DV加害者だった男性の後悔「自分の間違いを認めるのが怖かった」

文=清田隆之
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GettyImagesより

(※本稿の初出は『yomyom vol.67』(新潮社)です)

DV加害者男性が経験した後悔と内省の日々

 DV(ドメスティック・バイオレンス)をしてしまったことのある男性は少数派かもしれない。しかし、暴力とは直接的な殴る蹴るだけでなく、暴言や侮辱、無視や監視、避妊の拒否、過度な束縛、ストーキング、マインドコントロール、セカンドレイプ……などなど、実は様々な行為を含む幅広いものだ。そのような定義に照らしてみたとき、自分は暴力とまったくの無縁だと言い切れる男性はどれほどいるだろうか?

 今回お話を伺ったのは、自衛隊員として働く猪又康宏さん(仮名)。かつて結婚相手に対して暴力をふるってしまった経験のあるアラフォー男性だ。DVをきっかけに離婚し、幼い子どもとも離れて暮らすことになった猪又さんは、過去の行いを激しく悔いている。DV加害者更生プログラムに通い、自分はなぜDVを働いてしまったのか、その背景にあったものは何か、相手はどんな恐怖を味わっていたのかなど、カウンセリングや語り合いを通じて内省する日々を送っている。

 暴力が決して肯定されるべきものでないことは確かだが、同じ過ちを繰り返さないためにも、また相手に対して真摯な謝罪をするためにも、加害の背景を言語化していくことは不可欠なプロセスだと感じる。「自分と同じようなことをしてしまう人が一人でも減れば」と、言葉をしぼり出すようにして過去を振り返ってくれた猪又さんのお話。

 

※本文には具体的な暴力の描写もありますので、フラッシュバックなどの可能性がある方はくれぐれもお気をつけください。

 

「お前全然ダメだな」とあざ笑った父

 両親が日常的に喧嘩をしている家庭に育ちました。「DVをしたのはそのせい」と言いたいわけではありませんが、私がかつて元妻に取っていた態度は育った環境と無関係ではないように感じているので、そのあたりから振り返ってお話しできたらと思います。

 母はとても躾が厳しく、「うん」ではなく「はい」と返事しないと怒るような人でした。家ではジュースを飲ませてもらえず、誕生日プレゼントには欲しかったおもちゃではなく本を買い与えられ、ゲームやマンガなどはほとんど買ってもらえませんでした。私が子どもの頃はファミコンやビックリマン、ミニ四駆といったものが流行っていたのですが、そういったものもほとんど買ってもらえず、教室で友達との会話についていけなくなり寂しい思いをしたり、自分は大切にされていないのかなとの思いを抱きました。

 父は仕事人間で毎日帰りが遅く、平日はほとんど顔を合わせたことがありません。日曜日の朝に私が居間で子ども向けのアニメを見ていたら「いつまでこんな番組見てるんだ」と言われ、「俺のことを何も知らないくせに……」と腹立たしく感じました。また小学3年生のとき、少年野球チームの練習に連れていかれたのですが、コーチの投げたボールをキャッチできず、頭にぶつけて泣いてしまった私に対し、「お前全然ダメだな」とあざ笑うように言った父の顔が忘れられません。

 父と母はしょっちゅう喧嘩していて、子どもである私の目の前であっても感情むき出しで怒鳴り合っていました。共働きだったにもかかわらず家事育児のほとんどを母が担っており、それが喧嘩の背景にあったようですが、ドアが「バンッ!」と閉められたり、ときには皿が飛び交って割れたりと、大きな音がとにかく怖く、私は耳をふさぎながら喧嘩が終わるのを待っていました。

 両親の怒りは私に向いてくることもあり、夜更かししていることがバレると一階から母が早足で大きな足音を立てて叱りにきたし、「友達と馴染めないから学校に行きたくない」と泣きわめいたとき、父は力ずくで私を引っ張って玄関の外に放り出しました。何もかも嫌になって学校に行く時間になってもトイレに閉じこもったときは、両親に金づちでドアを壊され、その音が今でもトラウマになっています。なんで優しくしてもらえないんだろう、なんで一緒に遊んでくれないんだろう、なんでみんなが持ってるものを自分だけ買ってもらえないんだろう……。「両親から大切にされていない」という思いを募らせた私は、家出や死ぬことを考えるようになりました。どれも途中で怖くなって実行することはなかったけど、こういった体験が私の性格や価値観に大きな影響を及ぼしているように思います。

本のコピーを実家の両親に送りつける

 中学2年の終わり頃、父と取っ組み合いの喧嘩をしました。原因は些細なことだったとは思いますが、積年の思いもあり、感情が爆発してしまった。それから父とはほとんど会話しておらず、話しかけられても無視し、目すら合わせていません。

 高校でも学校に馴染むことができず、一時期は不登校気味になったこともありますが、勉強だけは頑張っていた甲斐もあって東京の私大へ進学することができました。実家を出て初めての一人暮らしはそれなりに解放感もありましたが、授業とバイトばかりの日々で悶々とし、徐々に生きづらさのようなものを感じるようになっていった。不登校で引きこもりがちになったときは文庫本を読んだり深夜ラジオを聴いたりしていましたが、一人暮らしの部屋でも読書をして過ごす時間が増えていきました。そのときによく読んでいたのが、不登校や家族問題にまつわる本でした。

 不登校につながる要因にはどのようなものがあるか、育った家庭環境が人格形成にどのような影響を与えるのか、無意識というものがどのように形成されているかなど、本で心理学など様々な知識を学びました。私は自分が育った家庭しか知らないので、それをおかしいとかおかしくないとか考えたことがなかったのですが、本の中にはまるで私のことが書かれているような箇所がたくさんあり、驚きました。「あのとき自分がされていたのはこういうことだったんだ」と過去を改めて捉え直し、その意味やメカニズムを知るにつれ親への怒りがわいてきた。それで思わず、「これを読め!」とばかりに本のコピーを実家に送ってしまったんです。母親からは「つらい思いをさせてごめんね」と手紙で謝られましたが、今さら遅いというのが当時の実感でした。

 元妻と出会ったのも大学時代です。私は旅行と運動が好きだったこともあり、「青春18きっぷ」で各地をめぐり、その土地の山にみんなで登る活動をしているサークルに入っていました。いい仲間に恵まれ、週末もみんなで集まって飲むなど楽しく過ごしていて、そのメンバーの一人だったのが彼女です。社会人になってから付き合い始め、20代の後半で結婚に至るという、どこにでもいるようなカップルだったように思います。

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