【シリーズ黒人史6】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~公民権法

文=堂本かおる
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1963:ワシントン大行進

 キング牧師が有名な演説「私には夢がある」を行ったマーチ。1950年代半ばからの公民権運動が幾多の困難にもめげずに連綿と続く中、8月28日にワシントンD.C.のリンカーン記念堂に25万人もの人々が集まった。人権に関する催事では最も大型のものの一つであり、参加者のうち6万人は人種の平等、公民権運動を支持する白人だった。

 大行進は2人の公民権運動家、A・フィリップ・ランドルフ(1889 – 1979)、ベイアード・ラスティン(1912 – 1987)によって企画され、「仕事と自由」をテーマとした。他にも多数の公民権運動家、著名ミュージシャンなどが参加し、公民権運動史のみならず、米国史に深く刻まれる出来事となった。キング牧師はこの大行進の3年後、1968年に暗殺されている。享年39歳であった。

1963:黒人教会爆破〜4人の少女の死

 アラバマ州バーミングハム。学校の人種統合に反対するKKKメンバー4人が黒人教会を爆破し、4人の少女(11~14歳)が死亡。事件後の捜査は中断され、容疑者は無罪放免となっていたが支援者たちの努力が実り、2000年に裁判となった。その時点で生存していた3人が終身刑となり、全員が獄中死。最後の1人は2020年に82歳で死亡。4人の少女たちは今も生きていれば69~72歳である。

【シリーズ黒人史6】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~公民権法の画像5

爆破された教会の写真を掲げ、ワシントンD.C.で抗議デモを行うCORE(人種平等会議)のメンバー。1963年(wikipediaより)

【1963年 アメリカの出来事】

・ワシントンD.C.にて「モナリザ」展
・マーヴェル・コミックに「アイアンマン」初出
・ケネディ大統領暗殺

1964:「1964年公民権法」の制定

 本来なら前年にケネディ大統領によって署名されていたであろう公民権法だが、上院での反対に遭い、かつケネディ大統領は11月に暗殺された。それに伴い、副大統領だったリンドン・B・ジョンソンが大統領となり、公民権法案に尽力。法案は通過し、ジョンソン大統領が1964年7月2日に署名し、施行した。

 これにより米国では人種差別が初めて違法となったのであった。

【1964年 アメリカの出来事】

・映画『メアリー・ポピンズ』が興行収入1位、アカデミー賞13部門ノミネート、5部門受賞の快挙
・ビートルズの「I Want To Hold Your Hand」と「She Loves You」がビルボード・シングル・チャート年間第1位と2位を占める

公民権運動と苛烈な白人たちの抵抗

 ここに挙げた出来事は長期にわたった公民権運動のごく一部である。また、1964年公民権法の制定により、一夜にしてすべてが覆ったわけではなく、この後も様々な困難が続いた。しかし、1964年公民権法によってアメリカが大きく前進したことは確かだった。

 個々の項目に登場するように、多くの活動はNAACP(全米黒人地位向上協会)、SNCC(学生非暴力調整委員会)、CORE(人種平等会議)など、黒人の人権団体によって組織されている。団体の呼びかけに一般黒人市民、および白人の支援者が集まり、行動を起こし、それはメディアを引き付け、やがて政治家や大統領をも動かしたのだった。

【シリーズ黒人史6】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~公民権法の画像6

爆破されたNAACP弁護士の自宅。1963年、アラバマ州バーミングハム(wikipediaより)

 ただし、その代償は大きかった。これも個々の項目で分かるように、黒人に平等の権利を与えたくない白人側の抵抗は信じがたいほどに苛烈であり、そこには常に殺人を含む暴力があった。それを踏まえた上でなお、公民権運動家たちはキング牧師と共に非暴力を貫き、そのためのトレーニングさえ積んでいた。

 ディズニーランドが開園し、エルヴィス・プレスリーが大ヒットを飛ばし続け、バーガーキングやドミノピザといったチェーン店が続々と全米各地に出店し、「リッチで強く明るい」アメリカが国家としての頂点を極めていた時代。アフリカン・アメリカンたちは学校やバスでの人種の平等を勝ち取るために、文字通り命を賭していたのである。(次回に続く)
(堂本かおる)

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