「シスターフッド」は最近とてもよく使われる言葉です。文字通りには「姉妹であること」を指しますが、フェミニズムの文脈では血縁を越えた女性同士の連帯を表す言葉として使われています。この使い方は意外と古くからあり、オクスフォード英語辞典によると1914年からあるそうです。
シスターフッドという言葉は、とくに知り合いではないような多数の女性が同じ目的とか理想に向かってゆるやかに政治的に連帯する時から、場合によってはレズビアンの恋愛など特定の女性同士のかなり排他的で強い結びつきまで、わりと広い範囲を指してもやっと使われます。「百合」とも重なる概念ですが、百合はレズビアンの恋愛を中心にその周りにある必ずしも恋愛とまでは言えないかもしれないけれどもロマンティックな女性同士の友愛を指す言葉である一方、シスターフッドが含むフェミニズム的・政治的な連帯の意味は含まないことがほとんどかと思います。
個人的には、シスターフッドという言葉の良いところは、血縁とか面識がなくても使えることだろうと思っています。私自身はたいへん個人的なシスターフッドに縁遠い人間でほとんど友達がいませんし、血縁や個人的な面識をやたら重視する考え方にも批判的です。しかしながら、それでも思想や芸術における共鳴をもとに背景が違うような人同士が連帯できるという考え方は重要だと思います。
シスターフッドを考える時に一番問題になってくるのが、この個人的背景の差異です。女性の間には階級とか人種とか性的指向とか、さまざまな格差が存在し、それを無視してやたらシスターフッドを称えることはそういう格差の軽視につながりかねません。シスターフッドを考える時は、社会的に弱い立場に置かれがちになっているほうのシスターの主体性がどう尊重されているのかが大事になります。シスター同士の格差が無いもののように扱われたり、弱い立場のシスターの意見を勝手に強い立場のシスターが代弁したりするようなことが起こるのは問題です。また、女性同士の恋愛を「シスターフッド」と言ってごまかしてしまうようなこともあまり良くありません。レズビアンの恋愛はシスターフッドの一部に入れられるでしょうが、言い換えになる言葉ではありません。
この記事でとりあげたいのは、このシスター間に大きな階級差があるシスターフッド/百合/レズビアン関係、具体的に言うとお嬢様とメイドさんの関係を扱った作品群です。貴族と使用人を扱った作品というのは一般的に人気がありますが、避けて通れないのが主従関係という大きな格差の存在です。
今回の記事では、ノンフィクションであるロジーナ・ハリソンの『おだまり、ローズ』とセアラ・オーン・ジュエットの短編小説「マーサの大事な人」、サラ・ウォーターズの『荊の城』とその映画化『お嬢さん』をとりあげ、お嬢様とメイドさんの関係を分析していきたいと思います。どの作品もネタバレがありますので、注意してください。
型破りな女主人に型破りなメイド、でも昇給なし~『おだまり、ローズ』
最初にとりあげる『おだまり、ローズ』は20世紀前半にメイドとしてアスター家に仕えていた「ローズ」ことロジーナ・ハリソンの回想録です。実のところロジーナのボスは若いお嬢様ではなく、イギリスで初めて議会に登院して活動した女性議員であるアスター子爵夫人ナンシー・アスターでした。
ナンシー・アスターはアメリカ出身で、作中で使用人たちから「淑女ではない」(p. 68)と言われてしまうくらい、イギリスのお屋敷の女主人としては型破りでした。ヨークシャ出身で35年間アスター家に仕えたロジーナもはっきりした性格だったため、ナンシーとの主従関係は通常のイギリスの主人と使用人の間柄に比べるとかなりざっくばらんなもので、この回想録の面白さはそのあたりの歯に衣せぬタッチにあります。
回想録によると、いろいろ波乱もありつつ、この2人はお互いがいなくてはいられないくらい親しくなります。エネルギッシュでわがままな女主人にロジーナは振り回されっぱなしですが、負けずに気の利いたことを言い返したり、策略でなだめすかしたりしてお屋敷を運営します。仲良くケンカする2人は微笑ましく、親友が亡くなった際、ロジーナに慰められて少し気が楽になったナンシーがロジーナにキスするというくだりはまるで百合です(p. 135)。ナンシーが病気で亡くなる直前、ロジーナの手を握ったりキスしたりしながら看護をする描写は、ロジーナが女主人をどれだけ愛していたかがよくわかります(p. 351)。
しかしながらこの本を良く読むと、使用人の待遇が必ずしも良くはないことがわかります。ロジーナの長年の勤務にもかかわらず、ちゃんとした昇給は1回しかありませんでした(p. 126)。やたらと活動的で多忙な重要人物であるナンシーの補佐役だったためにほとんど休みがなく、職場以外で社交を楽しむ機会はほぼなかったそうです(pp. 146-147)。
夜は必ずしっかり休んでいたようですし、福利厚生のようなものはかなり手厚く、ナンシーはロジーナの母にしょっちゅうプレゼントをするなど家族のことをかなり気にかけていたようです(pp. 145-146)。引退後の保障もあり(p. 353)、またナンシーはしょっちゅうロジーナを旅行に同行させていました。そういう利点があったからこそ続けられた仕事なのでしょうが、ロマンティックな貴族のお屋敷設定を取り払って職場のボスと部下の話なのだと考えると、ナンシーが『プラダを着た悪魔』のミランダを少しマシにしたような存在にも思えます。
ロジーナとナンシーの関係はお互いに対する美しい信頼に満ちてはいますが、その間には歴然とした階級差があり、ロジーナがそれを当たり前のように受け入れていることでこの回想録が成り立っているのです。2人の間にはなんらかのシスターフッドが存在すると言えるかもしれませんが、到底、対等なものではありません。
階級差によって遮られるメイドの恋~「マーサの大事な人」
19世紀末に活躍したニューイングランドの作家セアラ・オーン・ジュエットは、地方色豊かに女性の心境を描き出すのが得意な作家です。ジュエットはアニー・フィールズという女性作家とボストン・マリッジをしていました。ボストン・マリッジというのは、19世紀の末頃から20世紀初頭のニューイングランドに存在した、強い友情で結ばれた2人の女性が一緒に暮らす習慣です。
ボストン・マリッジが現代で言うところのレズビアンのカップルと言えるのかどうかは難しいところもあり、また多くの場合はお金と教育のある女性だけに限られていたようですが、それでも結婚の歴史を考える上で重要で興味深いものだと言えるでしょう。
ジュエットの作品にはレズビアン的要素が見られるものがあり、とくに「マーサの大事な人」(1897年初版、1899年改訂、「マーサの愛しい女主人」というタイトルで呼ばれることもあります)は完成度の高いお嬢様とメイドさんの百合物語です。ニューイングランドが舞台で、ミス・ハリエット・パインの家で働き始めた若いメイドのマーサが、ボストンからやってきたハリエットのいとこである若く美しいミス・ヘレナ・ヴァーノンに夢中になります。マーサはひたすらヘレナを慕うのですが、その後長い間、ヨーロッパに住むヘレナに直接会うことができませんでした。40年たって老いたヘレナがやっとパイン家を再訪した時に2人は再会し、旧交をあたためます。ヘレナが長年、自分のことを愛してくれていたマーサの想いに気付いて感動する最後の場面は、短いですが細やかな感情がとてもよく表れています。
マーサのヘレナに対する愛情は美しいものですが、一方でこの作品は2人の交流が階級やしきたりによって阻まれる様子をしっかり描いています。ヘレナはマーサを自分の結婚式に呼びたがりますが、社会的にそういう申し出はふさわしくないと思ったハリエットに握りつぶされてしまいます。ここではヘレナの心境が「結婚式の前日、何でも望みのかなう妖精の国のプリンセスのような気持ちになっていたヘレナにとって、そうではないことを知らされた最初の出来事だった」(岩波文庫版日本語訳p. 317)と描写されており、お姫様の結婚式とともに「末永く幸せに暮らしました」で終わってしまうおとぎ話を穏やかに皮肉るような表現が出てきています。
マーサがヘレナを愛しているだけではなく、ヘレナもマーサを想っているのですが、2人が対等に仲良く付き合い、シスターフッドを強化することを階級の差が阻害します。より強い立場にあるはずのヘレナが動いた時ですら、この差は消すことができないのです。しっとりしたロマンティックな物語である「マーサの大事な人」は、実は階級による愛の阻害を克明に描いた作品だとも言えるのです(Pryse, p. 540)。
『荊の城』と『お嬢さん』の力技
最後に、このあたりをかなり力技で解決しようとした作品を簡単に紹介します。ウェールズの作家サラ・ウォーターズの歴史小説『荊の城』(2002)と、その翻案である韓国映画『お嬢さん』(2016)です。この2作は、いろいろなテクニックを使ってメイドさんとお嬢様の百合を刷新しています。
『荊の城』でポイントなのは、まずメイドが「ホンモノ」ではないということです。この作品でお嬢様のモードに仕えることになるスウは実は本職のメイドではなく詐欺師で、モードを騙すためにお屋敷にあがります。この時点で、より力を持っているはずの上流階級の雇い主が実は犯罪計画のカモだったということになり、力関係が単純ではなくなります。
そこでだんだんスウとモードの間に恋が芽生えるわけですが、実はモードは伯父から悪質な虐待を受けており、逆にスウを騙して逃げようとしていたということがわかります。ここで『荊の城』は、さまざまな立場の女性に対して男社会が違った形でかけてくる圧力を描いた複雑なお話になります。さらに『荊の城』は前に紹介した2作とは違い、はっきりとした性欲を持つ女性たちが登場するレズビアンのロマンスで、連帯とか友情といった言葉で表現するよりもかなり情熱的な恋愛を描くことで決まりきった描写を越えることに挑戦しています。
パク・チャヌク監督による翻案である『お嬢さん』は階級差だけではなく、植民地主義をも話に組み込んでいます。原作はヴィクトリア朝のイギリスが舞台ですが、本作の舞台は日本の支配下にある朝鮮半島で、お嬢様は日本から来た秀子(キム・ミニ)、メイドが地元出身のスッキ(キム・テリ)です。途中までは原作と似た展開ですが結末が違い、『お嬢さん』は女たちが階級や民族の差を超えて愛し合うことで、植民地主義にがんじがらめになった男たちを出し抜くという、ややユートピア的とも言えるようなシスターフッドの物語になっています。
監督のパク・チャヌクの趣味が独特なので好みが分かれる作品ではあり、いくつかヘンなところもありますが、階級差や帝国主義についてはしっかり描いています。『荊の城』とその翻案『お嬢さん』は、メイドとお嬢様の百合について階級差を包み隠さず問うという点ではかなりうまくやっていると言えるでしょう。
シスターフッドの物語を考える時は、登場するそれぞれの人物の背景を考える必要があります。メイドさんとお嬢様ではありませんが、最近は日本でも、山内マリコ原作で映画化もされた『あのこは貴族』のように階級差を主題としたシスターフッドの物語が作られるようになっています。これからも、女性同士の差異、とくに階級差を無化しないシスターフッド、百合、レズビアンの恋の物語にどんどん登場してほしいと思います。
参考文献
サラ・ウォーターズ『茨の城』上下巻、中村有希訳、東京創元社、2004。
ヴァージニア・ウルフ他『レズビアン短編小説集――女たちの時間』利根川真紀編訳、平凡社、2014。
北村紗衣「翻案の効用ー『お嬢さん』と『スキャンダル』」『ユリイカ」』52.6(2020年5月号)、pp. 173 – 179。
久我真樹『英国メイドの世界』講談社、2010。
セアラ・オーン・ジュエット『とんがりモミの木の郷 他五篇』河島弘美訳、岩波文庫、2019。
ロジーナ・ハリソン『おだまり、ローズ――子爵夫人付きメイドの回想』新井潤美監修、新井雅代訳、白水社、2014。
村上リコ『図説英国メイドの日常』河出書房新社、2018。
村上リコ『図説英国貴族の令嬢 』増補新装版、河出書房新社、2020。
ローレン・ワイズバーガー『プラダを着た悪魔』上下巻、佐竹史子訳、早川書房、2006。
山内マリコ『あのこは貴族』集英社、2020。
Glenda Hobbs, ‘Pure and Passionate: Female Friendship in Sarah Orne Jewett’s “Martha’s Lady,”’ Studies in Short Fiction,17 (1980), pp. 21–29.
Sarah Orne Jewett, Novels and Stories, Literary Classics of the United States, 1994.
“sisterhood, n.” OED Online, Oxford University Press, March 2021, www.oed.com/view/Entry/180438. Accessed 28 May 2021.
Marjorie Pryse, ‘Sex, Class, and “Category Crisis”: Reading Jewett’s Transitivity, American Literature, 70.3 (1998), pp. 517–549.
Sarah Waters, Fingersmith, Riverhead Books, 2002.