コロナ禍のいま「当たり前」に行われている私権制限 −帰国隔離、かく語りき−
社会 2021.05.03 11:00
赤い紙と、緑のタグ
羽田空港では、PCR検査(唾液検査)を行い、その結果が陰性だったらピンク色の紙を受け取る。これは今までの帰国時と同じものだ。瑣末だと思う読者がいることは承知しつつも、羽田空港の係員が「赤紙(あかがみ)をお持ちの方」とアナウンスしたときにはドキッとした。この動揺の理由の分からない若い方は、「赤紙」で検索をかけてほしい。
また、「変異株流行国・地域」からの帰国者は、緑色のタグを腕に付けるように指示される。私は、検査結果待合所への道中、新株の感染拡大地域からの帰国者とそれ以外の帰国者とを分けるためだと思い、そして事務作業上は必要なことだとも思って従った。しかし、空港の荷物受け取り場に着くと意味合いは異なってくる。つまり、帰国者以外の人びとが行き交うなかを「指標」を付けさせられて歩くということだ。これには疲れた私の脳も「従う道理はない」という赤信号を灯し、腕から外して手に持って移動した。しかし、何度も「腕に付けるように」という口頭指示を受けた。
正直、一部の読者には意味不明な抵抗かもしれない。しかし、この体験は危険である。この「隷属」は澱となり心に沈殿し、じわじわと影響を与える。また偶然ながら、この緑タグを付けさせられた帰国者の列とオリンピック関係者一行とがすれ違った。対照的な雰囲気が、今もなお鮮烈に記憶として残っている。
監視と管理の隔離生活へ
羽田空港から隔離先ホテルまでは専用バスで送迎してもらえる。バスは民間バス会社が担っており、運転手さん曰く「初期の段階から帰国者送迎に関わってきた会社」だという。なお、2020年4月は自衛隊管理だった。運転手さんもワクチンを打っているとは思えないが、これは確認していないので不明だ。
羽田空港から50分ほどでホテルに到着する。入り口には警官が立っていて物々しい。ただし、ホテル・ロビーに入ってからの対応係は、おそらく学生バイトだろうか、「へぇ、ドイツからですか。兄貴もドイツに留学してたんですよ」といった感じに話しかけられた。むしろ、私にはこの感じが救いだった。なぜなら、この隔離先ホテルは2020年3月に帰国学生の受け入れ拒否ホテルのひとつだということが思い起こされて、私の気持ちは暗然としていたからだ。なお、公式には「検疫所の確保する宿泊施設」なので、ここに具体的なホテル名を記さない。
「#隔離メシ」とそれ以外のストレス
2021年3月、帰国者隔離先ホテルの制度化によって、「隔離メシ」というハッシュタグがTwitterで拡散され、話題となった。この時点で、私はまだドイツにいたわけだが、数々の隔離メシTweetを読んでいくと、ここには「ヒマだから」「単に不味い」を超えた何かがあると思った。また多くの人は食べることを日課にして生活することから、「共感」を得やすいコンテンツだったことも確かだろう。
実は今回の帰国は、「隔離メシとは何か」についてしっかり考えようと思って臨んだのだった。一部はうまくいったものの、一部では隔離による心の圧迫によって、そこまで考える余裕が持てたかは怪しい。おそらく帰国隔離者の大半は「訳の分からない状態での三日間」を過ごし、退所後には解放感で状況把握と考察まではなかなか難しいだろうと思う。では、端的に隔離メシとは何だったのか。隔離下で選択肢が極小化したなかで、食というかけがえのない行為も限定された。この抑圧からの感情爆発だと捉えてよいだろう。
隔離メシの発信側はネタ消費的な面もあったし、受容側も帰国者への複雑な感情が絡まり合い、ときに「ぜいたく言うな」という非難も起きた。本記事では、これ以上は立ち入らない。なぜなら隔離期間中、「隔離メシ」は私にとって問題全体の一部に過ぎないものになったからだ。
筆者にとって、ホテル隔離の別のストレスは「音」だった。一日に5回ほど「ピンポンパンポーン」という音がベッドの直上で鳴り、アナウンスが流される。「お弁当を配り終わったので、各自マスクをして部屋のドアを開けて受け取ってください」などの放送だ。この音が思いのほか大きく、時差ボケで睡眠不足の心身へのダメージが大きかった。ホテルに「音量を下げてもらえないか」と陳情したが、無理だった。私個人の問題を度外視しても、小さい子ども連れの家族なら、この音で子どもが目を覚ましてしまうことは想像に容易い。