聞けば聞くほど「不安」になる、「安全・安心」という政府の詭弁

文=山崎雅弘

社会 2021.06.04 07:00

Getty Imagesより

●山崎雅弘の詭弁ハンター(第7回)

 自分の乗っている旅客機に、何かトラブルが起きたようだ。乗務員が、不安げにソワソワと動き回る。変な匂いがする煙を吸って、体調を崩す乗客も出始めた。

 やがて、機長がマイクを通じて「機体に深刻なトラブルが発生しましたが、近隣の空港に緊急着陸せず、このまま目的地まで飛行を続けます」とアナウンスした。これを聞いた乗客の多くは、命の危険を感じ、「すぐに近隣の空港に着陸して、自分たちを降ろしてくれ」と詰め寄ったが、機長は聞き入れず、こんな説明を機械のように繰り返し続けた。

 「安全・安心の飛行で目的地に着くよう全力で取り組んでまいります」

 もし旅行中にこんな事態に遭遇したら、まさに悪夢としか言えないでしょうが、いま、われわれの住む国が、これと同じような状況に直面しています。

 国内で新型コロナ感染という「深刻なトラブル」が発生し、国民の六割から八割(世論調査の媒体によって幅がある)が「すぐに東京五輪の今夏開催を中止して、新型コロナ対応に全力を尽くせ」と政府に要求しているのに、菅義偉首相と日本政府はそれを無視して、今年7月に開幕を予定する東京オリンピック・パラリンピック(以下「東京五輪」と略)という「目的地」への飛行を継続すると言い張り、こんな説明を繰り返しています。

 「安全・安心の大会に向けて全力で取り組んでまいります」

 新型コロナの感染が依然として収束せず、医療機関の危機的状況も全然解消されない上、これから本格的な夏の到来で熱中症の患者を病院に救急搬送する事例が増えることは容易に予測でき、さらに内外の医師や医療関係者は「東京五輪の開催を強行すれば、それが新たな感染爆発の起爆剤になりうる」と警告を発している。にもかかわらず、これらの問題点を無視して「安全・安心」という言葉を呪文のように繰り返す、菅首相と日本政府。今回は、この「安全・安心」という言葉が、油断できない「詭弁」であることを論証してみようと思います。

聞き手の思考を停止させる催眠ワード「安全・安心」

 菅首相の「安全・安心」という言葉がニュースで大きく報じられるようになったのは、今年に入ってからですが、東京五輪組織委員会(以下「組織委」と略)は、昨年3月に開催の一年延期が決まった段階で、既に「安心・安全」という言葉を用いていました。

 2020年3月24日、組織委は安倍晋三首相と森喜朗組織委会長(いずれも当時)、バッハIOC会長の電話会談についての声明を公式サイトで公開しましたが、その中に「アスリート及び観客の安心・安全を確保することが最も重要であり」という文言があります。

 6日後の3月30日には、バッハIOC会長と森組織委会長、小池百合子東京都知事、橋本聖子五輪相(現組織委会長)の四者が、東京五輪の新たな日程で合意し、小池都知事はスピーチで「アスリートや観客にとって安全で安心な東京五輪」と述べました。

 この二つの声明では、「安全・安心」の対象が「アスリートと観客」になっていることに注意してください。つまり、それ以外の「一般国民」は対象に含まれていません。

 同年6月10日、五輪組織委は大会延期に伴う大会の位置づけ、原則、ロードマップを公表しましたが、この中の「2021年の開催に向けた方針」には、こう書かれていました。

 「選手、観客、関係者、ボランティア、大会スタッフにとって、安全・安心な環境を提供することを最優先課題とする」

 ここでも、「安全・安心」の対象は、東京五輪に関係する人間だけで、それ以外の大多数の日本人は、対象外です。これは、組織委という団体の性質を考えれば当然のことで、組織委は日本国民全体の命と健康に責任を負う立場にはありません。

 それに責任を負うのは、総理大臣である菅義偉氏です。しかし、菅首相は今までに一度も、自分が口にする「安全・安心」という言葉の対象が誰であるのか、きちんと説明したことがありません。もし、その対象が出場選手やIOC職員を含む東京五輪の関係者だけであるなら、冒頭に述べた旅客機の例で言えば、パイロットと客室乗務員だけ「安全・安心」を確保して、それ以外の乗客については知らないと言っているのと同じです。

 本当なら、政治記者が菅首相に「総理がたびたび口にされる『安全・安心』とは、『誰にとっての』でしょうか? そこに一般国民は含まれますか?」と訊くべきです。けれども、それをしていないので、ただ菅首相の「安全・安心」という言葉だけが、一見もっともらしい開催正当化の方便として社会に流されています。

 大抵の日本人は、政府の発表を批判的に観察するという、民主主義国の市民なら普通に身につけている習慣を持たず、総じて善意で解釈してしまうので、菅首相と東京五輪組織委が繰り返す「安全・安心」という言葉を聞いて、自分もその対象に含まれると信じてしまいがちです。しかし実際には、菅首相はそんな約束など一度もしていません。

 危険なのは、「安全」も「安心」も耳にやさしい言葉なので、この二つを繋げたフレーズを繰り返し耳に入れられると、思考が寝かしつけられるように停止して、深刻な問題が何も解決されないまま存在するという現実を忘れてしまうことです。菅首相と日本政府は、そんな効果を狙っているのかもしれませんが、それは自国民をだます態度です。

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山崎雅弘

2021.6.4 07:00

1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。主な著書に『歴史戦と思想戦』『日本会議 戦前回帰への情念』『「天皇機関説」事件』(以上、集英社新書)、『1937年の日本人』『[増補版]戦前回帰』(朝日新聞出版)、『沈黙の子どもたち──軍はなぜ市民を大量虐殺したか』(晶文社)などがある。

twitter:@mas__yamazaki

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