新型コロナウイルスは「心身二元論」に風穴を開けるか?

文=みわよしこ
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子ども・青年・女性の自殺は、本当に増加したのか

 他にも、10~19歳の子どもおよび20~29歳の青年の年齢層で自殺が増加したこと、女性の自殺が増加したことなどの特徴があった。しかし、「新型コロナの影響」と言い切るのには、無理があるかもしれない。

 10~19歳の子どもの自殺は、もともと総数が少ない。2019年は659人、2020年は777人だった。5人増えれば、「前年比で約1%増加」となる人数であることを忘れないようにしたい。1件といえども決して起こってほしくないのだが、そもそも、20歳以上の年齢層に比べると圧倒的に少ないのである。

 20~29歳の青年は、2117人から2521人へと、約400人の急増を示している。女性の自殺者も、人数で見ると、6091人から7026人へと、約1000人の急増を示している。これらの変化だけを見ると、どうしてもショックを受けてしまう。しかし推移を見ると、通常見られる変動に含まれる範囲の変化である。

 2020年、子どものメンタルヘルスは激変した。2020年3月に始まる突然の休校、そして、同年4月からの緊急事態宣言は、子どもが家族とともに家庭で過ごす時間を増加させた。大人たちにも少なからぬストレスが加わる中、もともと家族との関係が良好ではなかった子どもが厳しい状況に置かれたことは間違いない。

 青年については、もともと不安定就労が多かったこと、コロナ禍が不安定就労者の雇用と収入を最初に奪ったことを背景として考慮すべきだろう。女性についても、同様の背景がありそうだ。しかし、それらの背景だけでは、過去に見られた同程度の自殺者の増減を説明できそうにない。

 そもそも、原因が明らかにされないことも多い。自殺とカウントされない暗数がありうる上、新型コロナの影響により自殺未遂者の実態が分かりにくくなっている。グラフとデータを眺めていても、答えは出そうにない。

「体感メンタルヘルス悪化」という主観的事実は無意味なのか?

 この間、生活困窮者支援窓口や生活相談ホットラインの相談員たちは、月ごとに深刻になっていく状況を認識していた。相談に訪れたり電話をかけたりする人々は、2020年4月には、仕事と収入を失って経済的に困窮していたり、ネットカフェに居られなくなって雨風を凌ぐ場所を失っていたり、手持ち金が数千円まで減少していたりした。2021年3月になると、分かりやすい困窮に加えて精神的に追い詰められている人々が、時には数円や数十円の手持ち金を握りしめ、自殺でも強盗でもない選択肢を最後に掴むために相談に訪れていた。

 生活相談に訪れる人々の多くが、生活困窮状態にあることは同様である。手持ち金が数千円でも数円でも、自らの就労収入だけで生活することが不可能になっていることは確かである。さらに月々、メンタルヘルスは悪化していく。このような状況を数値化することは難しいけれども、メンタルヘルスを良好にする材料がなく、悪化させる材料が増えていることは確かであろう。

 筆者は、「無理に自殺者数の変動と結びつける必要はないのでは」と考えている。「メンタルヘルス悪化」という主観的事実は、まだ数値に明確に現れていない兆候のようなものではないだろうか。「主観的であり客観的に確認することが難しいけれども、コロナ禍の何かを反映した事実」として、そのまま受け止め、理解し、活用すれば良いのではないだろうか。その主観的事実に基づく対策が奏功し、2021年、そして2022年、自殺者の増加が見られないままになるのであれば、「結果オーライ」だ。おそらく、客観的なデータとして誰が見ても分かるようになってから対策するのでは、手遅れすぎる。

新型コロナウイルスが打ち抜く、心と身体の壁

 前編で紹介したとおり、新型コロナ感染症の後遺症は、発症から半年が経過しても続く。最も多く見られるのは、うつや不安などのメンタルヘルス症状である。ウイルスや身体症状へのストレスや怖れがメンタルヘルス症状を引き起こす可能性も、身体症状として引き起こされる脳や神経への影響がメンタルヘルス症状として出現する可能性もある。

 心と身体を区分する「心身二元論」は、「病んでいるのは身体じゃない、心だ」あるいは「病んでいるのは心じゃない、身体だ」と捉えてきた。心と身体は、本来、分割できるものではない。しかし「分割できる」と考えると、症状や疾患は取り扱いやすくなることが少なくない。たとえば、「どんな深刻な身体疾患と闘いつつも、健康な心を維持することはできる」という考え方は、困難な闘病の数々を支えてきた。「病んでいるのは心である」という考え方は、「いつか心が健康になれば、健康な身体とともに健康な人間として生きられる」「病んだ心のままで社会にいられるようになれば、健康な身体があるのだから、社会の中に居場所を見つけられるはず」といった希望をもたらしてきた。

「分ける」努力の放棄から生まれる希望

 今、新型コロナウイルスが人類に突きつけているのは、「便利そうな区分は、もう通用しない」という現実であろう。1人の人間を、心と身体に分かつことはできない。主観と客観を分かつことは、重大な兆候の見落としにつながる。

 そして社会から、人間の1人1人を切り離すことはできない。「精神障害を持つ人だけのゲーテッド・コミュニティを作る」という形で切り離しに成功したように見えるとすれば、何か大きな失敗を伴っているはずだ。

 社会から、差別や排除をなくすことは難しい。しかし、分けられないものを分ける努力を止め、「はっきり見えるわけではないけれど、確かに感じている」という感覚をねじ伏せる試みを止めることは、可能であり、目先の新型コロナに立ち向かうために有効なのではないだろうか。その路線の先には、誰かが切り離されることはない社会と、差別や排除がいつの間にか無効化されている未来がありそうだ。

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