中国政府を批判した香港スターが、アメリカでも演奏できなくなった? 権力・グローバル企業が市民の声を押さえつける

文=此花わか

社会 2021.06.05 08:00

©Aquarian Works, LLC

 モントリオールで育った香港ポップス界のディーバ、デニス・ホー。香港の一国二制度が中国に脅かされるにつれ、香港人としてのアイデンティティに目覚めていった彼女。2012年11月のゲイ・パレードで香港の女性アーティストとして史上初めて同性愛をカミングアウトした彼女は、2014年の民主化デモ運動「雨傘運動」に参加し逮捕される。中国のブラックリストに載ってしまった彼女に一体何が起きたのかーー。

 香港の民主化運動を背景に、華やかな歌姫、政治活動家、ゲイのアーティスト、スピリチュアルな仏教徒……様々な顔をもつデニス・ホーの心の旅を捉えたドキュメンタリーが6月5日に公開される。

 本作を手がけたのは自身の制作会社をもち、過去30年に渡り数々のドキュメンタリー番組や映画を作り上げてきたスー・ウィリアムズ監督。中国にまつわるドキュメンタリー番組も制作したことのある、輝かしい受賞歴をもつベテランだ。そんな彼女にデニス・ホーとの出会いから現在の香港の状況まで話を聞くことができた。

雨傘運動とデニス・ホーのアイデンティティへの目覚め

ー2014年の雨傘運動のフッテージとデニス・ホーの物語が交錯する、素晴らしい構成でした。香港の民主化運動を背景に、小さな女の子がポップスターへと成長する物語、ゲイとしてカミングアウトする物語、政治活動に目覚める物語……様々な物語が重層的に語られます。

 映画の冒頭ではデニス・ホーと彼女のスタッフがスマホやカメラから撮影した雨傘運動のフッテージを使っています。デニスに関しては、彼女自身が非常に多面的なので、カメラはただ彼女を追っただけ。本当に素晴らしい経験でした。

―デニス・ホーはスーパースターだったのに逮捕されたことが原因で、ロレアルやナイキなどのグローバル企業から契約を打ち切られてしまい、収入の80%を失った上に、中国では芸能活動が一切できなくなりました。中国政府の圧力に負けぬデニスの強さはどこから来るのでしょうか?

 デニスは9歳のときにカナダのモントリオールへ移住しました。多感な年頃のときに、モントリオールで育んだ民主主義や個人主義、そして自己主張や自由の大切さが彼女に刻まれていたからだと思います。そして、彼女はとても勇敢で芯の強い女性。モントリオールで培った信念と、もともとの性格がデニス・ホーの強さの秘密ではないでしょうか。

―監督は2017年の夏にデニスと初めて会ったそうですが、第一印象はどんな感じでしたか?

 どちらかというと口数の少ない、決して気取らず、でしゃばらず、ポップスターとは思えない女性でした。実はデニスのことも彼女の音楽のことも知らなかったのですが、2017年の11月にロンドンで彼女のステージを見て、本当に驚きました。ステージに立った瞬間、スターに変身するんです。彼女の素晴らしい点は、“一旦決めたことは必ずやり通す”こと。そして、決して“人を裏切らない”こと。どんなにスケジュールが立て込んでも、必ず約束を守ってくれるのです。非常にプロフェッショナルで謙虚な女性です。

―この映画には複数の芸能関係者も登場しますが、映画で発言してくれる人を見つけるのは難しかったのではないでしょうか? デニスの二の舞になりたくたくない人々も多かったのでは?

 実はその通りで、映画に出てくれる人を見つけるのは本当に難しかったんですよ。デニスと一緒に仕事をしたことのある作曲家や音楽プロデューサーなど多くの人に声をかけたのですが、出てくれた人はほんの一握り。彼らは中国で仕事をしているので、収入を失ってしまいますから……。

©Aquarian Works, LLC

中国政府の影響力はアメリカやヨーロッパのエンタメ界にも広がっている

―中国政府は香港のエンタメ業界にどの程度圧力をかけているのでしょう?

 2020年6月30日に香港国家安全維持法案が施行されました。それ以来、香港の街には4Kカメラが張り巡らされて、ちょっとしたことで逮捕され、DNAサンプルを採取されたり、家宅捜索を受けたりします。それ以前は、デニスが載っていた“ブラックリスト”というものが存在していました。厳密に言うと、ブラックリストは公に明らかにはなっていませんが、誰もがブラックリストの噂をしていましたから、きっとあったのでしょう。

 とにかく、アーティストは北京のブラックリストに載ると芸能活動ができなくなるので、マネージメント会社はアーティストの言動を反体制的にならないようにコントロールしているのが現状です。

―この映画は香港で公開されますか? 映画の配給に問題はありましたか?

 香港では公開されませんし、世界中の多くの映画祭で上映されませんでした。北米の配給はキノ・ローバー社が受け持ってくれて素晴らしい仕事をしてくれましたが、ヨーロッパに関してはいくつかの配給会社に「中国と仕事をしているから配給できない」と断られたのです。

―劇中、デニスのスタジアムの大きなコンサートとタウンホールの小さなコンサートが、素晴らしいコントラストをなしていました。

 ありがとう。中国のブラックリストに載ったアーティストがどのような音楽活動ができるのかを伝えたかったんです。デニスは地域によっては大きな会場がブッキングできないんですよ。彼女はいつもポジティブで前向きなので、「小さな会場はファンと直接交流できる機会をくれるから感謝している」と言っていましたが……。あのタウンホールはデニスがアメリカでブッキングできた、一番大きな会場だったんです。進歩的な歴史のあるタウンホールでデニスを目一杯サポートしてくれました。

©Aquarian Works, LLC

―デニスほどのスターがアメリカでブッキングできなかったとは、やはり中国からの圧力が原因ですか?

 だと思いますね。デニスはアメリカでは本当に多くの会場で演奏することができませんでした。アメリカの映画館を含む多くのシアターが中国の企業に経営されていますし、アマゾンやネットフリックスのようなプラットフォームでさえ、中国と仕事にしているから、中国政府を敵に回したくありません。中国政府の影響力は私達の想像以上に大きいです。

―北米では昨年、香港国家安全維持法案が施行された翌日の2020年7月1日に本作は公開されました。これは意図的だったのですか?

 意図的ではなかったんです! 2019年6月に起きた、“容疑者の身柄を中国本土に引き渡す”という条例に抵抗したデモの1周年アニバーサリーとして、公開日を2020年7月1日に決めていたのですが、香港国家安全維持法案がまさか6月30日に施行されるとは……。

 幸いなことに、映画への反応は非常によくて、ニューヨーク・タイムズ紙など大きなメディアからも高評価を得ました。カリスマ性、スター性、そして、モントリオールと香港の2つの文化的価値観を持ち合わせたデニスだったからこそ、香港の状況がこの映画からうまく伝わったのでしょう。ファンの前で涙を流すデニスに観客は心を揺さぶられたんだと思います。

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此花わか

2021.6.5 08:00

映画ライター。NYのファッション工科大学(FIT)を卒業後、シャネルや資生堂アメリカのマーケティング部勤務を経てライターに。ジェンダーやファッションから映画を読み解くのが好き。手がけた取材にジャスティン・ビーバー、ライアン・ゴズリング、ヒュー・ジャックマン、デイミアン・チャゼル監督、ギレルモ・デル・トロ監督、アン・リー監督など多数。

twitter:@sakuya_kono

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