【シリーズ黒人史5】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~投票権法

文=堂本かおる

連載 2021.04.08 08:00

 「21世紀のジム・クロウ法だ!」

 3月に制定されたジョージア州の新たな投票法を、ジョー・バイデン大統領は激しく非難した。黒人および低所得者の投票を妨げるものであることは火を見るより明らかだったからだ。

 「奴隷制」(シリーズ Part. 1)終了後の「南部再建期」(シリーズ Part. 3)と呼ばれる時代、黒人たちは選挙権を得た。黒人の議員も続々と登場し、黒人たちはアメリカ市民としての時代を切り拓くかのように見えた。

 ところが南部再建期はわずか12年で終了し、以後、徹底した人種隔離政策「ジム・クロウ法」(シリーズ Part. 4)の時代に突入する。同法は日常の全てを白人と黒人で厳しく隔てるものだった。黒人は貧困からの脱却が不可能となり、かつKKKなど白人至上主義者から「リンチ」(シリーズ Part. 2)によって命を脅かされる時代だった。

 黒人たちはジム・クロウ法を改正しようにも参政権を奪われ、立候補はおろか投票もできない時代だった。この状態は「1965年投票権法」の制定まで、実に90年近くにわたって続く。この間、黒人たちは投票権を求めて文字通り、命を賭けた戦いを続けたのだった。

1946年:投票したために射殺された元黒人兵

 南部再建時代の1870年に、黒人の参政権(*)を保障する憲法修正第15条が制定されている。したがって黒人の投票を禁じることは出来ず、代わりに黒人と貧困層(白人を含む)が有権者登録できなくなる法律が州ごとに制定された。ジム・クロウ法の一部である。アメリカは本人が有権者登録をすることによって投票が可能になるシステムとなっているのだ。

*当時、参政権を得たのは男性のみ。白人も含めて女性が参政権を得たのは1920年。

南部再建期の「黒人、初の投票」を描いた雑誌Harper’s magazineの表紙。1867年。 (wikipediaより)

 まず、人種を問わず「資産」を持つ者のみに投票権が与えられた。「投票税」を収める必要もあり、現在の貨幣価値にして25~50ドル程度であったが、貧困層には無理な金額であった。

 読み書きのできる者だけが投票できるとし、「識字テスト」が課せられた。当初、黒人への基礎教育の不徹底から識字率が低かったことは事実だが、テストの目的は全ての黒人有権者をふるい落とすことにあった。ある法科の大学教授は学生に受けさせてみたが、満点を取った者はいなかったと語っている。

 以下は実際に使われていた各州の識字テストの一例。

●「noise」という単語を逆(backwards)に書き、正しく(forward)書かれた場合の2番目の文字に点を打て。(原文は難解な文章で書かれている)
●正方形を描け。それを北東の角から南西の角にかけての直線で二分せよ。再度、西側の真ん中から東側の真ん中にかけて破線で二分せよ。(正方形の角と辺を「東西南北」で認識する困難さ)
●反逆罪で起訴された者が罪を否定した場合、有罪判決を得るには何人が被疑者に反する証言をしなければならないか?(法律家しか答えられないであろう条項)
●ガラス・ビンにジェーリービーンズが詰めてあり、その個数を目測によって答える。(偶然以外、正解は出せない)

 識字テストをクリアし、投票権を得た黒人有権者もいたが、するとKKKなどが脅迫、暴行、殺害を行なった。1946年、第二次世界大戦から帰還したジョージア州テイラー郡のメイシオ・スナイプスは、事前の脅迫を恐れずに投票を行なった同郡唯一の黒人だった。

 投票の数日後、スナイプスは白人に撃たれた。母親と共に自力で病院に駆け込んだスナイプスは治療まで6時間待たされている。医師は身体から弾丸を取り出した後、「黒人の血」が無いとして輸血を行わなかった。ジム・クロウ時代、輸血の血液も白人と黒人で分けられていたのだった。これによりスナイプスは死亡。犯人は「自己防衛」を主張し、無罪となった。

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