階級差によって遮られるメイドの恋~「マーサの大事な人」
19世紀末に活躍したニューイングランドの作家セアラ・オーン・ジュエットは、地方色豊かに女性の心境を描き出すのが得意な作家です。ジュエットはアニー・フィールズという女性作家とボストン・マリッジをしていました。ボストン・マリッジというのは、19世紀の末頃から20世紀初頭のニューイングランドに存在した、強い友情で結ばれた2人の女性が一緒に暮らす習慣です。
ボストン・マリッジが現代で言うところのレズビアンのカップルと言えるのかどうかは難しいところもあり、また多くの場合はお金と教育のある女性だけに限られていたようですが、それでも結婚の歴史を考える上で重要で興味深いものだと言えるでしょう。
ジュエットの作品にはレズビアン的要素が見られるものがあり、とくに「マーサの大事な人」(1897年初版、1899年改訂、「マーサの愛しい女主人」というタイトルで呼ばれることもあります)は完成度の高いお嬢様とメイドさんの百合物語です。ニューイングランドが舞台で、ミス・ハリエット・パインの家で働き始めた若いメイドのマーサが、ボストンからやってきたハリエットのいとこである若く美しいミス・ヘレナ・ヴァーノンに夢中になります。マーサはひたすらヘレナを慕うのですが、その後長い間、ヨーロッパに住むヘレナに直接会うことができませんでした。40年たって老いたヘレナがやっとパイン家を再訪した時に2人は再会し、旧交をあたためます。ヘレナが長年、自分のことを愛してくれていたマーサの想いに気付いて感動する最後の場面は、短いですが細やかな感情がとてもよく表れています。
マーサのヘレナに対する愛情は美しいものですが、一方でこの作品は2人の交流が階級やしきたりによって阻まれる様子をしっかり描いています。ヘレナはマーサを自分の結婚式に呼びたがりますが、社会的にそういう申し出はふさわしくないと思ったハリエットに握りつぶされてしまいます。ここではヘレナの心境が「結婚式の前日、何でも望みのかなう妖精の国のプリンセスのような気持ちになっていたヘレナにとって、そうではないことを知らされた最初の出来事だった」(岩波文庫版日本語訳p. 317)と描写されており、お姫様の結婚式とともに「末永く幸せに暮らしました」で終わってしまうおとぎ話を穏やかに皮肉るような表現が出てきています。
マーサがヘレナを愛しているだけではなく、ヘレナもマーサを想っているのですが、2人が対等に仲良く付き合い、シスターフッドを強化することを階級の差が阻害します。より強い立場にあるはずのヘレナが動いた時ですら、この差は消すことができないのです。しっとりしたロマンティックな物語である「マーサの大事な人」は、実は階級による愛の阻害を克明に描いた作品だとも言えるのです(Pryse, p. 540)。
『荊の城』と『お嬢さん』の力技
最後に、このあたりをかなり力技で解決しようとした作品を簡単に紹介します。ウェールズの作家サラ・ウォーターズの歴史小説『荊の城』(2002)と、その翻案である韓国映画『お嬢さん』(2016)です。この2作は、いろいろなテクニックを使ってメイドさんとお嬢様の百合を刷新しています。
『荊の城』でポイントなのは、まずメイドが「ホンモノ」ではないということです。この作品でお嬢様のモードに仕えることになるスウは実は本職のメイドではなく詐欺師で、モードを騙すためにお屋敷にあがります。この時点で、より力を持っているはずの上流階級の雇い主が実は犯罪計画のカモだったということになり、力関係が単純ではなくなります。
そこでだんだんスウとモードの間に恋が芽生えるわけですが、実はモードは伯父から悪質な虐待を受けており、逆にスウを騙して逃げようとしていたということがわかります。ここで『荊の城』は、さまざまな立場の女性に対して男社会が違った形でかけてくる圧力を描いた複雑なお話になります。さらに『荊の城』は前に紹介した2作とは違い、はっきりとした性欲を持つ女性たちが登場するレズビアンのロマンスで、連帯とか友情といった言葉で表現するよりもかなり情熱的な恋愛を描くことで決まりきった描写を越えることに挑戦しています。
パク・チャヌク監督による翻案である『お嬢さん』は階級差だけではなく、植民地主義をも話に組み込んでいます。原作はヴィクトリア朝のイギリスが舞台ですが、本作の舞台は日本の支配下にある朝鮮半島で、お嬢様は日本から来た秀子(キム・ミニ)、メイドが地元出身のスッキ(キム・テリ)です。途中までは原作と似た展開ですが結末が違い、『お嬢さん』は女たちが階級や民族の差を超えて愛し合うことで、植民地主義にがんじがらめになった男たちを出し抜くという、ややユートピア的とも言えるようなシスターフッドの物語になっています。
監督のパク・チャヌクの趣味が独特なので好みが分かれる作品ではあり、いくつかヘンなところもありますが、階級差や帝国主義についてはしっかり描いています。『荊の城』とその翻案『お嬢さん』は、メイドとお嬢様の百合について階級差を包み隠さず問うという点ではかなりうまくやっていると言えるでしょう。
シスターフッドの物語を考える時は、登場するそれぞれの人物の背景を考える必要があります。メイドさんとお嬢様ではありませんが、最近は日本でも、山内マリコ原作で映画化もされた『あのこは貴族』のように階級差を主題としたシスターフッドの物語が作られるようになっています。これからも、女性同士の差異、とくに階級差を無化しないシスターフッド、百合、レズビアンの恋の物語にどんどん登場してほしいと思います。
参考文献
サラ・ウォーターズ『茨の城』上下巻、中村有希訳、東京創元社、2004。
ヴァージニア・ウルフ他『レズビアン短編小説集――女たちの時間』利根川真紀編訳、平凡社、2014。
北村紗衣「翻案の効用ー『お嬢さん』と『スキャンダル』」『ユリイカ」』52.6(2020年5月号)、pp. 173 – 179。
久我真樹『英国メイドの世界』講談社、2010。
セアラ・オーン・ジュエット『とんがりモミの木の郷 他五篇』河島弘美訳、岩波文庫、2019。
ロジーナ・ハリソン『おだまり、ローズ――子爵夫人付きメイドの回想』新井潤美監修、新井雅代訳、白水社、2014。
村上リコ『図説英国メイドの日常』河出書房新社、2018。
村上リコ『図説英国貴族の令嬢 』増補新装版、河出書房新社、2020。
ローレン・ワイズバーガー『プラダを着た悪魔』上下巻、佐竹史子訳、早川書房、2006。
山内マリコ『あのこは貴族』集英社、2020。
Glenda Hobbs, ‘Pure and Passionate: Female Friendship in Sarah Orne Jewett’s “Martha’s Lady,”’ Studies in Short Fiction,17 (1980), pp. 21–29.
Sarah Orne Jewett, Novels and Stories, Literary Classics of the United States, 1994.
“sisterhood, n.” OED Online, Oxford University Press, March 2021, www.oed.com/view/Entry/180438. Accessed 28 May 2021.
Marjorie Pryse, ‘Sex, Class, and “Category Crisis”: Reading Jewett’s Transitivity, American Literature, 70.3 (1998), pp. 517–549.
Sarah Waters, Fingersmith, Riverhead Books, 2002.
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