1967年:「長く、暑い夏」 ~全米で暴動多発
1967年。白人の若者たちはベトナム反戦を唱えると同時にヒッピー・カルチャーを堪能していた。彼らが独特のヒッピー・ファッションに身を包み、マリファナを吸いならが数々の野外コンサートでロックを楽しんだこの年の夏は「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれた。
一方、黒人の若者たちは1964年の公民権法制定後も無くならない人種差別、貧困、警察暴力に耐え切れず、夏の間に全米で160回近くの暴動を繰り返した。これらは計画されたものではなく、各都市できっかけとなる出来事が起こるたびに、限界まで追い詰められていたアフリカン・アメリカンたちが他になす術も無く怒りを爆発させたのだった。この夏は「Long, hot summer 長く、暑い夏」と呼ばれた。
以下は159件の暴動のうち、最も規模と被害が甚大だった2件。
●ニュージャージー州ニューアーク(1967年7月12〜17日)
黒人のタクシー運転手ジョン・スミスの運転マナーが気に入らないという理由で警官がスミスを殴って逮捕し、警察署に連行。目撃者たちから「警官が運転手を殴り殺した」の噂が立ち、急激に拡散。やがて大規模な暴動となる。死者26人、負傷者727人、逮捕者1,465人。

デトロイト暴動の最中、フーバーFBI長官などと対策を話し合うリンドン・B・ジョンソン大統領。1967年(wikipediaより)
●ミシガン州デトロイト(1967年7月23〜28日)
違法なクラブで行われていたベトナム帰還兵歓迎のパーティを警察が強制捜索。パーティ参加者と騒ぎを眺めていた野次馬を大量逮捕したことがきっかけとなり、大規模な暴動に。鎮圧に州兵9,000人では足らず、ジョンソン大統領が米軍5,000人を配備。死者43人(黒人33人、白人10人)、負傷者1,200人、逮捕者7,200人を出し、1,400軒以上の建物が放火された。
この暴動は2017年に『デトロイト』のタイトルで映画化。主演ジョン・ボイエガ、監督キャスリン・ビグロー。
1968年:キング牧師暗殺による暴動
「長く、暑い夏」の翌1968年4月4日に起こったキング牧師の暗殺は黒人市民に大きな衝撃を与え、当日から5月末にかけて全米100都市以上で次々と暴動が起こった。中でもワシントンD.C.、ボルディモア、シカゴなどで大規模となった。ニューヨークでは過去に何度も暴動を繰り返していた黒人地区ハーレムでの暴動再発を憂えた市長がハーレムに出向き、市民に落ち着くよう語りかけた。全暴動での死者の総数43人、負傷者3,000以上、逮捕者20,000人以上。キング牧師は徹底した非暴力主義者であったが、その死が多くの暴動を招いたのであった。

キング牧師暗殺後の暴動直後の首都ワシントンD.C. 1968年(wikipediaより)
1970〜1990年代
キング牧師暗殺による暴動の後、1970年代初期にも人種暴動は起こるが、数は徐々に減ってゆく。
●ニューヨーク市 大停電の暴動(1977年7月13〜14日)
ニューヨーク市は1977年7月に落雷による大停電を起こしている。午後8時半の落雷から翌朝まで市内のほぼ全域が停電し、地下鉄など交通機関も麻痺。この間に市内の31地区で店舗の略奪、建物の破壊、放火が起こった。
これらは人種暴動ではないが、多くは貧しいマイノリティ地区で起こった。
当時、ニューヨーク市は深刻な経済危機にあり、かつ「サムの息子」と呼ばれた連続殺人犯が暗躍し、市民を恐怖に陥れていた。加えて熱波の到来中であり、停電によるエアコンの遮断が人々の苛立ちにさらに輪をかけた。
●カリフォルニア州 LA暴動(1992年4月29日〜5月5日)
人種暴動は1970〜1980年代には数年に一度の割合で起こるのみだったが、1992年に全米を揺るがす大規模な暴動が発生。前年に黒人男性ロドニー・キングが複数の白人警官に殴打される事件が起きた。その様子は近隣住人のハンディカムによって撮影されていたにもかかわらず、警官たちは無罪に。これに怒ったアフリカン・アメリカンが暴動、略奪、放火をおこなった。
LAではやはり前年に黒人少女ラティーシャ・ハーリンズ(15)が万引きを疑われて韓国系の女性商店主に射殺される事件が起きていた。商店主は有罪となるも実刑なしの執行猶予のみとなっており、いったん暴動が起こると攻撃の対象は韓国系商店に向けられた。暴動は7日間にわたり、死者63人(黒人28人、ラティーノ19人、白人14人、アジア系2人)、負傷者2,383人、逮捕12,111人。経済損失も計り知れない規模となった。
2012年〜BML:抗議デモ
LA暴動の後も人種暴動はさほど起こらなかった。ニューヨーク市では、先日までドナルド・トランプの個人弁護士であったルディ・ジュリアーニの市長時代(1994 – 2001)に黒人男性への過度な職務質問と身体検査が行われ、警官が無実の黒人男性を射殺する事件が相次いだものの、何度も繰り返された抗議デモが暴動となることはなかった。また、2003年の夏にはニューヨーク市で再度の大停電が起きたが、1997年の停電時とは異なり、暴動や略奪は起こらなかった。
2012年にフロリダ州にて黒人少年トレイヴォン・マーティン(17)が自称自警団の男に射殺される事件が起き、「ブラック・ライブス・マター(BLM)」が誕生。2014年にミズーリ州にてマイケル・ブラウン(18)が警官に射殺された際には抗議デモが暴動となり、BLMの認知度が一気に広まった。
以後、全米各州で何度か同様の事件と抗議デモが起き、時に暴動化したが、その数は1960年代の比ではなかった。
昨年5月にジョージ・フロイドが白人警官デレク・ショーヴィンに殺害された事件では、ショーヴィンがフロイドの首を9分29秒抑え続けた様が撮影されており、全米に流れた。当初の抗議デモは暴動となり、賛否両論の大きな議論となった。以後、今年4月にショーヴィン有罪の判決が出るまで抗議デモは続いた。
全米各地で人種暴動が多発した1960年代に、キング牧師は「暴動は耳を傾けてもらえない者の声」であり、「アメリカが正義を先延ばしにしている限り、暴力や暴動は何度も繰り返される」と語った。(次回に続く)
(堂本かおる)
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