―現在、失踪した実習生や留学生をサポートする公的制度や組織はあるのでしょうか?
公的な制度はないです。現時点では、「ベトナム人の駆け込み寺」と呼ばれるお寺やシェルターなどの民間の団体があり、そこに身を寄せる実習生や留学生は後を絶ちません。日本政府がそういった失踪者を支援する制度を整えるのと同時に、僕たち個人が民間団体へわずかながらも寄付していければ、最悪のケースを救えるのではないかと個人的には思っています。
―日本政府は労働力獲得のために、40万人以上の技能実習生を受け入れていますが、彼らが日本で人権を侵害されても、「移民はいないもの」として移民政策を打ち立てずにネグレクトしています。それなのに、過疎地に彼らを送り込み働かせて「多文化共生」と謳っていることを監督はどう捉えていますか?
労働でしか繋がっていないのに「共生」という言葉を使うことには僕も違和感を感じています。実習生や留学生の“人間性”と“労働力”を天秤にかけて、“労働力”のほうを大事にしている。これはフェアではないし、「共生」とは到底思えません。
仕事に完璧を求める日本人は、自分で自分を苦しめている……
―3人の女性のひとりが体調不調で魚を落としてしまい、日本人漁師に「お客さんの口に入るものだから洗え」と怒鳴られる場面があります。消費者はスーパーで買った魚を洗って調理するのが一般的なのに、日本人が過剰なサービスを消費者に提供することの弊害をこのシーンに見たように思います。
ミャンマーやベトナムから帰国すると、日本の社会には寛容さが少ないような気がしますね。実際にはクレーマーは少数派なのに、“完璧さ”を求めて日本人は自分で自分を苦しめてしまう。例えば、ミャンマーではお店のレジの人はご飯を食べながらお釣りを渡したりしています(笑)。自分の時間やペースを大切にして、ストレスをできるだけ減らせて仕事をしている。もうちょっと日本人もテキトーに生きていけばいいのに(笑)。日本人は仕事に関しては自分にも他人にも非常に厳しいですよね。
―仕事と言えば、このコロナ禍で日本映画界のハラスメント問題が浮かび上がりました。監督は、いまの日本の映画界をどのように見ていますか?
日本の映画界はクローズドだと感じます。本作はベトナムとの国際共同制作なのですが、ベトナムは他国の映画界と繋がっていて、外国の手法や制度を取り入れています。アジアの国は市場が小さいから、国際共同制作にして複数の国の市場に向けた映画作りをしなければいけないという側面もあるからでしょう。
一方、日本は国内市場がある程度大きいので、日本人に向けて映画作りをすればよい。だから日本で映画を制作しようとすると、まず重要なのは俳優の知名度や原作。本作のように外国人を主演に起用した作品だと資金が集まらない。でも、もう少し他の国と繋がり、日本人以外の文化の人も共感できるような物語作りをしていけば、もっと日本の映画界は面白くなると思います。
―国際共同制作をするメリットは、創造性や多様性が広がるという意味でクリエイター側にはありますが、日本の投資家側にとってはあまりない、ということでしょうか?
はい。やはり国内市場でヒットしそうな映画に集中して作ったほうが、日本の投資家にとってはリスクが低いですから。ヨーロッパだと映画制作の助成金が多数あり、助成金だけで映画を何十年も作って来た映画人も珍しくないんです。反面、日本を含むアジアでは助成金も少ないので、抑えた予算で制作せざるを得ません。それが僕たちの課題ですね……。
いま、この映画のベトナム公開を目指して調整中ですが、市場云々よりも、ベトナムの方がどんなふうにこの映画を見てくれるか非常に気になります。日本とベトナム、両方の国の人に見てもらってこそ、この映画を作った意味があると思っています。
(取材、構成:此花わか)
『海辺の彼女たち』
5月1日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
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