繰り返される「何々の意図はなかった」と「誤解を与えたならお詫びする」という合わせ詭弁

文=山崎雅弘
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 テレビ朝日と杉田議員の弁明に共通するのは、自分の表現や発言が批判を浴びたのは「自分の意図が相手に伝わらなかった」からで、原因の半分は「伝えることに失敗した自分」にあるが、残りの半分は「自分の意図をちゃんと理解しなかった受け手側にある」という、本質的な反省とはほど遠い、問題の責任を受け手側にも転嫁する姿勢です。

 国会議員がよく使う「誤解を与えたのならお詫びする」という、一見謝罪に見せかけた論点ずらしの説明も、これと同系統の詭弁です。自分の発言や考え方に問題があったとは認めず、受け手側が「問題だ」という風に「誤解」したのであれば、その「誤解させたこと」についてのみ、お詫びする。見た目は謙虚ですが、本質的には責任を相手に転嫁する傲慢な居直りの態度であり、これを見た人の多くは漠然と不快に思うでしょう。

 テレビ朝日の弁明文には「誤解を与えたなら」という言葉は入っていませんが、意味はそれと同じです。内容が女性蔑視だと多くの受け手が感じたのであれば、それは紛れもなく「女性蔑視の表現」であり、テレビ朝日が本来やるべき謝罪とは、批判を受けるまで、これが「女性蔑視」であると気づきませんでした、という正直な反省でしょう。

 実際、言動を「差別的だ」と批判されて、自分の中にあった無自覚な差別意識に気づきました、という「正直な反省」をする人物も時々います。

 けれども、政治家や大手企業の「お詫び」は、今では多くの場合、前記した二つの詭弁の合わせ技になっています。

この二つの詭弁の合わせ技が意味するもの

 一般に見過ごされがちなのは、政治家らによる「何々の意図はなかった」と「誤解を与えたならお詫びする」という詭弁の合わせ技を、そのまま看過することの危険性です。

 第三回で指摘した通り、「控えさせていただく」という詭弁は、やるべきことをやらないことの「言い逃れ」であるのと同時に、発する者とその相手との関係を上下の構造に固定化するという「隠された心理的効果」を持つ危険な詐術でもありました。「何々の意図はなかった」もこれと同じで、この詭弁は常に、立場が上の者が、下の者に対して発する図式になっています。

本当はこわい「控えさせていただく」という詭弁。強者と弱者を固定化するマジック

●山崎雅弘の「詭弁ハンター」(第3回) 第二次安倍晋三政権で次々と安倍首相がらみのスキャンダルが発覚した時、当時の安倍首相や菅義偉官房長官、そして不…

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繰り返される「何々の意図はなかった」と「誤解を与えたならお詫びする」という合わせ詭弁の画像2 ウェジー 2021.02.06

 例えば、交通違反で止められたドライバーが「スピード違反をする意図はなかった」と言ったとして、警官は許すでしょうか。サッカーの試合で相手選手の身体を蹴ってレッドカードを出された選手が「蹴る意図はなかった」と言えば、審判は許すでしょうか。

 これらの例でわかる通り、「何々の意図はなかった」が許されるのは常に、力関係で「強い側」に立つ者だけです。そして、メディアがこのトリックを見抜けず、あたかも「謝罪」したかのように無批判に報じることで、この詭弁を発する者は責任逃れに成功するだけでなく、「自分は強い側にいる者で、お前らは弱い側にいる者だ」という権力勾配の図式を、ほとんど無意識レベルで、受け手に植えつけることができます。

 差別的な発言をする者は、必ずと言っていいほど「差別の意図はなかった」と言い逃れを図ります。そして日本社会は、この詭弁に無抵抗で、そのまま受け入れてしまうので、いつまで経っても性差別や民族差別などが社会から無くなりません。いい加減に、こんな詭弁にだまされて実質的に差別の温存を許すパターンに終止符を打ちませんか?

(山崎雅弘)

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