の生活を営むことが出来るという可能性の観念によって充たされたという点にある。

 いまや自由な自己意識は、単に「死後の世界は存在しないのではないか」と問う能力を持つだけでなく、その能力を自覚してもいる。近代社会が自由の観念に支えられて展開し、近代哲学において構想された社会のあり方が普遍的に実現されてくるに応じて、自分自身の生における可能性と責任の観念が、その内実を手に入れる。この過程で私たち人間は、自分の生の意味を、この生それ自体の内から取り出す可能性、また、不可避性を次第に自覚していく。

 一方、これと並行して、この生の意味を、来世の観念によって肯定することは不可能であるという観念が次第に共有されてくる。

 自然科学の進展と、近代社会の展開と共に、否定神学の論理に実効性を与えてきた宗教=政治権力が凋落(ちょうらく)する。真理は語り得ないものであるという観念は、理論的にも政治的にも説得力の根拠を失い、宗教の物語の意味体系の絶対性は、その根幹から瓦解していく。ここでは、来世の観念が論理的に退けられるというより、その価値が失効しているのである。

 この過程を通じて、近代ヨーロッパは、来世における救済を約束してきたキリスト教に対する失望を経験することになった。こうして一九世紀に至ると、伝統的な価値体系の無効を宣言するニヒリズムが現れてくるのである。

 私たちはここで、〈外部〉の観念を原理的に批判した歴史上初めての思想家、フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)に触れないわけにはいかない。

 短いブロックの文章を書き連ねていくスタイル、キリスト教道徳に対する痛烈な攻撃、刺激的な用語法が、ニーチェの文章に独特の雰囲気を与えている。だが、それに飲み込まれていては、ニーチェの洞察の持つ意味を正当に見て取るのは難しい。

 ニーチェの議論は、発表当時は殆ど学問的な影響を与えなかった。処女作にあたる『悲劇の誕生』が当時の学界で否定されて以来、ニーチェは学界でのキャリアの道を断たれ、僅かばかりの職業年金と、ごく身近な知人の援助によって生活を保つことが出来ていたと言われている。

 彼の業績は、死後、20世紀のドイツの哲学者、マックス・シェーラーやハイデガーなどによる評価を通じて、少しずつ検討の対象となっていった。そうして遂に、20世紀以降の哲学と思想は、ニーチェの思想の多大な影響の下で展開していくことになったのである。

 ニーチェの主著は『力への意志(Wille zur Macht)』である。これはニーチェの死後、彼の妹エリーザベトを中心にして編纂された遺稿集であり、ニーチェ自身は編纂や刊行には携わっていない。そのため、『力への意志』がどれだけニーチェの意図に応じた構成になっているかどうかについては疑問の余地が残る。それでも『力への意志』が、『ツァラトゥストラはこう語った』や『道徳の系譜』といった他の著作と並び、ニーチェの思想の核心を表現するものであることに変わりはない。配列がどのような仕方であれ、各断章は、ニーチェ自身の手になるものである。

 『力への意志』は、次の宣言から始まっている。

 私の物語るのは、次の二世紀の歴史である。私は、来たるべきものを、もはや別様には来たりえないものを、すなわちニヒリズムの到来を書きしるす。

 ニーチェは一般に、ニヒリズムの思想家と称される。

 ニーチェの言葉を借りると、ニヒリズムとは、至高の価値からその価値が奪われることである。それまで当たり前に「これが最善のものである」と信じてきた価値、私たち自身の生を導くために必要となっていた価値が失われてしまい、結局一切は無意味であると思われる。そうして、何のために生きるべきなのか、生の目的は何かということも不透明となる。何故なら、価値は本質的に、「……するためには……が有用である」という形で、目的に応じて現れるからである。生の目的の喪失と、諸価値の喪失は、実は同じことである。

 ただし、ニーチェの思想は、「一切の諸価値は解体した」という文言によって悲哀と不安を撒(ま)き散らすようなものではない。

 ニーチェからすれば、一切の既存の価値が無意味になるということは、あくまで中間の状態に過ぎず、むしろ正常でさえある。ニーチェは、この地点を超えて、ニヒリズムは徹底されねばならないと説く。これはどういうことか。

 ニーチェは、「意味それ自体、価値それ自体は存在しない」というニヒリズムの観念は、その外見とは対照的に、価値一般の本質を洞察するための重要なステップであると考える。何故なら、ニーチェによれば、価値とはそもそも、どこかに存在するものではなく、私たちの情動──ニーチェの用語では〈力〉──に応じて生まれてくるものだからである。

 価値それ自体は存在しない。価値は、力への意志の〈光学〉において生成する。ニーチェは、価値に関する観念のこうした転換を基に、ニヒリズムが私たちに課す困難を真に克服することが可能になると考えるのである。

ニーチェの認識論──情動による生成

 ニーチェのこの洞察は、認識論の観点から見ても、一つの大きな達成点を成している。

 近代哲学における基本の問題設定は、普遍的な正しさの根拠は何であるか、というものである。近代哲学は、このテーマに関して二つの方面から取り組んだ。一つは認識の正しさ──誰にとっても正しい認識はいかに可能か──であり、もう一つは社会の正しさ──誰にとっても正しい社会はいかに可能か──である。

 前者に関して、ニーチェ以前の近代哲学の認識論では、主観と客観は何らかの形で対応関係にあるという観念が暗黙の前提とされていた。ここでは、「私」の主観と、認識されるべき客観が対置され、この主観と客観の関係について議論が行われていた。

 ニーチェは、その問題設定の究極形態を、カントの議論に現れる「物自体」の概念に見る。カントの言う物自体とは、端的に言うと、主観の備える認識能力とは無関係に、それ自体で存在するとされる本体のことを指す。

 カントの認識論では、まず、物自体と、それに向き合う主観という二つの軸が想定される。その上で、主観は自らに生まれつき備わっている認識能力を使って、物自体に関する認識を構成すると論じられる。

 これは、何らかのものが認識に先立ち存在しており、認識はそれに関して成立すると説くものであるが、要は「火の無いところに煙は立たぬ」の論理と同じで、何かについての認識が成立するからには、何らかのものが予めどこかに存在していなければならない、という考え方と言っていい。

 ニーチェは、このカントの議論を根本から批判する。

 そのポイントは、認識とは本質的に、情動を原理とする解釈だという点にある。

 ニーチェによれば、一切の認識対象は、情動に応じて規定されている。ごく簡単な例で言えば、目の前にある水のペットボトルは、喉がとても渇いていれば、命を救うありがたいものという価値を持つ。一方、お茶やジュースを飲んで喉の渇きが癒やされれば、水のペットボトルは、当面は必要の無いものとして立ち現れる。このように、水の価値はあくまで、それを欲する私たちの情動に応じて生まれてくるのであって、水に価値そのものが備わっている訳ではない。

 ニーチェは、これと同一のロジックが、一切の対象に関して成立すると考える。その上で、いかなる仕方でも規定されていない「物自体」が存在するという観念は、そもそも初めから成り立たない背理であると論じるのだ。

 これは、表現の表面だけを取れば、物自体、客観それ自体、善それ自体、真理それ自体は存在しないということである。
 だがニーチェは、それらが無意味な虚妄、見かけ上の偽物であると論じている訳ではない。ニーチェの強調点は、それらが生成されるものであるということに置かれている。

 ニーチェは、真理とは、生の保存と成長のために要求されてきた誤謬であると説く。善、道徳、客観、主体……。ニーチェに言わせれば、これらはいずれも、それ自体で存在するものではなく、根本原理としての、力への意志、情動を元に生み出された解釈の結果なのである。

 「真理は存在しない」どころではない。真理は、情動、〈力〉の観点に応じて生じてくる。人間の情動は、必要に迫られれば背理さえも生み出すと考えるのだ。

 ニーチェはこの構造を、遠近法主義(Perspektivismus)という用語で呼ぶ。これは、絵画の遠近法と同様、一切の対象は観点に応じて立ち現れるのであって、観点とは無関係にそれ自体で存在するようなものはそもそも存在しないという考えである。物自体の観念に対する批判は、ここから直接に導かれてくる。

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