立法の過程で否定されたトランスフォビア
トランスジェンダーへの誤情報を流して、政争の具にしようと企む人も現れている。
今春には自民党内で開かれた勉強会で、党のLGBT政策のアドバイザーを務めるシスジェンダー男性の繁内幸治氏は「性同一性なのか、性自認なのか、選挙の争点にすべきだ」と語った。繁内氏はジェンダー・アイデンティティの訳語として自民党提出のLGBT理解増進法案では性同一性、野党案では性自認が採用されていることにふれて「性自認とは、今この瞬間に自分が女だと言えば、女ということになってしまうものだ」「私が女だといえば、女湯に入れなくてはいけない、それを拒めないのが野党案だ」と自説を展開した。
性自認も、性同一性も、ともにジェンダー・アイデンティティの訳語であって違いはない。カレーライスとライスカレーが同じなのと一緒である。
この事態に対し、GID〔性同一性障害〕学会理事長の中塚幹也教授は「『性自認』も『その時点での自称』というような軽いものではありません」と明確に否定した。結局、自民党の特命委員会も繁内氏の言動には同調しなかった。
むしろ最終的に与野党で合意した法案では、性同一性と性自認が同じ意味であることが明示され、ジェンダー・アイデンティティの訳語としては、当初自民党が採用していた性同一性ではなく、性自認が採用されることにもなった。性自認のほうが、自治体施策などですでに広範囲に使われていたことなどが背景にある。
法案は努力義務を掲げるのみで、実効性については疑問が残るものの、こうして実態にもとづいた議論で政策の意思決定がなされたことに、ひとたび安堵のため息をついた。しかし、日頃フェミニズム運動を支持しているわけでもなさそうな保守勢力が「女性の権利のために」と唐突に言いはじめる様子には恐怖心も覚えた。このような状況を受け入れることはできない(追記:この記事を用意している最中に、山谷えり子議員がトランスジェンダーのトイレ利用などに触れて「ばかげている」と発言した。性教育に反対し、セックスを推奨するからと中高生への子宮頸がんワクチン接種に反対し、夫婦別姓にも反対している彼女が「女性の安全」を持ち出すことのおかしさに多くの人が気がつくことを願う)。
0.5%の命を守るために
最新の自治体調査によれば、トランスジェンダーの割合は人口の0.5%である。圧倒的多数の非当事者はトランスジェンダーを知らず、一緒に週末を過ごした経験ももたない。トランスジェンダーがなにに困り、どう臨機応変にやりくりしているのかを人々は知らない。用を足すたびに警備員を呼ばれることがないよう工夫していることを知らない。すでにうまくやれている多くの場面があることも知らない。知らないのにトランスジェンダーの尊厳を認めて、互いが共存することは困難であると、99.5%の側にいるシスジェンダーの人間が決めつけ排除しようとしている。
シスジェンダー中心的な社会で、当事者たちは苦労しながらなんとかやっているのに、そこでの経験や知恵は無効化されている。
たとえばトイレ。当事者の実態を知らない人たちは、トランスジェンダーのトイレ利用について「手術していないなら女子トイレを使うべきでない(手術しているならよい)」とか「犯罪者と見分けがつかない」などと述べがちだ。
しかし、性別適合手術そのものは外見に影響しないので、実際には手術を受けて戸籍を女性へと変更したあとにも女子トイレを使えないトランスジェンダーがいる。かと思えば、手術を受けなくても女子トイレを使えるトランス女性もいる。私のように「だれでもトイレ」が落ち着くという当事者もいれば、「だれでもトイレは嫌だ」という当事者もいる。
教室から遠く離れた「だれでもトイレ」を使うよう指定されたトランス女子の生徒を、同級生が「こっち」と手を引き、教室前にある女子トイレに連れていったという事例を耳にすることもある。
人間である以上は、迷うこともある。拒絶されることへの不安もある。友達が背中を押してくれることもある。シスジェンダー中心的に作られた社会においては、このような複雑さこそがトランスジェンダーが社会的存在であることの証でもある。
複雑である経験や、そこにあらわれている知恵を、価値のあるものとして尊重する人が増えたならトランスジェンダー差別は和らいでいくのではないか。
ハッシュタグで「トランス差別に反対します」とつぶやくことは意思表示として重要だけれど、人々が圧倒的にトランスジェンダーの生に無知であることへの薬にはならない。
5月中旬より、私は仲間たちと有志で「トランスジェンダーのリアル」という無料冊子を1万部作成するためのクラウドファンディングを立ち上げている。この冊子は、トランスジェンダーについて知らない人たちへの啓発を目的として作るものだが、私にとっては別の意味もある。差別の惨状に胸をいためているシスジェンダーの人たちに、ハッシュタグでつぶやく以外にできることを具体的に提示したかったのだ。
「トランスジェンダー を排除するのはおかしいのではないか」とか「差別はよくないからなくしたい」と思っている人でも、ネット上の心ない書き込みにどう対抗していいのかわからないとか、そもそもトランスジェンダーについて知らないといったケースは多い。そんなとき自分の学びを深めることができて、友達に手渡しができる冊子があれば、もう少し「複雑なものを複雑なまま」受け止められる人が増えるのではないかと思う。冊子をまわりに広めるというアクションに、ぜひたくさんの人に参加してほしい。
「トランスジェンダーが求めているのは、ペニスのある人が女湯に入れる社会なんでしょう」という曲解や嘲笑はとてもわかりやすい。そうではない運動を、ハッシュタグの外側で作りたい。
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