『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』が教えてくれる、フェミニズムの「可能性」

文=エミリー
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Getty Imagesより

”フェミニズムもジェンダーも男と女の対立概念ではない。それは共生の思想であり、あらゆるセクシュアリティ、人種、民族、年齢、階級の人々が、お互いとお互いがよりよく共にあるための、お互いがお互いをより理解するための、お互いがお互いをより愛するための、常に現在進行形の、たゆまぬプロセス上にある行為なのではないかと思う。”
(笠原美智子 著『ジェンダー写真論 1991-2017』里山社 p.231)

 この一節は、私が数年前にはじめて「フェミニズム」というものを知り、学ぶようになってからこれまでの間に出会った中で、最も信頼でき共感できると感じた、フェミニズムを表す概念であり言葉です。

 ほんの数年前まで、私はフェミニズムやフェミニストのことを、「なんとなく怖くて、強いもの」と思い、よく知りもせずに勝手に近寄りがたいものとして距離を置いてきました。そんなふうに、フェミニズムやジェンダーの問題を「自分事」として捉えることができていなかったにもかかわらず、少しずつその考えや運動に触れていく機会を得るうちに、いつのまにかフェミニズムは、私が日々生活をし、社会や未来のことを考える上でなくてはならない、自分にとって切実で大切なものとなっていました。

 そしてそれは、決して一過性のブームなどではなく、これから先ずっと学び、考え、向き合い続けなければならない、“常に現在進行形の、たゆまぬプロセス上にある行為なの”だと。

 私がそう思うに至った経緯についてここで詳しくは語りませんが、今回から担当させてもらうことになったブックレビューコラムの連載の中で、その理由が読んでくださる方にも伝わり、フェミニズムやジェンダーにまつわる問題を少しでも「自分事」として捉えるきっかけとなるような内容になればと願うとともに、私自身もこの連載を通して学び、考え、変化し続けながら、少しずつでも前に進んでいけたらと思っています。

 さて、以前の私と同じように、フェミニズムにまだあまり触れたことのない人たちの中には、「フェミニズムは男性を敵視し声高に批判するもの」だと思っていたり、「フェミニズムは一部の女性のためのもので、自分にはあまり関係ない」と感じたりして、なんとなく敬遠している人も多いのではないでしょうか。

 そんな思いを力強くはねのけ、愛と情熱と知性を持ってフェミニズムの考えへと導いてくれるのが、ベル・フックスの『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』という本です。

 1980年代からアメリカで活動してきた、黒人女性のフェミニスト理論家であり作家、文化批評家でもあるベル・フックスは、この本の冒頭、そして文中で何度もこう言葉にします。

 “フェミニズムとは、性にもとづく差別や搾取や抑圧をなくす運動のことだ” (p.8)
 フェミニズム運動の敵は「男性」ではなく、「性差別」である
 性差別は社会の中に構造化されており、老若男女問わず性差別的でありうる

 フェミニズムやフェミニストと聞くと、どうしても「女性」が「男性」を嫌い、敵視し、批判するものであると思われてしまいがち。しかし、ベル・フックスが繰り返し言うように、フェミニズムが本当に問題にしているのは(しなければならないのは)、「性差別」が構造化してすみずみまで行き渡った、家父長主義(強い権力や立場を持つ人々が、弱い立場の人々を支配し、抑圧し、搾取する制度のこと)的な社会のことであり、性別や年齢に関係なくあらゆる人が持ちうる、性差別的な意識や言動のことなのです。

 私自身もそうでしたが、女性たちが性差別の問題に気づき、フェミニズムを知るきっかけになるのは、おそらく友人同士の会話やSNSなど、ごく個人的で日常的な経験や感情が語られる場であることが多いように思います。

 韓国、そして日本でもベストセラーとなり、大きな話題になった『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ 著)などのフェミニズム小説や、伊藤詩織さんの性被害の告発をはじめとして日本でも盛り上がりを見せた#MeTooムーブメントは、私たちの生活や人生の中に、日常的にはびこる性差別的な出来事の数々を、「これって性差別だったんだ」と私たちに気づかせ、「おかしいと声を上げてもいいんだ」と勇気を与えてくれました。そして、女性同士が自分の体験を言葉にして共有し合い、性差別の存在に気づき、問題提起し、連帯し合うための大きなきっかけとなりました。

 それは間違いなく素晴らしくて重要なことです。しかしその一方で、かつて、1960年代後半のアメリカで女性たちが小規模なグループで会合を開き、個人的な体験を共有する中でフェミニズムのための意識を目覚めさせ高めていった、コンシャスネス・レイジングの場がそうであったように、”女性たちが、犠牲にされてきたことへの恨みつらみや怒りを発散するだけの場になりがち“ であり、”それにたいしてどうしたらいいのか、またそうしたことを変えるには何をしなくてはならないのかの議論が、ほとんどないことが多“い(p.24)という状況に陥りやすい危険もはらんでいるように思います。

 日常や社会の中にはびこる様々な性差別に関わる問題に気づいて声を上げ、性差別的な言動をする人々を批判し告発することが重要なのは大前提。でもそれが、性差別的な言動をする側であることが多い「男性」をただ非難するだけでは、問題の根本的な解決にはなりません。

 性差別的な価値観や言動が生まれる元となっている、より強い権力を持つ者がそうでない者を支配し搾取することを良しとする社会の構造や、そんな社会や価値観の中で育ってきたからこそ、男性だけでなく女性やフェミニスト自身も性差別的な考えを内面化して差別に加担してしまっている可能性は大いにあります。そのことに常に注意深く目を向け、向き合い、それを変えていくためにはどうしなければいけないのかを考えていく必要があると、ベル・フックスは気づかせてくれます。

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