
写真:つのだよしお/アフロ
■連載「議会は踊る」
大学の頃、ワンルームのアパートに住んでいた。日あたりはすこぶる悪く、とんでもなく壁が薄かったので、テレビを見るたびに隣の住人が壁を殴ってきた。
ガスコンロが一つしかなかったので、パスタを茹でながらソースを作る……ということすらできない。仕方ないので、学食を食べるか、近くのはなまるうどんでかけうどんを食べていた。
ものはあふれ、寝る場所は狭い。それでも生きていけたのは、部屋で時間を過ごしていなかったからである。
学生会館で夜まで過ごしていれば、誰かと会えたし、勉強は大学かカフェでやればいい。食事も外食だ。寝るだけでいいなら、駅に近いワンルームというのは合理的な選択だ。
コロナ禍で強く感じたが、東京というのはステイホームするための都市ではない。壁の薄いワンルームで一年間ステイホームするのは、よほど忍耐力がある人間でなければ難しい。
私がかつてのようなワンルームのアパートに住んでいたら、ステイホームは精神的に持たず、実家に帰っていただろう。それとて、幸いにして実家に帰れる関係性だから出来たことで、それができない人もいるはずだ。
一人暮らしで、15㎡のワンルームに住みながらオンラインの授業を受け続けるのは、刑務所生活に近い。
実家暮らしだとしても、実家の住環境が快適な人ばかりではないし、そもそも家族との関係が良い人ばかりでもない。
「家にいるとストレスが貯まる」という人のストレスのレベルは、手のかかる子の育児や、認知症の両親の介護、あるいは隣人の騒音、攻撃的な家族など、「家にいても大丈夫」な人からは想像もできない、様々な事情があるのかもしれない。
変異株まん延時においては、会食だけを制限すればいいというフェーズは終わっている。
感染予防のためには、ほとんどの人が平日も含めて一日家にいる生活をしなければいけない。
しかし、ステイホームと言われても、家が快適で安全である人と、そうでない人の間には厳然とした格差があるのではないか。
そもそも、ステイホームに関しては、オンライン授業に対応した若者より(大学によるとはいえ)、遥かに会社員のほうが遅れている。
私はオンラインミーティングに毎日のように参加するが、日本企業では、会社の自席からオンラインミーティングに参加している人が少なくない。一つの会議室で何人もがオンラインミーティングに参加していることすらある。
いろんな事情があるのはわかる。通信環境や部屋の状況もあるだろう。顔を合わせないと仕事が進まないこともあるだろう。リモートワークにしたくても会社が許していないケースも多いので、個人の問題ではないかもしれない。
しかし、いろんな事情があるのは、若者も一緒ではないか。なぜ、オフィスワーカーは聖域化して、若者や学生はあらゆる事情を許されないのだろうか。
テレビをつければ、「若者はこんなに外出しています」という報道ばかりが流れている。
スタジオに戻ると、距離を取っているとはいえ、何人もの出演者がマスクもせずに話をしている。
出演者は自らを滑稽だと思わないだろうか。ワンルームに住み、一生に一度の貴重な時間を、平日は部屋にこもってばかりいる人が、オンラインで済むのに、スタジオにのこのこ出勤した大人が批判しているのだ。
「出歩く人」を批判するのは容易い。しかし、不要不急かどうかをウイルスが判断してくれるわけではない。
あえていうが、平日満員電車に揺られながら出勤している人が「感染対策は完璧」などということはありえず、常にリスクにさらされていると考えるべきなのではないか。
本気でコロナ対策をするならば、満員電車を止めるためにも、職場での感染を防ぐためにも、リモートワークの徹底こそが必要だ。
出勤しなければ物理的に不可能な人以外は出勤しない。そんな無茶な、と言われるだろうが、もっと無茶を言われている業種はたくさんある。
「バーが酒類提供禁止」が許されるなら、「物理的に出勤が必要な人以外、出勤禁止」は、よほど合理的なのではないか。
聖域をなくし、「いろんな事情」を差し置いて、大部分のコミュニケーションをオンラインで行うことが、今の日本には求められている。
西村康稔コロナ対策担当大臣は、自民党の公式YouTubeチャンネルで「ステイホームを徹底して」と語った。目の前には松島みどり議員がいた。
YouTubeすらオンラインで配信できない大臣が語るステイホームに一体何の意味があるのだろう。
自民党だけではない。どの政党も地元を歩き、選挙の演説をしている。集会は減っても、ポスター貼りや選挙運動が消えるわけではない。
なぜ「政治は特別」なのか。聖域化されてはいないか。なぜそれが許されるのか。
政界に片足を置くものとしては、そのことを真摯に考えてほしいと思う。
国会においては、オンライン化が進まないどころか、コロナ感染者の投票すら想定されていない。一年も時間があったのに、何ら準備されていない。
行政府も準備不足だが、立法府も準備不足である。あげく、憲法審査会の話がまたぞろ出てくる始末だ。
ステイホームという概念は、暴力的に我々の生活を規定する概念でありながら、対象が極めて狭い業種や人にだけ適用されている。飲食、文化芸術、風俗産業、学生などだ。
本当に感染を止めたいのであれば、スタジオに出向いて「ステイホーム」を呼びかけるより、出勤も例外としない、より強力で、徹底したロックダウンではないか。
それが出来るのは政治しかない。法整備が難しいならば、少なくとも政府からの強いメッセージが必要だ。