民主化への長い道 光州からヤンゴン

文=金村詩恩

連載 2021.05.04 08:00

光州事件(こうしゅうじけん)は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市(現:光州広域市)を中心として起きた民衆の蜂起。5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、5月18日にクーデターに抗議する学生デモが起きたが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、5月27日に大韓民国政府によって鎮圧された。

 Wikipediaにあった。だれが選んだのか分からないトップページの項目。iPhoneをバックアップした合間に読んでいた。つぎは写真をハードディスクに入れなきゃ。数えきれないぐらいある。けど、なにを写しているかはなんとなく分かった。マウスホイールを転がす。画面がスクロールした。黒い石の画像がある。撮った記憶はない。クリックする。墓だ。背景には茶色い芝生と土饅頭。墓碑には赤いハチマキが巻かれていた。白い文字でなにか書かれている。ハングルだから韓国へ留学したころだろう。拡大した。

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 腰が痛い。こんな固い座席に5時間近く座っていたから当たり前か。窓の外を観る。さっきまでなにもなかったのに屋根が増えてきた。でも、半年近く生活している釜山にあるようなガラスばりのビルはない。あるときから取り残されてしまったような街並みだ。停車場に入る。SF映画に出てきそうな建築物が目に入った。過去にいるのか未来にきたのか分からなくなる。

「終点 光州」

 運転手のおじさんがぶっきらぼうにつぶやいた。バスから降りる。風が冷たい。上を見上げた。どんよりしている。でも、雨は降らなさそうだ。降車客たちがさっき見た建物に入っていく。バスターミナルなのか?あとにくっついていく。

 中にはひとがたくさんいた。これだけいればうるさいはず。だけど、静かだ。市内バスの案内を見つける。この街出身のひとから必ず行けといわれた場所まで直通があるらしい。あと3分。電子掲示板がつぎの時間を教えてくれた。バス停の場所を伝える矢印は外を向いている。

 ギリギリだった。適当な座席に座る。買い物帰りのおばさんたちがいた。話し声がしない。わたしが住んでいる街のひとたちはどこでもかまわずしゃべっているのに。

 山へ入っていく。乗客はいつのまにかわたしひとり。そわそわした。

「国立5・18民主墓地」

 降りたあとに見つけた石碑に安心した。光州民主化運動の犠牲者たちが眠る墓はこのさきにあるみたいだから。

 大きな門がある。

「民主の門」

 額が掲げられていた。スマホで撮影する。下をくぐった。大きな祈念碑が見える。また撮った。近づいていく。ふもとにブロンズレリーフがあった。禿頭の軍人に人相がない。全斗煥の顔を脳内で合成する。ことばなんてない。でも、1980年になにがあったのかよく分かった。

 当時をモチーフにした銅像。犠牲者の遺影が安置された施設。碑のふもとにある墓。ひとつずつ回る。もう帰るか。こんなところに地図があるぞ。事件直後、生命を落としたひとびとを埋葬した場所はもっと奥らしい。せっかくだ。行ってみよう。

 さっきまでいたところとはなにかが違う。石碑に土饅頭のかたちは変わらないはずだが。

 音がない。山奥だからか。でも、死者の声に耳を澄ませなければいけないなにかが漂う。子どもの写真があった。ここにあるどこかで眠っているのだろう。眼差されている気がした。目をそむける。

「すみません」

 断りを入れながら観る。ある墓と目があった。この風景をおさめたい気持ちにかられる。なぜかは分からない。

「1枚だけよろしいですか?」

 消え入る声で墓石に語りかけた。答えないはずなのに。スマホを出した。シャッターを押す。電子音がした。

 光州に行ったときの写真をじっと観ていた。作業なんて忘れている。鮮明な色彩の過去が頭から離れない。

 パソコンのとなりに置いたスマホが鳴った。画面を表にする。パートナーからのLINEだ。

 湘南新宿ラインの席が埋まっている。緊急事態宣言と変わらないなにかが出たばかりなのに。天気のいい土曜だから出かけたくなったのか? つり革につかまっているわたしはそうだけど。きのう、彼女と会う約束をした。待ち合わせは新宿。なにかと便利だから。出勤で乗っているひとたちもいるだろう。でも、この車両に乗りあわせているひとたちは遊びにいくのがほとんどじゃないか? これからどこに行くかみたいな話し声が聴こえる。それに格好もラフだ。車窓に京王百貨店が映る。もうじきだな。

 ホームに降りた。黄色い案内板を観る。南口はこっちか。ルミネ入口まで出る。後ろは切符売り場。

”いまついたよ”

 送ったあとに甲州街道を流れるひとの川をぼんやり眺めていた。

「よろしくお願いします! 2月1日から現在まで600人以上の……」

 都会のざわめきに大きな声が分けいった。東南アジア系の女性が喋っているのだろう。でも、どうしてそう思った? よく分からない。聴こえる方向を観た。20人ぐらいのひとたちがプラカードを掲げている。いったいなにが? 近づいてみる。

「すみません。いま、ミャンマー軍への抗議やってます。ぜひ、お読みください」

 横切る途中だった。女性に呼び止められる。パンフレットを渡された。

ミャンマー国軍による国民に対する残酷な武力行使について

 表題が目立つ。

「日本の皆さんたちのご協力が必要です。よろしくお願いします」

 なにを訴えていたのか分かった。

「頑張ってください。応援しています」

 とっさに出てきた。なんか据わりが悪い。元の場所に戻った。約束したはずなのにパートナーはまだきていない。

 ビラを配るひとたちや母国の危機をトラメガで訴える声を無視するようにひとの川が流れつづける。彼、彼女たちのとなりでは本田が活躍したワールドカップのときによく聴いた曲をだれかが歌っていた。タマシイレボリューションがタイトルだった気がする。ゲリラライブだったのか。おまわりさんが終わりを待っている。抗議の声をあげるひとたちの周りはいつもの新宿だった。片隅に佇むわたしも普段と変わらない。

 ジーパンのポケットが1回震えた。スマホを出す。

”調子がよくなくて”

 彼女からのメッセージが映っていた。

 焼魚。たぶん鯵。ほうれん草のおひたし? いや、小松菜か。キムチ。パッケージからしてスーパーで買ってきたやつ。リビングのテーブルできょうの夕飯が分かった。

「早かったね」

 母が驚いていた。

「体調崩したみたいでさ」

 理由を話しながら席に着く。

「心配だなぁ」

 赤い顔の父がなにか飲んでいた。中身はビールだろう。

「だいじょうぶだよ。あー。腹減った」

 食器棚に行く。テレビがついていた。

「新型コロナ対策について菅総理は……」

 平坦な声がする。箸と皿を手に戻った。

「スガもアベもどうしようもねぇ」

 彼の口ぐせが出る。

「なんにもできてないよね」

 となりの彼女が答えた。たぶん、聞き流しているだけ。おなじような怒りを日に5回も6回も聞けば当然か。しかも、はじまったら止まらない。わたしも適当に相槌を打っていた。

「つづいてもニュースです。今年2月に起きたミャンマーのクーデターに抗議する……」

 画面のほうを向いた。モザイクがかかった映像が流れる。夕方に相応しくないのか公共放送だからなのかは分からない。でも、生命のやりとりが行われているのは理解した。

「そういや、新宿でミャンマーのひとたちがなにかやってたよ」

 きょうの光景を話す。頑張ってくださいはなんか違ったかななんてつづけるつもりだった。

「軍人が威張るとどうしようもねぇんだよ」

 さっきまでとは違うトーンで父は話しはじめた。

玄関を叩く音
安普請の家が揺れた
お袋がなんかいいながら出る
突然聴こえた韓国語
急いで表へ
知らない男と抱きあっているオモニ
おんなじ村の一族だって
朴正煕政権打倒を目指してた
当局に目をつけられる
済州から日本まで漁船で逃げた
ことばが通じない親類縁者とすごす
遊んでくれるからいいやつだ
3カ月すぎた
これから領事館へ出頭するみたい
別れのときがきた
手を振る
あいつは笑っていた

「どうなったの?」

 たずねてみた。話そうとしていた南口のできごとは置いといて。

「さあ。玄界灘に沈んだかもな」

 コップの中身を飲みほした。

 机のうえを片づける。食器洗いまでがわたしの日課だ。昔話をしていた彼はもういない。酔いが回ったせいで寝室へ行った。母はテレビを観つづけている。グラスに入ったなにかを飲みながら。

「あのひとの話、黙って聴いていたんだけどさ」

 酔ってる。

「わたしは死人を見たよ。目の前でね」

 彼女も昔話をしはじめた。

僑胞なんて相手にしない
「パンチョッパリ」って呼ぶのがわが祖国
在日留学生グループの古刹に行く授業
地元の子どもたちから指差される
「わたしたちに国なんてないんだね」
だれかがつぶやいた
だから会うのはいつものメンバー
きょうも皆でキャンパスを歩く
「ねぇ、あれ……」
となりの子が見つめる
大学でいちばん高い建物
よく観たら屋上にだれか
なにしてるんだろう
身体になにかかけているな
あ、火をつけた……
紅蓮のかたまりが落ちていく
一瞬のできごと
ひとの焼けた臭いが鼻腔を突き刺す
民主化を望んだ学生の死だったのを知ったのは2、3日後
禿頭が大統領だったころ

「生きててほしかった」

 母の声は湿っていた。

 数分前に話そうとしていたできごとを思い出す。あのとき、いうべきはこれだったのかもしれない。きょうの場面が頭のさまざまな箇所をいったりきたり。テレビが目に入る。ミャンマーの話はもうやってなかった。

 涙をぬぐった彼女も寝室に行く。わたしはひとり残された。静寂がほしい。リモコンを押す。画面が黒くなった。ジーパンから震えを感じる。スマホを覗く。年上の友人からだった。画像が添付されている。軍人が名もなきひとを殴りつけていた。不当なクーデターが起きた東南アジアの国でいま、起きているできごと。

「生きろ」

 届かないのは分かってる。でも、伝えなきゃいけない。国が違っても。民族が異なっても。ことばが通じなくても。

 シンクに溜まった食器を洗いはじめた。あのひとたちの無事を祈りながら。

金村詩恩

2021.5.4 08:00

埼玉県出身で1991年生まれの日本国籍の在日コリアン3世。2017年に『私のエッジから観ている風景―日本籍で、在日コリアンで』を出版し、ライターとしてデビュー。現在は現代ビジネス(講談社) や『福音と世界』(新教出版)などに執筆寄稿している。

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