菅総理の思い出話から窺い知れる東京五輪開催の理由

文=平河エリ
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写真:アフロ

連載「議会は踊る」

 6月9日、立憲民主党・日本維新の会・国民民主党・日本共産党の各党党首と菅義偉首相の間で45分間に渡り行われたおよそ2年ぶりの党首討論は、率直に言ってひどいものだった。

 そもそも党首討論は、水曜日を定例として毎週開かれることが前提だった。45分という時間は短く、諸問題を議論するのには明らかに足りない。

 党首討論のモデルとなった英国のクエスチョン・タイムは毎日1時間程度行われる。首相以外にも直接議員が質問する機会があり、毎週開催されている。約2年ぶりにもかかわらず、45分しか行われなかった日本とは歴然とした違いがある。

 日本の党首討論の大きな問題点は、党首討論が「討論」にならないという点である。今回、野党第一党の枝野幸男議員に与えられた時間は30分と短いもので、簡潔に答えれば「討論」になるはずが、一つの質問に対して答えが3分も4分も続くため、お互いの演説会のような形で進んでいく。

 首相にまともに答える気がなければ、討論になりようがない。それなら予算委員会集中審議を開いたほうがよほどマシだろう。

 盛り上がりを欠いた党首討論の中で、最も視聴者が驚いたであろう点は、首相の思い出話である。

 よく私はオリンピックについてよく聞かれるわけですけども、実は私自身、57年前の東京オリンピック大会、高校生でしたけども、未だに鮮明に記憶してます。

 それは、例を挙げますと、例えば、東洋の魔女と言われたバレーの選手。回転レシーブというのがありました。ボールに食いつくようにボールを拾って、得点を挙げておりました。非常に印象に残ってます。また、底知れない人間の能力というものを感じました。あの……マラソンのアベベ選手も、非常に影響に残ってます。

 そして何よりも、私自身、記憶に残ってますのは、オランダのヘーシンク選手です。日本柔道が国際社会の中で、大会で初めて負けた試合でしたけども、悔しかったですけども、その後の対応、すごく印象に残ってます。

 興奮したオランダの役員の人たちがヘーシンクに抱きついてくるのを制して、敗者である神永選手に対して敬意を払ったあの瞬間というのを私は、ずっと忘れることができなかったんです。

 そうしたことを子どもたちにもやはり見てほしい。
 Buzzfeed 党首討論「哀れな枝野」と動画が拡散→誤り。菅首相の「東京五輪の思い出」が編集され全カット

 上記の引用は、党首討論において4分ほど菅首相が力を込めて語った部分だ。おそらくリアルタイムに党首討論を見ていたほとんどの人が「東洋の魔女?」「ヘーシンク?」「アベベ?」と頭にクエスチョンマークがついたはずだ。

 複数の報道によると、菅首相はこの思い出話をその場で思いついたのではなく、綿密に準備した上で語ったらしい。しかも、菅首相は安倍晋三前首相と違い、ペーパーを読みながら答弁していた。

 つまり、菅首相は、本気で、この「東洋の魔女の思い出」が、国民に訴えかける言葉として適切であると考えていた、ということになる。そして、それを周りの人間も止められなかったということになる。

 これはかなり恐ろしいことではないだろうか。

 そもそも、菅首相が語った思い出のような体験を、今の子どもたちがするためには、有観客である必要がある。無観客、つまり家で五輪を見るなら、開催国が日本だろうが北京だろうが変わらない。

 つまり、党首討論で言ってしまった以上、五輪は有観客で開催される、ということがわかる。リスク管理は関係ない。菅首相が思い出を重視して、それが党首討論という重要な場で語られてしまった以上、そうなることは決まったのだ。どうやらこの国では、「思い出」は政策決定にも大きく影響しているらしい。

 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲!』(監督:原恵一)という、アニメ映画がある。

 2001年に公開されたこの映画では、大人たちが「懐かしさのニオイ」に囚われてしまう。

 劇中では昭和の町並み、夕焼け、万博と言った「過ぎ去った過去」が戯画化され、そこに囚われる大人を描きながら、最終的には主人公の「未来への希求」が世界を元に戻すという筋書きになっている。子ども向けながら、今なお傑作と称される映画だ。

 思えば、この時代はまだ、日本の目は未来に向いていた。だからこそ、ノスタルジアを批判的に見る作品が生まれたのではないか。

 その4年後、『Always 三丁目の夕日』が公開される。東京の下町のノスタルジックな雰囲気を再現したこの映画は大ヒットした。監督は山崎貴。「東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチーム」の1人である。

 我々はどうやら、時代とともに少しずつ、1960年代に引き戻されているようだ。東京オリンピックは郷愁とともに終わり、やがて万博が開かれようとしている。未来は失われた。我々にあるのは過去だけだ。過去への郷愁だけが経済を回していくのである。

 党首討論に話を戻す。私はこの党首討論はとても価値があったと思う。

 「一体なぜオリンピックは開かれようとしているのか?」という問いに「首相の思い出があるから」という明確な答えが見つかったからだ。

 たとえどんな理由であったとしても、それは価値あることだと私は思う。

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