民主化への長い道 光州からヤンゴン

文=金村詩恩
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光州事件(こうしゅうじけん)は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市(現:光州広域市)を中心として起きた民衆の蜂起。5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、5月18日にクーデターに抗議する学生デモが起きたが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、5月27日に大韓民国政府によって鎮圧された。

 Wikipediaにあった。だれが選んだのか分からないトップページの項目。iPhoneをバックアップした合間に読んでいた。つぎは写真をハードディスクに入れなきゃ。数えきれないぐらいある。けど、なにを写しているかはなんとなく分かった。マウスホイールを転がす。画面がスクロールした。黒い石の画像がある。撮った記憶はない。クリックする。墓だ。背景には茶色い芝生と土饅頭。墓碑には赤いハチマキが巻かれていた。白い文字でなにか書かれている。ハングルだから韓国へ留学したころだろう。拡大した。

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 腰が痛い。こんな固い座席に5時間近く座っていたから当たり前か。窓の外を観る。さっきまでなにもなかったのに屋根が増えてきた。でも、半年近く生活している釜山にあるようなガラスばりのビルはない。あるときから取り残されてしまったような街並みだ。停車場に入る。SF映画に出てきそうな建築物が目に入った。過去にいるのか未来にきたのか分からなくなる。

「終点 光州」

 運転手のおじさんがぶっきらぼうにつぶやいた。バスから降りる。風が冷たい。上を見上げた。どんよりしている。でも、雨は降らなさそうだ。降車客たちがさっき見た建物に入っていく。バスターミナルなのか?あとにくっついていく。

 中にはひとがたくさんいた。これだけいればうるさいはず。だけど、静かだ。市内バスの案内を見つける。この街出身のひとから必ず行けといわれた場所まで直通があるらしい。あと3分。電子掲示板がつぎの時間を教えてくれた。バス停の場所を伝える矢印は外を向いている。

 ギリギリだった。適当な座席に座る。買い物帰りのおばさんたちがいた。話し声がしない。わたしが住んでいる街のひとたちはどこでもかまわずしゃべっているのに。

 山へ入っていく。乗客はいつのまにかわたしひとり。そわそわした。

「国立5・18民主墓地」

 降りたあとに見つけた石碑に安心した。光州民主化運動の犠牲者たちが眠る墓はこのさきにあるみたいだから。

 大きな門がある。

「民主の門」

 額が掲げられていた。スマホで撮影する。下をくぐった。大きな祈念碑が見える。また撮った。近づいていく。ふもとにブロンズレリーフがあった。禿頭の軍人に人相がない。全斗煥の顔を脳内で合成する。ことばなんてない。でも、1980年になにがあったのかよく分かった。

 当時をモチーフにした銅像。犠牲者の遺影が安置された施設。碑のふもとにある墓。ひとつずつ回る。もう帰るか。こんなところに地図があるぞ。事件直後、生命を落としたひとびとを埋葬した場所はもっと奥らしい。せっかくだ。行ってみよう。

 さっきまでいたところとはなにかが違う。石碑に土饅頭のかたちは変わらないはずだが。

 音がない。山奥だからか。でも、死者の声に耳を澄ませなければいけないなにかが漂う。子どもの写真があった。ここにあるどこかで眠っているのだろう。眼差されている気がした。目をそむける。

「すみません」

 断りを入れながら観る。ある墓と目があった。この風景をおさめたい気持ちにかられる。なぜかは分からない。

「1枚だけよろしいですか?」

 消え入る声で墓石に語りかけた。答えないはずなのに。スマホを出した。シャッターを押す。電子音がした。

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