広島高2女子殺害事件、13年にわたり「毎日ゲームして、考えんように生活」していた犯人

文=高橋ユキ
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GettyImagesより

 2005年(平成17年)から、主に刑事裁判を見つめ続け、傍聴ライターとして活動してきた高橋ユキが、これまで傍聴してきた刑事裁判を紹介していく。今回振り返るのは「広島高2女子殺害事件」。

 広島県廿日市市で女子高校生が殺害されたのは2004年の秋。容疑者検挙は13年後だった。

広島高2女子殺害事件

<2020年傍聴@広島地裁>

 事件が起こっても、なかなか容疑者検挙に至らない場合がある。この事件も、長らく『未解決事件』だった。解決に至ったきっかけは、良心の呵責にかられた犯人が警察に出頭し自白……したわけではない。別件での捜査のなかでの、偶然によるものだった。彼は、殺人という行為を誰にも明かすことなく自分の胸の内だけに秘め、普段通りの生活を続けてきた。

 2004年10月、広島県廿日市市の民家で、高校2年生だった北口聡美さん(17=当時)が何者かに刺殺され、聡美さんの祖母も刺されて重傷を負った。捜査は難航し、犯人の目星はつかないままだったが、事件から10年以上が経った2018年4月、別の事件で山口県警の任意聴取を受けた際に採取された指紋などが、この事件現場に残されたものと一致。同月13日に広島県警に逮捕されたのが、山口県宇部市に住む会社員、鹿嶋学(逮捕当時35)だった。

 逮捕から約2年後の2020年3月、鹿嶋に対する裁判員裁判が広島地裁で開かれた。新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化してきたなか、いくつもの裁判員裁判が延期になったが、この公判は予定通り行われることになった。とはいえマスクをつけた鹿嶋の表情はなかなか読み取れない。

 鹿嶋は事件当時も山口県に住んでおり、廿日市市に住む聡美さんとは全く面識がなかった。なぜ、廿日市市に行き、事件を起こしたのか。

「間違っていません」

 聡美さんに対する強姦致死や殺人、祖母に対する殺人未遂などの罪で起訴された鹿嶋は、3日の初公判で起訴事実を全て認めた。

 下関市に生まれ、両親と妹の4人家族の鹿嶋は、中学から宇部市で育ち、高校卒業後、萩市の金属加工会社に就職。事件当時は会社から目と鼻の先にある寮で、一人暮らしをしていた。

 全ての始まりは「事件前日の寝坊」だった。

「寝坊がきっかけで、勤務先の寮を飛び出し自暴自棄になった被告人は、やりたいことをやろうと思い立った。性行為をしたことがなく、してみたいと思ったが、性格上、ナンパなどで性行為に至るのは難しい、そのため強姦しようと考え、物色した。たまたま帰宅途中の被害者が自宅に入るところを見つけた。被告人は、被害者を見て、家に侵入して強姦しようと、被害者宅の離れに侵入した……」(検察側冒頭陳述)

 前日に寝坊したことから、真面目に勤務を続けていた会社の寮を飛び出し、それまでやったことのない性行為をしたい、強姦しよう……こう企みながら、たまたま見かけた被害者を狙ったのだという。それまで前科もなかった。会社でも、入社1年以内に同期が次々と辞めてゆくなか、鹿嶋は3年半、勤め続けていた。その日まで遅刻もしたことがなかった。

「逃げ出すことが、自分にとっては許されんことで、それをしたことで、もう、どうでもいいっちゅう気持ちになりました。人生や家族、もうどうでもいいっちゅう気持ち。飛び出してとりあえず、宇部に原付を走らせました」(被告人質問での証言)

 CDプレーヤーと携帯電話、財布をリュックに入れ、原付に乗り、東に向かう。地図は持っていなかったが「東に進めば東京に着くだろう」という思いだけで移動していた。地元の宇部に立ち寄ったのち、目的地を東京に定め、さらにバイクを走らせる。途中でホームセンターに寄り、方位磁石と、のちに凶器となった折りたたみ式ナイフを購入。強姦を思いついたのは広島に入ってからだ。

「下校中と思われる女子高生を見かけて……レイプしようという考えになりました。そういうことをできる相手を探すようにして、原付で走り回りました。セックスがしてみたいっていう気持ちがあったのと、普段ならセックスしたいっちゅう気持ちになっても、レイプしようとは思わんのですけど、そのときは、もう捕まってもいい、と思ってレイプしようと……そういう風に思いました」(同)

 こうしてたまたま見かけた聡美さんを強姦することを思いつき、バイクを停め、家に侵入。離れの鍵は開いていた。二階に上がり、ベッドの上で音楽を聴きながら寝そべっていた聡美さんにナイフを向ける。体を起こし、ベッドに腰掛けた聡美さんだったが、隙を見て部屋から飛び出し、階段を降りて離れを出ようとした。ところが足がもつれ、階段を転げ落ちた。追いついた鹿嶋は、再び聡美さんを二階に運ぼうとするも抵抗され、犯行に及んだのだった。

「『なんで逃げたんか』って聞きました。自分が刺したにもかかわらず、刺したことを認められなくて、聡美さんのせいにしようという思いから、そういう発言をしました。聡美さんは『えっ、なんで』というような表情をしてました。それから……そのあとに『くそ、くそ』と言いながら、何回も聡美さんを刺しました」(同)

 騒ぎを聞きつけ駆けつけた祖母も刺し、さらには聡美さんの妹も攻撃しようと追いかけたが、逃げられたため、諦めてバイクで逃走した。それから13年もの間、鹿嶋に捜査の手が及ぶことはなかった。

 鹿嶋は土木関係の会社に転職し、長く勤めてきたが、部下の足を蹴り、警察沙汰に。採取された指紋が、現場に残されたものと一致したことから、聡美さん殺害容疑での逮捕となった。

 聡美さんの遺体には頸部をはじめ、身体中に10もの刺し傷があった。祖母は搬送時、大量出血により手首で脈を取れず、極めて危険な状態だった。たまたま搬送された病院に心臓血管外科医がいたことにより迅速な措置が取られ、一命を取り留めたが「心臓血管外科医がいなければ死んでいた」(医師の調書)という。

 鹿嶋は事件のことを「自発的に、無意識に思い出しそうになることがあったが、思い出さないようにしていた」という。だがふと思い出したタイミングだったのか、数年後、パソコンで事件について調べたことがある。その時初めて、聡美さんが亡くなったことを知った。

 事件につながる物品は処分していなかった。犯行に使ったナイフは、宇部市の自宅自室にある引き出しの中にずっと隠していたという。

「自分は……事件のことを後悔してます。でも、当時のことは、自分にとっても、嫌なことでした。考えんように……ずっと……深夜1時とか2時とか、毎日ゲームして、考えんように考えんように、生活してました」

 逮捕の日について、鹿嶋は「朝寝ていて、突然のことだったので驚いたのと、あとはホッとした気分になりました」と、肩の荷が下りたかのように振り返ったが、自首することはなかった。「捕まらないことをいいことに、甘えてました」と言う。地元から遠く離れた場所での行きずりの犯行、現場近くには、誰も鹿嶋を知る者はいない、そのままバレなければ……そんな思いだったようだ。

 だが、聡美さんの命を突然奪われ、残された家族たちの苦しみは深い。瀕死の重傷を負わされた聡美さんの祖母は、刺された時の記憶が全くない。追いかけられた聡美さんの妹だけが、鹿嶋の顔を見ていた。鹿嶋の逮捕前、各地の警察署前に貼られていた手配ポスターの似顔絵は、彼女の証言を元に作られている。

「いつか報復されるのではないかと恐怖心を抱き、苦しい思いを抱き続けてきた。犯人を見たのは私だけ、一生忘れてはいけないというプレッシャーと、見たことを忘れるかもしれないという恐怖がないまぜになり、心が押しつぶされそうになるのをなんとか耐えてきた。もし捕まったら殺されていたかもと考えるだけで胸がどきどきする」(妹の調書)

 鹿嶋は弁護側被告人質問の最後に「自分には死刑がふさわしいと思っている」と涙ながらに語った。だが彼には求刑通りの無期懲役の判決が言い渡され、これが確定している。

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