
Getty Imagesより
3月、組織委は海外からの観光客受け入れを断念するという、東京五輪の死刑宣告に等しい措置を発表した。海外客を受け入れないと言うことは、政府が五輪誘致の最大理由として喧伝し続けてきたインバウンド効果が消失することを意味する。
つまり、公表されている1兆6400億円の開催費を投入しても、その費用を回収する目処が消え、巨額の赤字だけが残ることが決定的になったのだ。さらに、来日する世界中の人々と国民が交流するという、五輪開催による国際交流、精神的な意義も消えた。経済的・精神的意義の両方が消えたのだから、これはもはや五輪ではなくなったのだ。
普通の感覚ならばこれで東京五輪は終了のはずだが、驚くべき事に政府と組織委は未だに開催を諦めておらず、聖火リレーを始めてしまった。この一連の動きがいかに無駄で無意味なことなのか、解説する。
インバウンド効果と開催意義、両方の消滅
3月20日、世界的なコロナパンデミックの影響を受け、遂に東京五輪の海外観光客受け入れ中止が発表された。橋本聖子組織委会長は「全く新しい形の五輪になる」などと発表、国内観光客の受け入れ割合についても4月に発表するとした。
前述したが、これは本当に大変な意味を持つ。この決断によって、誘致以来、政府が事あるごとに喧伝してきたインバウンド効果が完全に消えてしまったからだ。五輪による経済効果は数千億、数兆円などと言われてきたことは、多くの読者もご記憶だろう。だが新国立競技場建設等の建設関係の経済効果はすでに終わっており、あとは来日する海外観光客がもたらすインバウンド効果に大きな期待がかけられていた。それがいきなり「ゼロ」になったのだから、その影響は甚大である。
そのため、数百億円と言われる、海外で販売したチケットの払い戻し義務も生じた。だが4月になっても組織委は返金日程を発表しておらず、海外では組織委への不信と不満が渦巻いており、様々な地元メディアで報じられている。
さらに、ことはカネの問題だけではすまない。五輪憲章にも記されている五輪開催の最大目的は、4年に一度世界中の人々が一堂に会し、友愛を育むことにある。海外客が来ないと言うことは、その機会も消えたということである。「おもてなし」というキャッチフレーズのもとに集められた11万人以上のボランティアの活動目的も、その大半は失われたと言って良い。様々な人的交流は、五輪終了後に遺産(レガシー)を残し、それが後々の経済的・精神的な効果にも繋がると喧伝されてきたが、それも消え去った。
以上のように経済的にも精神的にも、五輪開催の意義は失われたのであり、もはや開催する意味は完全に無くなったのだ。つまり、現在政府や組織委がやろうとしているのは、五輪の「ようなモノ」であり、「似て非なる物」である。海外からの観客がいない中で行われる五輪は(最終的には無観客になる可能性もある)、世界中で毎年行われている世界陸上や世界水泳などと同じで、特殊性も希少性もない、よくあるスポーツ大会と同じだ。
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