キング牧師とマルコムXは、共に1950年代から1960年代の公民権運動時代に活動した黒人リーダーだ。この時代、多くのアフリカ系アメリカ人が活動家となり、自身の生活を投げ打ち、命すら賭けて黒人の命と人権のために闘った。中でも突出した指導力とカリスマ性によって米国内はおろか、世界中に名を知られたのがキング牧師とマルコムXだ。
キング牧師は1929年、マルコムXは1925年に生まれている。同じ世代であり、同じ時代に人種差別撤廃、黒人の地位向上を目指して人々を率いた。どちらもアフリカ系アメリカ人にとって待望のリーダーであり、白人支持者の心をも掴んだ。同時に白人至上主義者からは憎悪の対象とされ、米国政府もその存在を大きな脅威と捉え、FBIの調査対象とした。やがて2人はそれぞれ暗殺によって命を落とした。奇しくも共に39歳だった。

キング牧師とマルコムX 1964(wikipediaより)
2人が目指した黒人の在り方は全く異なっていた。キング牧師は非暴力主義によって白人社会との融合を目指し、マルコムXは白人社会から切り離され、独立した黒人社会を求めて「必要なら手段は辞さない」とした。
生い立ちも大きく違っていた。南部のキリスト教牧師の家系に生まれ育ったキング牧師は経済的な苦労は体験しておらず、学歴を重ねて博士号を取得している。一方、マルコムXは子供時代に父を亡くし、後に母親が精神疾患により入院しため兄弟姉妹バラバラで里子となった。やがて高校を中退し、都市部に出て犯罪者となり、刑務所の中でイスラム教徒となっている。
本稿では2人の生い立ちを振り返る。
マーティン・ルーサー・キングJr.
キング牧師は1929年1月15日、ジョージア州アトランタにて誕生。日本では一般的に「キング牧師」と呼ばれるが、英語での正式な表記としては、博士号を持つことから「Dr. Martin Luther King, Jr.」、さらに牧師の敬称「Rev.」を加えて「Rev. Dr. Martin Luther King, Jr.とすることもある。本稿では以下「MLK」(マーティン・ルーサー・キングJr. のイニシャル)と表する。
家族は父、母、姉(93歳で健在)、MLK、弟の5人。父方の祖父は小作農だったが母方の祖父がパブティスト教会の牧師であり、その祖父が亡くなった時に父が後を継いで牧師となった。
牧師となった父マーティン・ルーサー・キングSr. は1934年に”パプティスト世界同盟”の会議に出席し、ローマ、エジプト、エルサレムとベツレヘム(現在のイスラエル)、ドイツなどを巡っている。当時、アフリカ系アメリカ人で外遊が可能だったのは一流のミュージシャン、作家などごく一部に限られており、親から直接外国の話を聞くことができたMLKの生育環境はかなり恵まれていたと言える。父はドイツでナチスの興隆を目撃して非常に強い衝撃を受けており、こうしたこともMLKに多大な影響を与えたものと思われる。

キング牧師 1964(wikipediaより)
一家が暮らしていた黒人地区は豊かとまでは言えないものの中流層が多く、住人の多くは非常に信仰熱心で治安は良かった。MLKは教会のクワイアで歌い、家庭では母アルベルタからピアノを教わり、中学ではヴァイオリンも学んだ。高校生になるとディベートの授業で際立つと同時に、ツイードのスーツでオシャレに凝る若者となった。町一番のダンサーでもあり、「女の子から女の子へと渡り歩いた」と、後に弟が語っている。
第二次世界大戦中の1944年、MLKは弱冠15歳にして地元アトランタにある名門の黒人大学、モアハウス・カレッジに入学する。学生がどんどんと徴兵される中、大学側は学生数を維持するために高校生の入学を進めており、優秀ゆえに飛び級していたMLKも入学を認められたのだった。専攻は社会学だった。4年後、19歳で卒業したMLKはペンシルヴァニア州の神学校に進む。3年後に卒業するとボストン大学の大学院で博士号(組織神学)を取得。同時期、ボストン近郊にあるハーバード大学の聴講生として2年間、哲学も学んでいる。これほどの高等教育を重ねたMLKだが、ハーバードを終えた時点で25歳であった。