「五輪」がそんなに大事か? 理念を忘れ、アメリカの「いちテレビ番組」となったイベントに国が左右される理不尽

文=ダースレイダー
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Getty Imagesより

●ダースレイダーの「小学生からやり直せ」(第5回)

 東京五輪を巡る話題が日々続いている。開催まで2カ月前を切っていよいよ盛り上がってきた?

 確かに盛り上がって来ている、というか既に競技は始まっているのだ。競技というべきか、「エピソード」というべきか。

 なぜなら、五輪とは言ってみれば4年に一度ロケ地を変えながらアメリカNBCを中心に世界で放送されるテレビ番組だからだ。

 この番組はスポーツを軸にしたバラエティーで、プロデューサーはIOCというスイスにある民間団体。現在はトーマス・バッハという人物がトップを務めている。

 番組は五輪憲章なるコンセプトをもとに放送されるが、このコンセプトは『風雲!たけし城』や『SASUKE』をはじめとした様々なテレビ番組で用意される類のものだと思えば良い。

 視聴者から見れば、出演者は確かに番組内ルールに沿って行動しているように見えるが、プロデューサーやロケ地を手配した制作スタッフはコンセプトをまったく守っていない。

 事実、五輪の理念はもともと商業主義を否定したものだったが、1984年ロサンゼルス大会の頃からテレビ番組としての性格が強くなり番組スポンサーもどんどんつき出した。

 スポンサーにはグローバル企業と、ロケ地の企業がつくようになっている。現在、国際スポンサーは、アメリカのVISA、Airbnb、コカコーラ、日本からはパナソニック、ブリヂストン、そして中国のアリババ、蒙牛乳業、韓国のサムスンなどが名を連ねる。

 このテレビ番組の問題点は、ロケ地に苛烈な要求をすることだ。

 ロケ地に名乗りをあげると厳しい内容の契約が交わされる。番組の放映時期はアメリカのテレビの編成により既に7月〜8月に決まっている。

 ロケ地の事情は関係なく画面の中で番組が成立していればそれで良い。競技の時間もアメリカでの放送時間に合わせて設定される。

 スポーツ競技とはいえテレビだから観客はエキストラ、書き割りのような扱い。なんなら居なくても成り立つのだ。

 その代わり、ロケ地にはロゴ使用などの権利ビジネスで儲けてもらうシステムによって、今までゴリ押し放送が成り立ってきた。

 この番組ではいつも、まずは聖火リレーや事前合宿で話を盛り上げ、そこからいよいよ大会本番という定番のコースで「一丁上がり!」だが、ご存知のように東京五輪ではうまく行っていない。

 2020年、世界はコロナパンデミックに巻き込まれ、この番組の放送は一年延期された。

 2021年、世界はワクチン接種率によってパンデミックをコントロールするフェーズに突入しているが、肝心のロケ地である日本のワクチン接種は何周も遅れている状況だ。

 そのため、日本政府は番組本番開始の7月末までに高齢者のワクチン接種を終わらせるという無理矢理な目標を打ち立てた。そして番組に出演するアスリートには先行してワクチン接種を始めたのだ。

 そもそもの国内の感染状況すらコントロール出来ていないのに、番組序盤を盛り上げる聖火リレーや、番組プロデューサー来日のタイミングに合わせて緊急事態宣言を出したり引っ込めたり伸ばしたり……。

 だから、本来は番組を盛り上げるために企画された聖火リレーが幕の内側だったり、無人のスタジアムで行われる謎の儀式(ただライブ配信はされている)と化していた。

 本来、この番組がうまく行っていない状況は国内メディアがガンガン報じれば良いのだが、東京大会では大手メディアがこぞって番組スポンサーに名を連ねていて、既にロゴを使った商売も展開している。

 ビジネスのため、番組に成功して貰わないと大手メディアは困るのだ。よって、この番組に関する正確な情報は国内だと地方紙、スポーツ紙、週刊誌を中心に得るしかない。「週刊文春」(文藝春秋)は五輪開会式を巡る電通社内の演出チーム乗っ取り事件を報じ、「週刊ポスト」(小学館)は国内スポンサーメディアに質問状をぶつけた。

 一方、海外からはパンデミック下での開催を危惧する報道が相次いでいる。

 ロケ地の日本政府は番宣で「人類がコロナに打ち勝った証」とぶち上げていたが、最近は「コロナで分断された絆を取り戻す」と言い方を変えている。

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